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    ash   2018年5月12日(土) 2:37     Mail
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 フラム・ボワイヤン:   ASURA-style   2018年2月11日(日) 14:07   
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アールヌーボーとアールデコの迫間に咲いた
【フラムボワイヤン】=……火焔樹と言う意味もあるようですね。

隣のスレでも、ふつふつと沸き起こっておりましたが、
あるサイトで、マツダのセンティアが既にコレの流れがあるのではとありましたが、
マツダに限らずBMWであっても、またアンチBMWであってもバンパーレスやフェンダーの再独立を空力の為に追究すると、もうコレは避けて通れない状況にあるのではないかと、思われます。

このような先例無くして、新しい生命感や躍動感は再生しないのではないか、これからのクルマデザインには、必須では無いかと思われます。

私も、よくは解りません。教えてくださいませんか?


    ASURA-style   2018年2月19日(月) 19:32    [修正]
センティアが、どうしてフラムボワイヤンかはわかりませんが、

今話題に揚がって居ますクリスバングル氏のBMWの布製ボディの提案なんて、飛行船みたいなフラムボワイヤンを感じてましたが、
どうでしょうかね?

いやいや、バングルさんのどれを観ても、内面から張り出して来る飛行船の要素が強いような気がします。

    utida   2018年2月21日(水) 0:04    [修正]
>センティア
マツダ・センティアがフラムボワイヤンだというのは非常に理解できます。

フラムボワイヤン様式はフランスの富豪たちがコンクールデレガンスで美しさと豪華さを競った様式美だと理解しています。その美は空力とは無関係で純粋に美のための形や装飾です。マツダはそういう美しさの追求を昔からしていますよね。社風なんだと思います。

センティアもまさにそれで、その曲面の繊細な優雅さは空力とは無関係に美を求めた結果でしょう。考え方はフラムボワイアンのそれです。ビジョンシリーズもその気があると思います。それが好きな人と好きでない人がいて、マツダは好みが分かれやすいメーカーだと思います。好きになるとマツダ車しか買えなくなるでしょうけれど嫌いならマツダに嫌悪感すら抱くでしょう。私の知り合い(別に車好きではない人)がマツダ車だけは買わないというのでなぜか聞きましたところ、マツダ車は車じゃないからと言いました。真意は聞かなかったのですが生理的にだめみたいな感じだと思いました。私もその感覚はよくわかります。

マツダは削った先に美が残るのです。車でなく美が残る。それは車としてどうなのかと最近の魂動デザインでも思います。フェラーリを削っていったら何が残るでしょうか。きっと速さの追求が残るでしょう。

>布製コンセプトカー
バングル氏の布製コンセプトカーは確か形が変化できるというコンセプトだったと思いますが車が柔らかい材質でできているというのはあまり理解ができませんね・・斬新すぎる、100年くらい先を行ってるのかもしれませんけどね。

    ASURA-style   2018年2月21日(水) 18:12    [修正]
私のほうは、画像が載りませんが取り敢えず。

早めに回答戴き、有り難うございます。
特にutida さんにはこちらのスレに返信しようか、DADAさんの延長スレにしようか迷って居ましたが、その間を埋めるような返信を頂けました。

まさか、utida さんがその様なマツダ嫌いの発言を鮮明にされるとは思えなかったのです。これ迄私の書き方が気に入られないと思って居たのですが、そうではなく根本的な先入観さえもお持ちの様なんで、逆に安心しました。

全くのボタンの掛け違いが、あるようですね。

美から機能に至る のと、機能から美に到る とか、その様な言葉で観念概念を規定して仕舞えるものなのでしょうか?
utidaさんの車の機能とは何でしょうか?トヨタには在ってマツダに無いというのは、機能の捉え方ひとつで、簡単にひっくり返りますよ。
utidaさんの云われる機能とは、
utidaさんの好きなFiat にもTOYOTAにも、共通に備わっているものでしょうか?
私ならFiat にもMazda にも備わっていて、TOYOTAには備わっていないことを即座に挙げることが出来ますよ。それを機能とは私は思いませんがね。
機能と聴いてピンと来たのが 空力 なんですが、トヨタのデザイナーはお粗末なデザインをすると直ぐに空力を持ち出して、空力が為した形体だから仕方がありませんと逃げるんですよね。
どの車種のことを云ってるのか判るでしょう。
何もトヨタの全否定をしてはいないのですよ。
例えば
往年のマークUと呼ばれた七割は好きでしたよ。
セリカなら八割がた気に入ってましたよ。
トヨタ800、2000GTやソアラ、セラは百%かも知れません。
プリウスも国内生産台数で云えば六割の型式は好きでした。
先代プリウスはそれこそフラムボワイヤンに成りつつあると満足してました。
どうして、
utidaさんは、TOYOTAやMazda の話題になると新車のことに限られるのですかね。

それもFiat もTOYOTAも、現在Mazda と提携関係に
近親憎悪ですかね?

