a-kricaさん >テステュード? またやっちゃいました。もちろんカングーロですよ。 この頃歳のせいか勘違い3連発でスミマセン。
この、世界に1台しかないカングーロと、おそらくこれも1台しかなかったテスチュードがテスト走行中にクラッシュして2台共全損になった話は本当でしょうか。 本当ならジウジアーロにとっても(人類にとっても)何と不運な出来事だったでしょう。
幸いどちらも莫大な費用と情熱をもって完全に修復して下さる方が現れてよかったと思います。 この2台にはそれだけの価値があるという事ですね。
私がアバルトミュージアムに行った時は伝説のカングーロもDINO 206Sもありました。 カングーロのドナーのAlfa TZもあったような。
この時、BBS常連だった大内誠さんと現地で合流予定だったのですが、大内さんが高速大渋滞で大幅に遅れ、あいにく帰路ですれ違い挨拶になってしまいました。
しかし、館内では大内さんの(多少の)知り合いだと知ったからか、小阪さん自身から長時間に渡りいろんな面白いお話しをしていただきました。
何せチョーのつくお金持ちの方ですから気難しいイメージをもっていたのですが、大変気さな人柄でびっくりしました。
ジウジアーロが来館した話、 ピニンから1/5スケールくらいのモデューロのモデルを贈られた話、 カングーロの復刻に2億円かかっちゃった話
DINO 206Sのオークションに、世界的に有名なデザイナー(ベネトンか誰か忘れましたが)と競争になり落札するのに5億円もかかった話、
この間の誕生日プレゼントにデ・トマソ・マングスタを贈られた話等々。
その銀色のマングスタが会場の隅に置かれ、間近で見せてもらいました。 40年ぶり位に見たマングスタの前で私も涙出そうでしたよ。
1年に1度くらいは山中湖に行くので様子を見るのですが、残念ながら今はずっと閉館しているみたいです。
|
|
DADAさん >世界に1台しかないカングーロと、おそらくこれも1台しかなかったテスチュードがテスト走行中にクラッシュして2台共全損になった話は本当でしょうか。
本当のようですね。 ENGINE誌 2008.2月〜5月号で連載された「アルファロメオ・カングーロ物語」にその辺り含め、かなり詳しく書かれています。それによれば、 1966年(1965年12月との説も)、モンツァでのテスチュードのプロモーションフィルムの撮影時、カングーロもその場に持って行かれた。 あるジャーナリストがカングーロの試乗をせがみ、テスチュードと同じ方向で走行するつもりが濃霧のせいで逆走してしまったのに気付かず正面衝突した。 テスチュードの被害は小さく修復はたやすかったが、カングーロの3次元フレームと大破したフロントの修復は困難で、 すでに生産化の見込みがなくジウジアーロ氏がギアに移籍した直後でもあり放置された。 事故の顛末を知ったヌッチオ氏は激怒し、変わり果てたカングーロを「私の前に二度と持ってくるな、見たくない。」と言った。
ということです。ENGINE誌のこの連載を私は最初本屋でさわりだけ立ち読みしたのですが、とても興味深くて時間が経ってからブックオフでまとめて買っておきました。 連載の最後に大内誠氏による、カングーロの素晴らしい透視図と作画手順の解説も掲載されていました。 描くためにイタリアまで行って現地取材されたらしいですね。
年末にたまたま出かけたイベントでデッドストック本のお店があって、児玉英雄氏の作品集とカースタイリング別冊の「世紀のカーデザイナー・ジウジアーロ」(2014)を格安で買えました。 児玉氏の本は前から欲しかったのですが、新品をあり得ないような値段で買えよかったです。 児玉氏が描いたカングーロのイラストを以前なんかで見てとても印象に残っていたのですが、買った作品集には残念ながら載っていませんでした。 児玉氏と大内氏らが毎年開催出品していた「自動車アート7人展」はここ2、3年途絶えているようですね。行ったことはないのですが。 もう1冊の「世紀のカーデザイナー・ジウジアーロ」は割と最近の出版で、“ミウラ論争”についても少し触れられています。 新しい事実が明らかにされるような記事ではありませんが興味深かったですよ。 この正月にはカースタイリング別冊「ジュジャーロ・デザイン II」(1997)をブックオフで新品同様で見つけ、やはりあり得ない値段で、更にセール価格20%オフで買いました。 内容はクルマよりもプロダクトデザインがメインでしたがお買い得でした。 というわけで最近収穫がけっこうあります。歳なのか最近は発掘が楽くなってきました。