(随分加筆するところと成りました)

★どんどん反論書いて頂いていいのですが、但し、
此処では、そのマツダvsトヨタうんぬんの話題はやめましょうよ。

たまたま偶々、センティアMSー9が引き合いに出されてたのに過ぎませんから。
私のほうから、隣のスレッドに振り分けますから、連合軍?のDADAさんにも参加頂いて、シコリの無いようにディベートしましょうよ。

「 後付け 」の理念と言われたアウディの1フレームの事柄がありましたが、私から云わせてもらえば、偶々 機能 と云う言葉を矮小化して、都合の好い事柄だけに当てはめたら、その様なことになりますね(=^x^=)。
偶々空気力学イコール機能と唯一無二のように扱う姿勢や、美と云う概念も安直に軽々に言い抜けができるものではないと思う訳です。

> それは車としてどうなのかと最近の魂動デザインでも思います。フェラーリを削っていったら何が残るでしょうか。きっと速さの追求が残るでしょう。
#
魂動デザインがお嫌いのようですが、私もそれで満足している訳もないですし、比較の問題なだけです。
クルマとしてどうなの?と云うことなら、その対抗馬には、私ならトヨタはあげませんね。同じようなことをかつては日産系や、少し後のホンダ系の人達が云ってましたし、外車ではアウディ系の人達が言ってましたね。
その場合はクルマとしてのトヨタはどうなの?って感じで、まさか、トヨタ党の方にマツダが非難されるとは、思ってもいませんでしたよ。
例えば、ハイブリッドハイブリッドと云ってるけど、キーンルックとかステイタスとか云ってるけど、クルマとしてはどうなの?って、訳です。

フェラーリに付いても、本当にそうでしょうか?
私なんか、フェラーリを削っていったら、速さの追究 が残るとはとっても思ってませんね。
もしそうだとするならば、美意識としての 速さの追究 であって、けして 機能 としての速さの追究ではないと思いますよ。もしそうだとしたら、とおの昔にフェラーリは、滅びて居ましたよ。

何を機能として、ナニを美とするかは、簡単に軽々には言えないものですし、その方の人生観にも拠るでしょうし、
好き嫌いの方便としてそのような言い回しは、私には言えないものです。
たとえば、
フェラーリを挙げてでなければ、賛同できるところは在りますよ。
喩えば、ホンダですね。
かつてのホンダを誉め讃えることでは、さほど人後に落ちないだろうと思う私にも、
最近の上級車メーカーとしてのホンダデザイン掘り起こしには、ガッカリしています。このような状況だったら、削って行ったら、速さの追究しか残っていなかったのかと思ってしまいます。

今のホンダに比べたらマツダなんて、できないものはどんどん撤退して、OEMに任せてしまって、得意分野に特化して、将に削り削ぎ落として、その分野の本格派に成ろうとして居ます。私は惜しんでいますが、道具としてのクルマ作りを諦めてしまって居ます。
ソノクセ、「Be a driver」なんて、自動車教習所連盟みたいなスローガンをかかげて、やっています。
「Fun to drive」のメーカーの母屋を取ってしまった、ようじゃないですか。

センティアのフラムボワイヤンの解釈、有り難うございます。

そういう解釈の上だったのですか。

センティアと言わないで、MSー9と云われれば判ったかも知れませんね。
嘗ての徳大寺某氏が、「何処にも似ていない」と持上げたクルマでしたね。

空気力学を無視したデザインだとは言ってなかったですよ。

それならば、utidaさんは、バングル氏のBMWの提案も、「取るに足らない・訳の解らぬフラムボワイヤン」と、切り捨てているのですか?

>布製のコンセプトカー→ 100年後の未来
#とんでもない誤解ですよ。
カービング・モデリングのボディワークの、眼からウロコのたいへんな思量を与えてくれる提言じゃないですか。

クルマの機能とは、デザインとは、空気力学だと、短絡されているとしか思えませんね。

取り敢えず、マツダデザインのオーソドックス・ラジカルな側面が、トヨタ党の方々に脅威となっていることに、満足して居ます。

そのような反論は、どんどんお願いします。
周囲のトヨタ党の面々は、販売台数だけで勝った負けたとやって、デザイン論で反って来ませんからね。クイズ・100人に聴きました みたいな引出しでは収まらない事柄を問題にして貰いたいですね。
先日、TVのコメンテーターが云ってましたよ。
「数値化することは議論を進める上で価値あることだが、数字を操るのは、ペテン師の常套手段なのだ」とね。
とはいえトヨタデザイン。特にプリウス・レクサス関連
空気力学を盾にデザインを放棄して、自らのアイデンティティを見うしなって、ゴタゴタと辻褄合わせで後から後から付け足しの負のデザインから、C-HRヒットでやっと脱出できそうなんで、ご祝辞申し上げます。

    utida   2018年2月22日(木) 0:55    [修正]
結論から申しますとASURA-styleさんと私の考えは同じです。

>美から機能に至るのと、機能から美に到るとか、その様な言葉
>クルマの機能とは、デザインとは、空気力学だと、短絡されているとしか思えませんね。

私は上記のようなことは言っておりませんがどこかにそう書いてあるのでしょうか。
勘違いをなさっておられます。
そして私の文章は勘違いを誘うような文章だったなと反省しております。

私は車のデザイン、美は空力だけではないと考えています。むしろ空力の美への影響は小さいと考えていますし機能美というものもあまり関係ないと考えています。

勘違いを誘ってしまった理由もだいたいわかったような気がしますのでこれから書いてみますので読んでみてください。

まずASURA-styleさんの言葉「コレ」というのは「フラムボワイヤン」でよろしいですか。
そうしますとASURA-styleさんの言葉「バンパーレスやフェンダーの再独立を空力の為に追究すると、もうコレ(フラムボワイヤン)は避けて通れない状況にあるのではないかと思われます。」
というのがあります。よって、

空力=フラムボワイヤン(ASURA-styleさん)

と言われていると思います。それに対して私の言葉「その美(フラムボワイヤン)は空力とは無関係で純粋に美のための形や装飾です。」つまり、

フラムボワイヤン≠空力

と言いました。次に私の言葉「センティアもまさにそれで、その曲面の繊細な優雅さは空力とは無関係に美を求めた結果でしょう。考え方はフラムボワイアンのそれです。」つまり、