>小坂さん >何せチョーのつくお金持ちの方ですから
ギャラリーアバルト美術館のホールから中ほどに外に出る口がありますよね。 外に出た脇のところで青いランチアのクラシックカーをメンテしている小坂氏から気さくに話しかけられたことがあります。 二言三言だけで内容は覚えていませんが。感じのよい、かっこいい人でした。 それにしてもグラフィックデザイン、パッケージの仕事、売れっ子でもそんな儲かる仕事じゃないと思いますがすごいお金持ちですよね。 物質的な存在の重さに耐えきれず、取るに足りない印刷物やジャンクしか所有できない自分とは全然スケールが違う。
>40年ぶり位に見たマングスタの前で
いいですね、マングスタ。とてもモダンで野生的。 そしてカングーロ。どこにも大げさなところがなくニュートラルなモダンさがあって、柔和でかわいい。フラッシュサーフェスさは今見ても新しい。 最近じわじわきています。このクルマが好きっていうくらいがいちばん粋なのかなって気がするくらい。
先日『フォードvsフェラーリ』観てきました。 プロトタイプにフロントリフトの問題が発見されたら、次にはマーク2が登場するような感じで 事実を丁寧に追うよりは、シェルビー氏とドライバーのマイルズがフォードGTの最初から最後までを開発したように見えるくらい二人中心のドラマでしたが、 省略はあったとしても非常によかったです、いい映画でした。レースシーンも楽しめました。 そして何より60年代の空気感がリアルに再現されていました、そんな映画が好きなんですよね。最近では『ドリーム(Hidden Figures)』、『ファースト・マン』とか。
長々と失礼しました。 |
|
DADA 2020年1月22日(水) 17:17
|
[修正] |
a-kricaさん
カングーロとテスチュードの事故の顛末、初めて知りました。 ありがとうございました。 この頃車関係の雑誌はあまり読まなくなりましたけど、やはり知識の源泉は書籍ですよね。 ネットで得た記憶は知識にはなりにくくてただの情報にすぎない事が多いです。
このカングーロの取材にイタリアまで行かれた大内さん、お元気ですか。 よかったらこの時のお話をお聞かせ願えませんか?
Utidaさんはこの頃お会いになってませんか?
>チョーのつくお金持ち
小阪さんがおっしゃっていましたが、コレクションを維持することは実は大変な仕事のようです。 車の価値は日々変動するなかで、一台の本当のお気に入りを維持するために、数台の(普通の)お気に入りを手放すことがあるとか。
凡人には到底縁のない悩みですけど。
『フォードvsフェラーリ』 もう見られたのですね。 私も久しぶりに見たい映画です。
若い頃映画館で見た、スティーブマックイーンの『栄光のルマン』を思い出します。
|
|
なかなか書き込みのためのまとまった時間が取れず失礼しております。
>Utidaさんはこの頃お会いになってませんか?
小〇氏ですか?美術館で何度かお話うかがったことがありました。 スーパーお金持ちですがきさくに話しかけていただけました。。
実はこちらでカングーロレストア批判を書いたのですが事情があり消したことがあるんですよね。。カングーロ級になるともはやクラッシュ状態のままで保管すべきみたいなことを書いたんですよ、時効と思って書きますが。。
ひとつひとつの話題に書き込みしたいですが、また後程・・ |
|
DADA 2020年1月25日(土) 15:13
|
[修正] |
>utidaさん 小〇氏ですか?
いや大内さんです。以前、自動車アート7人展(でした?)で大内さんと会ったとかいう話を聞いたような・・・・ また私の勘違いかも・・ 失礼しました。 |
|
>DADAさん >いや大内さんです・・また私の勘違いかも・・
いや大丈夫です、そういうこと書きましたよ!当時大内さんとこちらで知り 合い、7人展もいきましたしラフェスタ等の車イベントで待ち合わせて会ったり、メールで日常的にお話させていただいたりしていました。しかしここのところすっかりご無沙汰で失礼をしてしまっている状態です。。でも毎月のイラストレイテッドを見ていてお元気にご活躍されているのはわかっていますので。 |
|
カングーロを話題にしてからじわじわきていて、古いミニカーを持っていたことを思い出し押入れの段ボールを開くとすぐ見つかりました。 私が大人になって、自分でミニカーを買えるようになった頃に買ったポリトーイの1/43 ダイキャストモデルです。 1965年製でこの頃のポリトーイは出来が非常に良かったようですね。私は20年ほど経過した中古を当時買ったのですが。
開けて見るのも20年ぶり以上ですが、こんなにかっこよかったのか!と改めて思いました。モデルとしてもカングーロとしても。 カングーロのミニカーが欲しくて買ったというよりは、このミニカーを見てきれいだなーと思って買ったのですが。 見ていると、カングーロの良さは写真ではなかなか伝わらないだろうなと思えてきました。 DADAさんは実車を見られたんですよね、羨ましい! しかしカングーロ、生産すればよかったのに勿体ないな〜。
また押入れに仕舞ってしまうので写真に撮っておきました。窓辺の自然光でさっと撮ったもので塗装の光沢感がうまく出てないですが。
>アバルトミュージアムに行った時は伝説のカングーロもDINO 206Sもありました。
アバルトミュージアムに来ていたのはずっとディーノ206コンペティツィオーネだと思っていました。私も勘違いが多いです。
>utidaさん >カングーロ級になるともはやクラッシュ状態のままで保管すべきみたいな
私も本棚に並べたボロボロのジャンクミニカーを眺めながらそのようなことを考えたことがあります。 造られてからの時間の経過や破損もそのものの価値でツルピカの復元に白けることありますよね、建造物とか。 でも今回のカングーロ、小坂氏らの成し遂げたことは素晴らしいと思います。私の見たいカングーロはやはりこちら(復元後)ですよ。
ついでですが、Ford GT prototype/101 も初期のテストのクラッシュで失われ現存しないはずなんですよね。 同じ形だった#102もどんどんモディファイされ、すぐにあの形ではなくなったはずなんです。 でも『フォード vs フェラーリ』では後々までシェルビーのファクトリーの中央で2台とも初期のツルピカの状態でメンテされているのはどうなんだろう、 なんてちょっとだけ思いました。どうでもいいですが。 |
|
せっかくなのでポリトーイのカングーロの写真、もう少し載っけさせてください。 |
|
『フォード vs フェラーリ』なんですが、前にも少し書きましたが撮影のために正確には34台ほど高性能なレプリカが制作されたということですね。 15台のフェラーリに5台のポルシェ、12台のフォードGT、その他アストンマーティンDBR1など。 その世界一セクシーなレースカーと言われるフェラーリ330なんですが、映画の中のクルマは私のイメージするフェラーリ330P3に比べ微妙にムッチリ感が足らないような気がしたんですよね。 330P3/P4の写真をまじまじと見たことはなかったんですが。
タイヤとフェンダーのクリアランスとか些細な差があるのかなくらいに思って画像検索したり比較してみると、 ’66 ル・マンの330P3の#20, #21のいい画像がなかなか見つからなかったのですが、全体的にもディティールもけっこう違ってましたね。 まず気づくのはキャノピー部とサイドウィンドーで膨らみ具合が違い、映画のはやや頭が尖って見えました。 サイドウィンドーがルーフトップにかなり回り込むくらい広げられ、太いシルバーの枠やスライドする小窓も省略されていました。 フロントノーズ/ライト周りは’66 ル・マンのとは違い、’66〜67の各レースのP3/P4の各仕様の折衷のようで省略も各部見られましたね。 フェンダーミラー、ステーも違いリアフェンダーからテールにかけての量感も気のせいか若干違うように見えます。 しかしフェラーリそれ程映りませんし、映画を見る限りは気づないことばかりで意味ない指摘ですが、こんな楽しみ方もあるのかと。
『フォード vs フェラーリ』、まだご覧になる前でしたら余計な話でした。
>『栄光のル・マン』
マックィーン! 私も当時観ました。『フォード vs フェラーリ』よりもレース中心の映画でしたね。ほぼ全て実車を使って撮影されたんですよね。 今、あらためてWikipediaなどを見るとまた興味深いことが書いてあって、カメラカーにフォードGTを使って撮影されたとかいろいろ。 私は映画少年ではありませんでしたが、当時『バニシング・ポイント』とか『グライド・イン・ブルー』とかは観ました。 |
|
うう 風邪をひいたようなのですがコロナかもということで謹慎中です・・うう・・
みなさん大丈夫ですか |
|
>utidaさん だいじょうぶですよ、風邪でしょう。 私は今、自宅で仕事していますのであまり心配してません。 そのうちまた投稿したいと思いますが、独りよがりな投稿ばかりしていたので様子見ていました。映画どころじゃなかったですね。
…不謹慎にもおやじギャグの画像でスミマセン。 最後の画像はこんな時期なので渋谷の写真展を観に行くのはやめたソール・ライター。写真集だけ買いましたが素晴らしいです。
気を付けて、お大事にしてください。 |
|
utida 2020年3月8日(日) 22:32
|
[修正] |
ここだけの話 実はイタ○アへ旅行してまして 現地で少し調子崩して帰国後すぐ発熱しました 今症状収まり謹慎しています 私は雇われ人なので社会復帰できるのか心配です
ソールライターは私も行く予定でしたがあきらめました
この機会に書き込みしたいです
|
|
DADA 2020年3月12日(木) 17:39
|
[修正] |
utidaさん >ここだけの話 実はイタ○アへ旅行してまして ・・・ マ!マ!マジですか?