センティア=フラムボワイヤン≠空力

です。次に私の言葉「マツダは削った先に美が残るのです。車でなく美が残る。それは車としてどうなのか」と言いましたのでマツダの”車としての機能美”の否定と感じられます(ここも勘違いされやすいところです。ここでいう車は機能とか機能美ではなく”車感”なのですが、ここでは機能美とか機能と思われたのではないかと推測して機能美とします。)

マツダ≠機能美

です。ここで
センティア=マツダとすると、

センティア≠空力
センティア≠機能美

となります。言葉で表すと、
センティアは空力ではなく、且つ機能美ではない。つまり空力でないものは機能美ではない、従って空力は機能美である、となります。このような思考をされたのではないでしょうか?違っていたらすみません。

もしそうだとするともう一度読んでいただきたいのですが私は空力が機能美だとは言ってはおりません。
センティア=マツダというすり変わりの勘違いがなされ、マツダ批判がセンティア批判にすり変わり、センティアが空力でないというところから空力でないことの批判、つまり空力肯定、を私がしている、という勘違いをなされたのではないでしょうか。自分の文章と文脈からそんな勘違いを誘発する可能性は高いなと自分でも思いました。

次に私は「フェラーリを削っていったら何が残るでしょうか。きっと速さの追求が残るでしょう。」と言いました。もし私が空力が美だと考えているならば、もっと直球で「フェラーリを削っていったら何が残るでしょうか。きっと空力が残るでしょう」とか「速さという機能が残るでしょう」と言っていると思います。しかし「速さの追求」という勘違いされやすいような言い方をしてしまいました。これは私にも落ち度がありました。もっと正確に言うならば、美意識としての速さの追究 であって、けして 機能としての速さの追究ではない、のです。要は追求の意識とか意思、意気込み、狙い、目的、みたいなものです。けして機能ではないのです。

つまりASURA-styleさんと私の考えは同じです。

説明がへたですみませんがご理解いただけたでしょうか?


次に一つお教えください。
バングルの布製コンセプトカーについてですが、「取るに足らないフラムボワイヤンと、切り捨てているのですか?」とおっしゃられていますが、私はその車がフラムボワイヤンだと思ってもいませんし言ってもいません。

私の言葉は「車が柔らかい材質でできているというのはあまり理解ができませんね・・斬新すぎる」です。
これがどうして「取るに足らないフラムボワイヤンと、切り捨てている」ことになるのか理解できません。ご教授をお願いします。

    ASURA-style   2018年2月22日(木) 19:00    [修正]
早めにまた、回答返信を頂けましたので、
こちらも、かいつまんで(実は相当詳しく書き込んで居ましたが、私のスマホは他からの着信で、中断している間に消えてしまいましたので)、早めに感謝の返信だけ、送っておきます。

マツダは、クルマとしての機能はどうなの?
まぁ、この内容は、このスレでなくても良いでしょう。
それに
フラムボワイヤン自体の解釈も、解離が見られ進展がないようですし、
云ってる処が同じと云われるのなら、マツダうんぬんは、おいおいで佳いでしょう。
私も、アタマよくないですから、そんな東大方式で問い詰められても。

私の家の喪中も、四十九日を過ぎて一段落付きました。
喪中に浮揺遊離してくる由なし事は、ろくな結果にはなりませんからね。

ひとつだけ申し上げると、utida さんの現在のスタンスが余りに、数年前のスタンスから離れられて、こちらも充分咀嚼出来ないようになりましたよ。
今のbunbunさんのほうが過去のutidaさんみたいに思えます。キャラ、代わりましたかね?
永い時間が経ちました。追々の話にしましょう。お気になさらないでください。

MS_9のデザインは、
独創的ではあっても、どう考えても空力無視だとは思えませんね。
フラムボワイヤンのwikipedia記述も、とても十全とは思えませんね。あてにならないですよ。
私も過去に1車種のwikipediaを編集して、現在でもその80%は、其のまま残って居ます。ましてフラムボワイヤンのような概念の解釈なんぞは多方面からの手が入らないと、誤解の元でしょう。

現に、書いてあったサイトもMSー9のフラムボワイヤン振りを、誉め讃えていますからね。
そういえば
頂いたMSー9画像が載るかどうか、再度送ってみます。
それには既にヤリスヴィッツの愛らしい口元がそこには具現化されてました。コヴォス氏も、この頃のインターンだったのでしょうか。

ーーーああ、またダメでした。失礼します。

    ASURA-style   2018年2月23日(金) 19:34    [修正]
> 空力=フラムボワイヤン

#なんて、思ってやしませんて。

そんなことになるなら、今のプリウスだってクラウンだって、フラムボワイヤンになってますよ。

フラムボワイヤンとは、
私なりに解釈すると、数字にも数式にも表れない、人間のエモーションのようなものではないかと思えるのですよ。
情念の世界とも言い換られるかもしれませんが、フラムボワイヤンは日本語にすると、火焔型・火の玉形体とか、矮小化すれば一頃流行したアメリカ車の火焔模様にもなるかもしれません。
ただ、その場合の火焔とは単に炎の形体ではなく、イマジネーションの形体だと云うわけです。空力を無視した と短絡した解釈があるかもしれないですが、また実際に結果的にそうなってしまった形体まで含めてしまっただけであり、本来は今の時代のような数値化する以前の、速く走りそうな形体、スピードをイメージさせる形状ではないかと想うのです。
その意味では、フランスの上流階級で過激にもてはやされたフラムボワイヤンは、アメリカ流に翻訳されたのが、戦後のロケット状の羽根・翼、フィンですね。