でも大丈夫ですよ。皆さん大騒ぎし過ぎです。 もしかかってもただの、今までになかったタイプのインフルエンザに過ぎないです。 高齢者でなければ普通は治ります。
この新型コロナRT40だったでしょうか。 私小学生の時、我が家の最初のマイカーでした。 それにしてもアイシスといい、トヨタはついてないですね。 |
|
> a-kricaさん >DADAさん
マジです。。いってまいりました ローマオンリーですけど。
でまだイタリアは感染者が3人とかいってたころでして、日本より安全じゃないかとおもっていました。
ミウラの勉強をしてきました。
帰国の次の日に発熱したのですが、1日で発熱は収まってしまい・・風邪だと思うんですけどね正直なところ。。でも医者指示で2週間の謹慎です。ちなみにPCR検査は受けられませんでした。
>おやじギャグの画像 >我が家の最初のマイカー
うちもそうでした! しかも初代でした。真っ赤なコロナ、幼稚園にも行ってないころだと思います。記憶ありませんが写真が残っています(添付はネット画像です)
・・アイシスって何かありましたっけ?
う、『フォード vs フェラーリ』見逃しました。。 いまユーチューブですこし見ましたが速すぎて車がよくわからない・・ レンタルでたら見ようと思います。 しかしGT40のかみつき加減がいいですね、デザインとあっている。。 こういうふうに走っていたんですね。 クロード・ルルーシュ監督のランデヴーのような手に汗握るかんじがありますね。
|
|
DADA 2020年4月8日(水) 17:46
|
[修正] |
皆様お元気でしょうか。 特にutidaさんは大丈夫でしょうか。 あのころはまだここまで深刻な状態になるとは思わず、お気軽なコメントしてしまい反省しています。
先月、栃木県鹿沼市に仕事で行った時、路上でFord GT40に遭遇しました。 ゼッケンは覚えていませんがルマン仕様のボディで、ベース色はブルーというよりグリーンポく見えました。 あわてて携帯カメラ構えたときには過ぎ去ってしまい撮影できませんでした。 映画のキャンペーン用か何かでしょうか。
鹿沼市といえばASHさんのデザインしたIFイケヤフォーミュラの地元ですので何か関係があるのでしょうか。
utidaさん> アイシスまたはアイシルはイスラム国の呼称です。
初代コロナがマイカーとは凄い。 当時はお金持ちの象徴でしたよ。 |
|
ご無沙汰しております。非常事態宣言下、皆さまお変わりありませんでしょうか。 私は今のところ大丈夫です。まだ先は長そうですが、くれぐれもお気をつけて。
自分は外出しなくても平気なタイプと思っていましたが、それでもじわじわ閉塞感を感じている気もします。 ちょっと海を見たくもなりますね、当分行けませんが。
さて、DADAさんがあげてくださった3枚の写真はフォードGTのごく初期のモックアップですね。 63年6月18日の日付がありますが、フェラーリがフォードとの交渉を打ち切ったのが5月21日ですから1ヶ月もしないうちにここまで作ったことになり、 フォードはよっぽどすぐにでも勝ちたかったんでしょうね。あらかじめ準備していたのかもしれませんが。 フォードはフェラーリ買収失敗の1週間後に自らマシーン開発を決意し、6月初めにイギリス人エンジニア Roy Lunn 率いる少人数のチームとフォードデザインにより 基本レイアウトとスタイリングが検討された、ということです。画像の眼鏡の人がロイ・ランですね。 初期のスタイリング、非常に先進的だと思います。まだレースカーの製作やレース経験が乏しく、ローラのエリック・ブロードレイと組む前ですので 戦うクルマの勝てそうな野性味はまだ感じませんが、同じくロイ・ランが開発担当だったMustang I と近いものを感じます。 私が最初にフォードGTを話題に出した際、#101 prototype と同時にこのMustang I も載せましたが、私はこの頃の実験的な雰囲気が好きで、 実際にレースを戦ったマーク1、2よりも個人的にはずっと惹かれます。
……。ミウラとフォードGTの板を立ち上げてみて、やはりけっこうとっつきにくい話題で何か書こうとしても億劫になりますよね。 ぜひ新しい今時のテーマを立ち上げてください。 |
|
えーと、新しいテーマではないですが、ちょっとだけ関連するので書いておこうと思います。
“フォードGTとミウラ” と比べると些末な話なので、面白半分で聞いてもらえればいい程度ですが、 ガンディーニ氏が50〜60年代レースカーに多少とも霊感を得ていたのではないかというもうひとつの例として、 フォードGTの開発のベースとなったローラMk6 GTと、あのストラトスを挙げたいと思います。
・まずテールランプ回り、円を分割したランプユニット(ローラのはフォード・コーティナの流用っぽい)とテールランプ周囲の面。 ・フロントから回り込んだサイドウィンドウの形状。 ・フロントフェンダーの処理。(但しローラMk6 GTのメコム・レーシング版)
以上、まったく些細で何の影響力もないですが。
ストラトスは突出してオリジナリティの高い傑作デザインだと私は思っています。 あの立体が貫通し合っているようなデザインは唯一無二としか言いようがありませんよ、今更ですが。 |
|
ひとつ前の投稿をしてからすぐ気づいたのですが、ストラトスのサイドウィンドウの後ろのエア・インテークの処理は フォードGTとよく似ていますね! |
|
もう少し調べてみました。
フォードとフェラーリの交渉決裂後すぐフォードGTの開発がスタートし、直後に最初のモックアップが制作されたのはあり得ない早さですよね。 やはり数年前から開発が進んでいた、 Mustang I (1962) のプロジェクトがベースとなっていたようです。 Mustang I はレースカーではなく、ミッドシップ・スポーツとして市販を目指したコンセプトカーでしたが、小排気量とはいえ中身はほとんど準レーシングカーでした。 プロトタイプに続き、1962年5月に “Mustang I クーペ” のプロジェクトが開始されたのですが、それがフェラーリ買収の交渉決裂後にフォードGT開発へとつながったようです。 Mustang I のミッドシップ・スポーツとしての生産化の話は、構造が複雑だったこともあり最後まで経営陣の承認が得られず実現しませんでした。
いわゆるマスタングとしては開発は別途続けられ、Mustang II コンセプトの後、生産型のマスタングが大ヒットしたことはご存知の通りです。 DADAさんのアップしてくださったモックアップはどこかマスタング・マッハ1の雰囲気がありますね。
これらのプロジェクトに関わったフォードのデザイナーとして Phil Clark、Eugene Bordinat、John Najjar 氏らの名前が挙がっています。
最後の写真はフィル・クラーク氏による フォード・カプリのデザイン・モックアップ。 氏は若くして亡くなられたそうですが、キャリアをスタートしたGM時代にラリー・シノダのチームでモンザGTのプロジェクトにも関わったそうです。 ムスタングのあの野生の馬のエンブレムは氏がデザインしたものであることはよく知られています。
因みに2枚目の画像の上側の元画像をサンプルにGoogle画像検索すると、Lamborghini Miura であると認識され類似画像は全てミウラでした。
|
|
DADA 2020年5月15日(金) 18:24
|
[修正] |
a-kricaさん 1962年Ford Mustang ConceptがGT40のルーツだという事ですね。 (私がアップしたGT40クレイモデルのホイールはMustang Conceptのホイールに酷似)
私事で恐縮ですが、(以前も書かせてもらったことがありますが、) この車には強い思い入れがあります。 私が小4か小5の頃、何故か家に『62年のアメリカ車』というB5サイズくらいの小さいけれどアルバムみたいに厚い表紙の本がありまして、何気なくページを開いた瞬間、私の脳に電流が走りました。『なんじゃこれは!!!』『ウソ!世界にはこんな未来の車があるのか!!』 当時TV番組『サンセット77』に出てくるゴージャスで羽の生えたアメ車に憧れはあったのですが、この本に載っているMustagConceptやシボレーTESTUDEはそれらとも次元が違い過ぎる。 DADA少年の頭はトリップ状態に・・・・
62年当時近所で見かける車といえばマツダやダイハツのオート三輪車やバスだけ。時折見かける乗用車は観音開きのクラウンくらいでしたから。 私がカーデザインに夢中になったきっかけがこのMustangとTesutudoなんです。
余談ですが随分あとになってこの書籍が若き日の小林彰太郎氏が自費出版した貴重な書籍だと知りました。小林氏はこの個人的出版が上層部の怒りを買い、勤めていたモーターマガジン(だったでしょうか)を辞職、高島氏らと共同で全く新しい自動車雑誌『モトラマ』を立ち上げることになった。ところがこの『モトラマ』がすでに商標登録されており、カーグラフィックに改名してあの伝説的な雑誌が誕生した。 つまりこの書籍が発刊されなければCGは生まれてこなかったかも・・という話です。 (因みに突然この本が気になってアマゾンで検索したところ、3冊発見、さきほど一番程度のよさそうなやつを注文してしまいました。¥7,800也)