空を飛ぶ訳でも、まっすぐ走るだけ、でもないのに、翼があったほうがワクワクして扇情的だろうと、見馴れると、それが無いとオカシクなるように当時の人たちは、思ったのですよ。好景気に浮かれていたんでしょうね。
しかし、それとてほとんどが空力上がそんなに間違って居たわけでもなく、整流板形体であり、異様に大きくなったアメリカ車のような長大なトランクがあったから、スペースがあれば着ければよかっただけで、トランクの小さいヨーロッパ車や日本車には似合わなかったのでしょうね。
暫く前の"スワローテール"も、その控え目なオマージュでしょう。

フラムボワイヤン=火焔形状に話を戻すと、
日本には縄紋式土器と弥生式土器があると社会の授業で教わったものですよね。
縄文式な中に、火焔土器 と呼ばれる一群の壺・土器群がありますね。
そして専ら、加持祈祷の装具としてエモーションの産物だったと一般的にされています。
では、弥生式土器にはエモーションが無いのかというと、そんなことはないのですが、ご存知のように今の神道世界には、清らかな抑えたエモーションとして受け継がれています。
現代では、縄文・火焔形状模様が頻繁に現れるのは、山岳信仰や稲荷神社・密教系の仏教でしょうか。

話を戻して、センティアMSー9がフラムボワイヤンだと書いたかたは、借り物でない、メイドインジャパンの、(清らかな)情念の世界を体現しており、
その流れをアメリカ人の、クリス・バングル氏もドイツのBMWの中に、発見したのではないでしょうか。
何故なら、単に空力の数値を上げる為だったら、あんなBMWアイデンティティの曲線は要らないですよね。
utidaさんは勘違いされていますが、
剰りにツルンとしてしまってデザイナーとしてサイドエレベーションを色彩で描いてしまったり、ナニかモノ足らないのは、エモーション表現ではないかと思う訳です。
その思いでバングル氏は可能性のあるBMWに亘り、色彩だけではなく形状のウネリ・反りで、ドイツのエモーションを表したのではないでしょうか。
そして、あるとき突然に閃いたんだと思います。
昔の布張り航空機のような自由な形体変化のバラエティは、竹ひごの様なしなやかな線材と帆布の張力で、ほとんど強度計算無しにもたらされるのではないか!
そしてその造形には、おのずと空力を極端に悪化させない秘密があるのではないか!
それなら、変幻自在のエモーション表現もできる!

これは、多分に私の希望的観測・仮説でありまして、いくらでも反論の余地は在ろうかと思います。

単に、エキセントリックなフォルムをまとったとしても、空力測定から導かれたとしても、人のエモーションに合致しないフォルムは、フラムボワイヤンどころか、自由自由闊達な造形でもありませんね。

後でアルファーロメオ解釈のフラムボワイヤンを揚げることになると思います。

DADAさんに確認して、前々項のサイドエレベーションとは、そのフラムボワイヤンの様なエモーショナル形状模様なのだと知って、このスレを興しました。

ヨロシクお願いします。

このスレに似合う上手い画像があれば、どうぞお願いします。




    ASURA-style   2018年2月26日(月) 16:13    [修正]
珍しく画像が載りましたので、
それについての論旨のみ挙げておきます。

私(私にとって)のフラムボワイヤン解釈は、風洞実験やタフトのなたびきに拠るような空力測定から導かれる特定のフォルムではなく、人の感覚や情念から導かれる 風のフォルム 所謂 流線型 です。

最近、その・流線型 ・風のフォルム。
珍しくそのことを感じさせる 自由なボディワークのムーディ?な造形のクルマが出てきましたので、掲げておきます。

判り易い処ではフロントフェンダー、テールの絞りこみ……
…C-HRby TOYOTA。

ひょっとしたら、これがフラボヤだと言い出すのは、ここが初めてかもですねw。
utida さんにも伝わると思いますが。皆さんも如何ですか?

どうも、クルマでは観念の転換は難しいかもですので、
バイク二輪車のフラムボワイヤンを、次回は載せたいと思います。どちらかというと C-HRのボワイヤンは、二輪車から導かれた匂いがしますからね。・・・・・・私の眼が曇ってなければ。

また、今回の様に画像(たっぷり集めてあります)が載ればですので、祈って見てください。まぁその分野に詳しい方がたばかりかもしれませんが。


    ASURA-style   2018年3月3日(土) 22:14    [修正]
どうしても画像が載りません。
残念ですが、仕方ないのでアールデコ・フラムボワイヤンの2輪車バイクの記事をコピペで載せておきます。
画像はその名称で検索して眺めてください。
そうBMWはフラムボワイヤンデザインの歴史を刻んでいたんですね。

アールデコなBMW
2009/07/25 23:57:54

ちょっと、オカタイお話が二度続きましたので、ここは私の得意な二輪ネタでちょっと息抜き・・・
実は私、今回紹介するモーターサイクルの、その美しさのあまり、息止めて見つめました。 それは1934年に作られたBMWの ボクサーツイン・プロトタイプ・モー ターサイクル。 そう、時は1930年代、アールデコの最中、その芸術運動の影響は四輪のデザインの世界にも波及し、ブガッ ティ、ドラージュなどフランス超高級車がフラムボワイヤン(火炎)様式で美しさを 競っておりました将に同じ頃、二輪の世界でBMWはアールデコの至宝と云っても過言ではないほどの美しいマシン を作っていたそうなんです。