ところで私が永い間気になっていたのがこのMustangConceptと大ヒットしたMustng Mach1とのイメージの乖離です。 かたや未来的で先進的なミッドスポーツでありながら生産車はロングノーズのマッスルカー。コンセプトカーと全く共通点を見いだせず意味不明のままでした。 今回、FORD Mustang ConceptUの画像を発見、なるほどa-kricaさんのアップしてくれたカプリと同じ、後部のダクト風処理がポイント(ミッド風の名残)だったのかと納得した次第です。 フロントエンドをウェッジにしたいけど、ラジエターグリルをちゃんとつけなきゃならないし、ライトは付けたくないけどそうもいかないし・・・ おそらくデザインチームは大いに悩みぬいたと推測しますが、(生産車はデザイン的には随分中途半端になったけど)これが大ヒットしたのですからカーデザインは面白いですね。
こちらのBBSに参加される皆さんのほとんどの方はアメ車の話に興味がないようなのですが実は宗教(キリスト教とイスラム教)と同じようで、アメリカンデザインはイタリアンデザインと根っこが繋がっていると考えています。 1960年代に一度枝分かれして2000年代にまた収束していったような。
最後の画像はCorvetteではありませんよ。同じFordデザインチームのCougerConceptです。
|
|
DADAさん
>Couger Conceptです。 写真を見た覚えはありますがノーマークでした。Cougar II concept 、ムスタングと同時期に開発されていたんですね。 完成度高いですがやはりちょっとコルベットっぽいですね。調べてみましたが、コルベットっぽく見えることもあって開発はムスタングに一本化されたとか。 因みにムスタングも名前がムスタングに決まる前、開発中にクーガーと呼ばれていてグリル中央のエンブレムが山猫だったと。 派生デザインで XP Bordinat Cobra concept (1965) というオープンモデルも検討されたようで、塗色のせいか更に魅力的に見えます。これはもったいなかったかな! 他にAllegro Concept (1963)というのもあったようで興味深く。
前回DADAさんが画像をあげてくださったフォードGTのモックアップを、どこかマスタング・マッハ1の雰囲気があると言いましたが、 マッハ1というよりは Mustang fastback、あるいは Shelby G.T. 350 と言ったほうがもっと近かったです。 画像をあげましたがムスタング・ファストバック、私はかっこいいと思いますがここでは場違いかもしれません。
>アメリカンデザインはイタリアンデザインと根っこが繋がっていると考えています。 それはとても興味深いテーマだと思います。
話は戻ってそのフォードGTのモックアップですが、それもムスタングとして制作されたものだったのかもしれないと思い始めています。 けっこう後までミッドシップのムスタングも開発を続けられていたように思えます。最近見つけたモックアップ写真をアップします。 詳細は不明ですが Mustang GT44(あるいはGT46?)と言われるモデルです。 写真では撮影の日付が不鮮明ですが、元のサイトでは本当かどうか1964年2月頃のものとされていました。Mustang II concpt より後ですね。 ホワイトリボンタイヤなど見ても明らかにロードバージョンとして検討されています。カッコいいかちょっと微妙ですが…。 これがムスタングGTとして市販されていたら、GT40のレース活動はプロモーションとしてもっとダイレクトだったでしょうね。 ムスタングとフォードGTは思っている以上に分かち難い両輪のプロジェクトだったようです。 |
|
>家に『62年のアメリカ車』
Mustang I concept をリアルタイムでみられていましたか! 私は人生をスタートしたかどうかという時期でしたが、『サンセット77』と『ベンケーシー』のオープニングだけは微かに憶えています。 ストーリーを追えるような歳ではなく、オープニングが始まる時間が寝る時間でした。『母さんは28年型』なんてありましたね、そっちはもう少し憶えています。 私には歳の離れた上の兄弟がいて、幼いながらその環境のなかフォードGTや第1期ホンダF1のリアルタイムに近い記憶もあります。 ル・マンやCAN-AMが何なのか知るのは少し後ですが、家にあった雑誌やスロットカーなどの模型から、スポーツカーやレースカーのビジュアルはよく目にしていました。