ネットで見つけるまで、このマシン知らなかった) しかも、そのマシンは2005年に 発見されるまで、バラバラ状態で70 年間も箱に入れられたままだったので す。そして今年の3月に大掛かりなレストアが終わり、晴れて再び作られた 当時の美しい姿を披露してくれています。 その名をBMW R7 Prototype。
フォークはガーターフォークに見えて実はテレスコ、フレームのラインに 沿って斜めに切り落とされた消音機のエンドの意匠、勿論伝統のピンストも ばっちりなのだ。 能書きはこのくらいで・美しいデザインをじっくりご覧くだされ。
#
そうBMWはフラムボワイヤンデザインの歴史を刻んでいたんですね。
それ故に、バングル氏ならずとも、デザインがブレないのですよ。

    DADA   2018年3月15日(木) 21:25    [修正]
ちょっとだけ参加します。
フラムボワイヤン
私も定義はよくはわかりませんがフラムが英語のフレームでしょうから炎みたいな様式ってことですかね。多分に装飾的な意味合いが強い感じがします。
アウディTTを模範とするバウハウスデザインの対局ですかね。
私のイメージするのはドライエみたいな車ですが、現代の車ならズバリ!トヨタシエンタじゃないですか?

まあトヨタ車はすべてそんな要素もってますよね。
レクサスもしかり、というかプリウスなんかPHVを含めて、フラムなんとかよりレトロフューチャーに近いかも。昔描いた未来の乗り物っぽいです。

マツダセンティア
昔からピニンや日産デザインはお尻を下げ丸みをおびたエレガントなリヤビューのモデルはいくつもありまして、(2代目トーラス、セーブルとか)おそらく50〜60年代のジャガーに範をとったものでしょうが、センティアはそれらとはまったく違いますね。
お尻が垂れているのでなくバーンと張ってます。これがフラムボワイヤン?
ボディ後半から張り出すボリューム感はもう『女体』です。
フルボディというか『エロ』いボディです。私も好きでした。

そういえばこのセンティアにアレルギー反応を示した国を御存じですか。
それはお隣の韓国、当時たしかマツダ車のOEM生産をしていた起亜自動車から、猛烈なクレームが来たことがありました。
起亜は今こそそれなりの自動車メーカーとして大きな顔してますが、少し前まではマツダから車の作り方を学びながらボンゴのOEM生産で食ってた会社です。
(因みに現代自動車はおそらくランサーベースのポニーとデリカバンで食ってました。)
起亜のフラッグシップになる予定だったセンティアが、かの国では全く受け入れられず大騒ぎになりました。
これがわずか4年でただのオバサン風(おじさん風?アマティ風?)2代目センティアにとってかわってしまった理由のひとつです。
彼らはシュッとしたK-POPのオネーチャン風でないと理解できない国民性みたいです。
韓国のせいでセンティアは終わっちゃいました。
残念・・・・・そういえば豊満なコリアンタレント見たことないな。

    DADA   2018年2月15日(木) 7:41   
[修正]
見にくいのでまたまたお引越ししますね。

a-kricaさん  
当時オペル最少であったコルサをさらに10pシュリンクさせようとスタートしたジュニアプロジェクトですが
結局生産化されませんでしたけれど、モチーフは新コルサに生かされましたね。
でもやはりジュニアの方が凝縮された機能美があり断然いいです。

>Juniorのインテリアデザインはなんとオペル時代のクリス・バングルによるものでした。知ってました?

全く知りませんでした。バングルがオペルデザインにいたなんて意外でしたね。
児玉さんの書かれた分厚い本『Hideo Kodama Designer』を紐解いたところ、
内装のデザインはバングルやヒルデブランド(Gert Hildebrand 後のニューミニのデザイナー)達の若手が
嬉々としてやっていたとの記述がありました。

キュービックのいろんな計器類は、意匠のおもしろさだけではなく、
オーナーの好みで配置できるというコンセプトだったみたいです。

機能的で直線を多用した内装と、バイクの丸いフェアリングのような曲面のボディとの対比が児玉さんの狙いだったようですね。

utidaさん
>ところでクーペフィアット今もお持ちなんでしたっけ?
黄色いクーペフィアットとは2年ほど前に泣く泣くお別れしました。(トホ!)

どうしても欲しいという方が現れまして。

頭の片隅に浮気心といいますか『ひょとして最後の御大(らしい)作品、愛しのブレラの頭金に・・・なんて妄想が起きてしまいまして』
でもこちらは当分実現しそうもないです。

utidaさんの600とアルファ146はご健在でしょうか?

ASURA-styleさん
>シングルフレームグリル論議の結論
まったくUtidaさんに同感です。でもバルケッタもシングルフレームになってましたから日本とドイツだけではなかったです。


    utida   2018年2月18日(日) 0:31    [修正]
>黄色いクーペフィアットとは2年ほど前に泣く泣くお別れしました。
>utidaさんの600とアルファ146はご健在でしょうか?
そうでしたか、お気持ち察します。私も146は同じくちょうど2年ほど前に手放しました。電気系統がもう寿命でだめでお金がかかるようになってきてしまったのです。。600は車検を切って4年になり土に帰りそうな状態です。トホホ。

しかしクーペフィアットも146もバングルですね。バングル偉大也。。

>愛しのブレラの頭金に・・・なんて妄想が起きてしまいまして
なんか同じこと考えてますよ。私も146の次をどうするか考えていた時、ブレラがまじめに候補でした。中古で200万くらいになってましたので。で、中古車を見に行ったのです。ところが内装がかっこよくない。それでやめました。ブレラの内装って御大なのでしょうか?

そして現状相応としては車無しの生活にするか中古の軽にしようと思いました。そんな時、146を手放しても、生活が苦しくても、欲しい車ってなんだろうと妄想したのですが、それは現行フィアット500でツインエアエンジンでマニュアルミッションで左ハンドルでカブリオレで色は600と同じ淡いグリーンで幌はベージュ、それだったら146の代わりになるな、しかしそんなの仕様として無いしあったとしても高くて買えないし、妄想妄想、アハハハ、なんて思ってました。
ところがその1週間後くらいにふとグーを見ていたら上記の妄想とまったく同じ仕様のフィアット500が安い値段で売りに出されているではありませんか。あっけにとられた私は実車も見ずに電話で買いますと言っていました。この時ばかりは引き寄せの法則とか思いはかなうとかのスピリチュアル系のことはあるのかもしれないと思いましたね。。というわけで今はフィアット500cに乗っています。

DADAさんはクーペフィアットの後釜は何でしょうか?
ブレラは現在においてもこれを超えるデザインの車は出ていないと思いますし(ほんとにない。カーデザイナーはなにをやっておるのだ・・というかブレラがすごすぎるのか)、値段的に買い時だと思います。

    a-krica   2018年2月18日(日) 15:50     Mail [修正]
>DADAさま
『Hideo Kodama Designer』、あの2冊組の本ですね。
古本で探してみようかと思います。
児玉氏は、ここの常連の大内さんらと『自動車アート7人展』を毎年開催していますね。
ドイツ在住でご多忙なのか、ここのところ欠席されているようですが。

私は色気あるフォトジェニックな車にも惹かれますが、プロダクトデザイン的なアプローチのコンパクトカーは好きですね。
写真は言わずと知れたFiat Panda (1980~)__御大のIDセンスがボディ内外に遺憾なく発揮された傑作ですね。
実は私、かつて所有していました。セリエ2ですが。

インテリアはファブリックの棚の上に四角いメーターナセルと灰皿がストンとのっている感じで、モダンそのものですね。
バングル氏が意識したのかどうかはわかりませんが、ジュニアのインテリアはこの影響も受けていそうです。
Innovater風のシートも、パンダのハンモックシートを想わせます。

そんなことを書いているうち…
何だかパンダとジュニア、外観も似て見えてきました。どうでしょう、そうでもないですか?

そういえばオペルでキャリアをスタートしたバングル氏、次期パンダのデザインをしたくてフィアットに移ったと何かに書いてあったのを思い出しました。
何らかのプロポーザルはあってもそれは実現せず、パンダは長期モデルとなっていったとか…。

最後の写真はバングル氏の最新作、中国CHTCの REDS (2017 nov.)です。
「Revolutionary Electric Dream Space」なんだそうです。
氏らしく、かなり風変わりですね。

    utida   2018年2月18日(日) 23:54    [修正]
パンダいいですね。私の友人も所有しており結構乗らせてもらいました。
とにかく外見もインテリアもモダンでした。

ところで本日は湘南tサイトにてモーニングクルーズというカーイベントがあり、朝行ってみました。テーマはルノーでして、古いところではキャトル、から最新のトゥインゴまで数十台が集まっており楽しめました。
しかしその中で一番感心したのはやはりサンクです。
1972年式でこのパッケージとスタイリング。車を超えたデザインであることをコマーシャル写真が示しています。パンダより8年早いので御大にも影響を与えたのではないでしょうか。
やはり70年代というのはカーデザインの黄金期であったのでしょう。

    ASURA-style   2018年2月19日(月) 4:16    [修正]
話を戻しますね。自分で総轄しておきながら、自信が無くなって来ました。

トヨタの一般サルーンでの、singleframeグリルの始めはレクサスとクラウンではどちらが早かったのでしたっけ。

それから、アルファのようなやり方は1gle frameグリルと云えるんでしょうかね?
クーペフィアットも1frameの範疇だそうですが。

>Juniorのインテリアデザインはなんとオペル 時代のクリス・バングルによるものでした。 知ってました?
>> キュービックのいろんな計器類は、意匠のおもしろさだけではなく、 オーナーの好みで配置できるというコンセプト だったみたいです。
#
これなんかの考え方が面白いと云うか、シンプルな内装を考えて行けば必然的にこうなりますよね。ちょっと前までモジュールと云うか、1din2dinサイズで殆どやってましたからね。それにオートエアコンとかみたいなワイヤー・ステー無しの補器類がどんどん増えてますからね。
ただ、現代の常識では、助手席側のエアーバッグをどうするかでしょうが。

画像は来年辺りのクラウンのコンセプトのようです。

しかしこんなにCピラーは細くするんでしょうかね。これって所謂fivedoorじゃないですよね。クラウンって、5ドアってイメージがないですけど。

    a-krica   2018年2月19日(月) 22:16     Mail [修正]
utidaさん
湘南T-SITE、お近いのですか?
私も本を探しに時々行くのですが、イベントはまめにチェックしていなくてモーニングクルーズは見たことないのです。
この日も気づいたのが夕方頃で行けませんでした。きれいな白いサンクが来ていたようですね。

サンクはいいですよね。
utidaさんのあげてくださった写真を見ると、パンダも相当影響を受けただろうことがよくわかります。
インテリアの写真は私の知っているサンクのものと違っていてオリジナルはこうだったんだと思いました。
ずいぶん先取りしていますね。