当時の私にとってフォードGTは好きというよりとにかく印象の強いレースカーでした。良さがわかってきたのは比較的最近です。 当時、より印象的でかっこいいと思っていたのは Ferrari 275P (1964) なんです。 『フォードvsフェラーリ』でフォードGTが優勝する1966年の前年のル・マン優勝車ですが、そんな知識もなく、主に当時人気のあったモノグラムのスロットカーを見て感化されてました。 Mustang I concept 同様の整流効果のありそうなロールバーをもつミッドシップ・オープンで、後ろ姿がセクシーですよね。レースの現場感を残し洗練されきってない感はややありますが。 Mustang I の影響があるかもしれないと思っていましたが、275Pのひとつ前の世代、フロントエンジンの330TR(1962)でも同様のロールバーが見られましたからそれはなさそうです。
『フォードvsフェラーリ』のDVDのレンタル・販売が始まったようですね。映画を見逃したなら是非! その映画のなかで、ル・マンの予選時だったかケン・マイルズの「美人コンテストなら(フェラーリに)完敗だな」の台詞がありましたが、あぁやっぱりな…、と思いつつがっかりしてしまいました。実話なのかな。 私はフォードGTやフェラーリ275P、同時代のポルシェはよく覚えています。リアルタイムよりは少し後ですが。 一方Ferrari 330P の印象・記憶はほとんどなく、知るのはけっこう大人になってからです。 ル・マンなどの海外レースをリアルタイムで見ていたわけでも知っていたわけでもなく、断片的に写真や模型を見る世界がほぼ全てという範囲内での話ですが。 そう思うのは私だけかもしれませんが Ferrari 330P3/P4の印象はル・マンで優勝できなかったからか当時どちらかといえば影が薄く、史上最も美しいレースカーと賞賛されるのは後のことではなかったでしょうか。 プラモデルが出始めたのも比較的最近のような。 フォードGTは新しく、圧倒的存在感だったと思うなぁ…。
『革新vs普遍美』みたいな。 私はスーパーカー世代ではありませんが、カウンタックとフェラーリBB (365GT/4BB, 512BB) みたいな。 子供にとっては「凄さ」が正義でありアイドルで、「良いものを見せてもらった感」がありがたみになるのは大人になってからみたいな…。(子供は正直) ランボルギーニvsフェラーリ、ベルトーネ(ガンディーニ)vsピニンファリーナも相似形かもしれません。そんな単純じゃありませんが。 舌足らずでたいへん申し訳ありません。うまく書けません、加筆修正するかも。
話は変わりますが、『フォードvsフェラーリ』では本来 Ferrari 330P3 であるのをあえて Ferrari 330P4 のレプリカを使用して撮影されたのではないかと思い始めています。
更に全く別の話ですが、1年ほど前のAuto&Design誌の記事にあったらしいのですが、 ジウジアーロ氏が偽名を使い1963年の同誌(当時のStyle Auto誌)の創刊のために、Chevrolet Corvair Monza GT のイラストを当時描いていたということ、ご存知でしたか? 世界最初の自動車デザイン誌の創刊にあたりいくつかのイラスト制作依頼が氏にあったそうですが、当時ベルトーネに在籍していたため本名を使えず 母親の旧姓Sibillaに由来した、ポールシビレ(Paul Sybille)という名前で掲載されたということです。 Monza GT は1962年にすでに発表されており、御大がデザインに関与したとかそんな話では全くなさそうですが、珍しいケースですよね。 添付したイラストの他に、モノクロの別アングル3枚のイラストが見られました。 ‘62年に描かれたとういことで、御大がちょうど Chevrolet Corvair Testudo(1963) を産み出す間際だと思います。 |
|
長々と失礼します、最後です。 Mustang I concept ですが、やはり先進的でしたね。 アップした写真はおなじみの Pininfarina Alfa Romeo P33 Roadster(1968), Bertone Autobianchi Runabout(1969)(と Fiat X1/9), ItalDesign Alfa Romeo Alfasud Caimano(1971) でいずれも大好きです。 直接影響されたかどうかはわかりませんが、Mustang I concept がそれらの先駆であったとは間違いなく言えると思います。
|
|
前の投稿での「330Pの影が薄かった」なんて、あるわけないですね。ばかでした。 お好きな人多いと思いますが、たいへん失礼しました。 私のなかでの子供の頃の偏った記憶によるものです。