傑作車、ですね。確か永島譲治氏署『名車の残像』に氏のルノー時代に絡めて語られていたと思うので、
ゆっくり紐解いてみたいと思います。

わたし実はけっこうな間ルノーに乗っていたこともあるんです。
いろいろありましたが気に入っていました。

写真はパリの街に映えるきれいな色のサンク。

そしてイタリア・モダンデザインの黄金時代の自動車といえばの600(または500)。

    utida   2018年2月20日(火) 1:34    [修正]
>ASURA-styleさん
>クラウン・・しかしこんなにCピラーは細くするんでしょうかね
cピラー細いですね・・
クラウンはcピラーの太さがクラウンの特徴だったのに思い切ったものです。
cピラーを細くすると軽快感がでますから若返りを図ったのでしょう。
「いつかはクラウン」のころの高度経済成長期、一億総中流の時代は、カローラからだんだんと買い替えて部長に昇進してクラウンがゴール。いい時代でした。いまやグローバリズムと非正規雇用により格差社会となり地道な努力は報われません。そして若い人がITで「いきなりクラウン」です。いやレクサスかな。いやベントレーかな。とにかく努力すれば報われるという時代は終わり、また車はステータスの地位を手に入れつつあります。クラウンも若い富裕層に訴求せねばならないということでしょう。

>a-kricaさん
>湘南T-SITE、お近いのですか?
車で15分くらいです。お近くなのですか?
モーニングクルーズはテーマが面白そうなときはできるだけ見に行きたく思っています。なかなか都合がつかない時が多いですけれど。何年か前にはカーライフラボという別棟があって常に車の展示やイベントをやっておりすばらしかったです。今はもうありませんが。

>わたし実はけっこうな間ルノーに乗っていたこともあるんです。
いいですねえ、私はフランス車は乗ったことがないです。憧れますね。

>イタリア・モダンデザインの黄金時代の自動車といえばの600
うう、実家で土に帰ろうとしている600を思い出し泣きそうです。。
きれいな車だなあ600.。
イタリアモダンデザインと言えばルノー5よりさらに1年早い1971年、フィアット127が出ていますね。サンクにそっくりかも。実にクリーンです。これがデザインというものですね。ちなみにデザインはイタリアを代表する現代彫刻家ジャコモ・マンズーの息子ピオ・マンズー。フィアットでカーデザイナーをやっていました。車は彫刻であるというわけです。

    DADA   2018年2月20日(火) 18:02    [修正]
>ルノーサンク
wikipediaによると
デザインは、世界初となる樹脂バンパーを前後に備えた3ドアのハッチバックスタイルで、5発表直前にこの世を去ったルノー社内デザイナー、ミシェル・ブエ(Michel Bouë )がほぼ独力で作業したものと言われている

知りませんでした。utidaさんがアップされた画像の人物でしょうか。
泣かせる話です。
サンクは思い切りルノーっぽいデザインで大好きですが、ガンディー二の手がけたシュペール5もモダンでいいですがこちらはやはりイタリア車に見えます。



余談ですが70年代初頭にすでにウレタンバンパーだったとは凄い。

昔、友人の初代ビッツが接触事故を起こし、なんとバンパーがウレタンでなく鉄製であったことが判明しビックリしたことを思い出しました。
ビッツってローコストの塊だったのかも。
初期型はシングルフレームにするコストがなかったりして・・・

それにしても今かっこいいと感じる車たちはみな2ドア(プラス1ドア)ばかり。

いまや絶滅危惧種ですが新しいカテゴリーにならないもんでしょうか。

utidaさん。フィアット500のカブリオレですか。これも2ドアですね。
 羨ましいです。
いつかUPして下さい。

    ASURA-style   2018年2月25日(日) 15:29    [修正]
●まだこのスレでもシングルフレームやってますよね(笑)。

なんか、前のスレで、和田さん はいったい何をやったのか?って気になってましたが、

和田さんが最初に描いたシングルフレームアウディA6(1枚目画像)は、今観てもとても良いですね。抑制が効いてアウディの伝統も感じさせます。

また蒸し返すことに成りますが、ヴィッツにも通じる清楚感が溢れてますよ。

ーーーーーーーDADAさん、初代のヴィッツが鉄のバンパーだったってホントですか?
でもね、いくらなんでもコスパの為ではないでしょう!
鉄って最初ワカラナかったわけですから、鉄のプレス板にプラスチックでシールコートしてあったんじゃないですかね。逆に奢った装備で、ボディ側の衝突安全策だったんじゃないですか?
確かに、フランス車はバンパーのプラ化は早かったですが、日本車だって、けして遅くはなく、トヨタなら二代目セリカ辺りでは既にプラスチックバンパーではなかったですかね。(あえてウレタンとは書かないのは、その前後で他の素材も種々試されたからです)

今回は
アウディに於ける和田さんの貢献度を探り深めるべく、
和田さんの対談集等を紹介しておきます。

…………………………………………
川島:つまりデザインとは、「新しい=売れるもの」と?

和田:その通りです。低迷している現状を打破するには、他とは違った「斬新で売れるデザイン」を、外部デザイナーに依頼すればいいという考えなのです。明確なポリシーも哲学もなく、単に金儲けのための商売をしているように感じてしまいます。

川島:団塊世代からその上の世代と言うと、 60代半ばから70代前半の方たちですね。戦後から右肩上がりに市場が成長してきた時代を、原体験として持っている人たちです。何もないところから市場ができた時代。だから「新しいもの=良いもの」という価値観を引きずっているのかもしれません。
モノが 余りまくっている今、時代はとっくに、次のステージに移っているのだけど。

和田:そうなんです。僕は今年52歳。日産自動車で仕事を始めたのが80年代前半から バブルにかけてですから、高度成長末期の空気を知っています。日産ではシニアデザイ ナーとして主にエクステリアのデザインを担当していました。その後、イギリス留学後、 ドイツに行ってアウディのデザイナーとして働いて、日本とドイツの「自動車に対する考え方の違い」を目の当たりにして、ものすごくびっくりした。もし、日産にそのままいたら、僕もまた先ほど触れた日本の経営者やデザイナーと同様「デザインは新しくなくっちゃダメなんだ」と思い続けていたかもしれ ません。

川島:経営者はともかく、日本のデザイナーもまた、どうして「新しい」にこだわるのでしょうか?