当時のマテル社ディーラーズ・カタログ、イタリア向け1973年版を載せます。いわゆる Hot Wheels です、参考まで。 最初のページで数多くのラインナップの中からカスタムカー、ホットロッド的なモデルを除いた当時の少年向け人気モデルらが。
Ferrari CanAm, Lamborghini Miura, Chaparral, Ford MK II, Mustang Boss 302, Alfa Romeo 33/3, Porsche Carrera, Ferrari P4, Ferrari 512S, Mercedes C111
他にも Abarth 695ss や Toyota 2000 GT, Lotus Europa など色々ありましたが。
|
|
DADA 2020年6月2日(火) 17:36
|
[修正] |
a-kricaさん > Mustang GT44(あるいはGT46?)と言われるモデル
これは凄い発見ですね、驚きました。 貴重な資料だと思います。 当時のFordの役員にはミッドシップ推進派が少なからずいたのですね。
これが市販されていればアメリカンデザインも違った方向に進んでいて ひょっとしてアメリカが世界のトレンドセッターになっていたかも・・ でもそれではつまらないか・・・
>Chevrolet Corvair Monza GT 一目で御大のスケッチとわかりますね。 これも驚きです。 御大のアメ車のスケッチはほんとうに珍しいと思います。 仕事というより楽しみながら生き生きと描いている感じがとてもいいですね。 MONZAはフェンダーラインがもうちょっとエッジが立っている印象ですが、少し丸い感じに描いているのは当時の彼の好み(カングーロぽい)が反映されているのかも。 偽名というのがちょっと笑えます。
|
|
DADAさん
>一目で御大のスケッチとわかりますね。
ほんとですね。でも掲載時は御大の画風は知られてなかったですし、時の流れに紛れて気づかれなかったのかも。 Style Auto誌を揃えてらっしゃるutidaさんなら見ることができるかもしれません。utidaさん、どうされてますか?
GMは欧州での販促目的で、コーヴェアをベース車両として供給するなどピニンファリーナ/ベルトーネ両社とは交流があったようで、 ピニンファリーナもコーヴェアの一連のデザインスタディを発表していますね。添付は1962 Chevrolet Corvair coupe、ピニンファリーナらしいですね、美しいです。 御大とGMの間にももう少しストーリーがありそうな気もします。モンザGTとテスチュードのキャノピーの開き方が同じなど、ちょっと気になりますよね。 テスチュードについてもいつか触れてみたいです。
>当時の彼の好み(カングーロぽい)が反映されているのかも。
鋭いですね。 私の見た元記事の中でも「彼の絵は、彼の傑作の1つであるカングーロのコンセプトを早期に表現したと見ることができる。(Google翻訳)」とありました。
今になって、再び過去ログ BBS log3 あたりを読み返してみました。 やはりあちこち非常に興味深いです、さすがですね。Monza GT もutidaさんにより俎上に載せられてたり。 以前見逃していて今回気づいたのは、くろださんの以下の発言で >ミウラは人気のクルマですが、「カーデザイン史的には別に…」という冷めた評価がここのBBSのみなさんにも多いですが、私もおおむねそんな感じです。 ああそうだったんですね、今更ですが皆さんミウラには無条件に熱い思いがあったのだと思っていました。
Monza GT なんですが、そのオープン版のMonza SS の方は生産化直前まで進んでいたのがマスタングの成功によって中止されたと何かに書いてありました。 Monza SS といえば、最初はロールバーの無い非常にすっきりきれいなラインの車でしたが、 すぐあと1963年のモデルでは Ferrari 275P や Mustang I のような平たい断面のロールバーが追加され、Monza SS には似合わなくて私はがっかりなんです。 このロールバーのアイデアはこの頃の多くのデザイナーが同時に思いついた流行なんでしょう。 比較的最近では、ダッジ・バイパーなんてありましたね。
相変わらず古い話になってしまいました、若い人にはピンとこないか〜。
最後に60年代から活躍するイラスト界のレジェンド、ケン・ダリソン氏による、フォード/シェルビー車のイラストを載せておきます。(GT350にはMILESの文字が) 抜群のタッチ! |
|
|