和田:これは、デザイナー教育の問題も絡んでくる話なのですが、日本の社会って、新し いことが偉いことのように評価しがちで、古いことをネガティブにとらえる傾向があるんですね。

川島:クルマのデザイナーの世界でも?

★デザイナーが恐れる「お前のデザイン、普通だな」

和田:そうです。だから、クルマのデザイナーが最も恐れる言葉は「お前のデザイン、 普通だな」です。

川島:本当ですか?

和田:オーソドックスで美しいデザインを描いたとしても、「誰が描いたんだよ、この普通のクルマの絵は? これじゃ何のためにデザインをやっているのかわからないぞ」と上司に頭ごなしに否定される。これが、日本の 自動車メーカーのデザインの現実です。

川島:では、ドイツのアウディではどうだったのですか?


htp://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140901/270640/%3FST%3Dsmart&sa=U&ved=2ahUKEwi7ooDyosDZAhXMurwKHYQeDLQQFjABegQIChAB&usg=AOvVaw3FvEoKzD9XCQBaAbNxfFzl

SWdesign | Design Future | 外から観た 日本
2-- 付加価値としてのデザイン、全体価値としてのデザイン

かつてドイツでデザイン活動をし、あらためて日本のクルマを見てみると、とても グラフィックな処理が多いいことに気がつきます。
その内情も私は経験してきたわけですが、主に、一つは日本の法規や環境から来る理由でボリュームを取りづらい枠の中で、何か違ったものを求めると必然的にグラフィックな処理に走るがちです。また次から次へと新車を排出する日本のマーケットの中で、常に斬新さ を求められるわけですからやむを得ない傾向であることは理解できます。
しかしながらそれゆえにクルマにボリューム感がなく、どちらかというとタイヤとボディのバランスが悪く、
少々過ぎた言い方かもしれませんが、それでいて顔とおしりはこれでもかというぐらいにがんばっている、、、時として、斬新さとは求められる価値ではありますが、概して表層的になりがちで、新しさゆえに深みを出せないのが今の日本車の傾向だと思います。

ヨーロッパのモノの創り方は、デザインだけではなく人の暮らしも共通していますが、問題を表面的にとらえるのではなく、根本から解決しようとする努力が見られます。
常に骨格から変える努力がありその証拠に例えばクルマのホイール ベースを変えることは日常茶飯事で、またすべてに合格点を出すような手法は とっていないように思われます。
すべての項目で合格点を求めると大きな飛躍は求められない。
大きな軸を変える事でシンプルで最も大きな飛躍を遂げるのです。
デザイン的に付け加えるようなやり方はせず、
根本的なデザインの基軸の善し悪しがすべてを決定付けるのです。

実際私のアウディでの仕事の90%はそのプロポーションに時間を取り,
後の20%が新しさの為のクリエイティビティに費やされました。
日本でのデザインの仕事は、その逆なのではないでしょうか。

アウディでの仕事の進め方はとても割り切ったターゲットの求め方で、
すなわち デザインの解釈が、
付加価値としてのデザインではなく、全体価値としてのデザイン。
ヨーロッパにおけるクルマの創り方は、こんなところに基軸があるように感じました。
このことはクルマのデザインだけの傾向ではないと考えます。

2010.01.16|13:56|DE

バーレシェーンハイト、美しい絶対機能美、アウディのオリジン,フェルナンド•ポルシェデザインのAuto Union Type C(1930年)

SWdesign | Design Future 011| バーレシェーンハイト

バーレシェーンハイト、このドイツ語の意味は、心のそこから美しいもの、それはにせものではなく人が生きていく上で 本当のもの という意味です。

"本当に美しいものは人を幸せにする"

ドイツ人はとても厳しいが一方、うそをつきません。
とても厳しい社会ですがその精神がうそのない本質的なものを生み出すのだと思います。
美しさとは概して 厳しさの中にあるのかもしれません。
そして本来、日本にもあった概念なのかもしれません。

私はドイツに行きいろいろなことを教わりました。
それはデザイン以上に人とその社会と自然、そしてそのことが多く私のデザインに影響していることを感じています。

デザインは人やそれを取り巻く社会に対して責任を持たなくてはいけません、
しかしデザインはいかなる苦境のときにおいても、人々に微笑みかけ、人の幸せの何か役立つものでなければいけません。

個人的なアートの演出や一時的な快楽ではないことを再認識しなければならないのです。
今の時代、デザインはスタイリングや表層的事象であってはいけません、
やり過ぎは人や社会を病気にします。

モダンデザインは時としてその社会のアンチテーゼになることがしばしばでした が、それは求めようとするデザインとリアリティとしての社会や人とのギャップ でもあったわけです。
このギャップを埋 める解決をしなければ本当のデザインは ありえないのです。

今デザインがしなければいけないことは、"ある"無意味な消費社会の手助けをする事ではなく、永い目でみた 人や人の暮らしを考えなければいけない ということです。
見た目の変化だけがデザインではなく、もっと自然や社会や人の暮らしに浸透するような行為でなければいけないことを自覚しています。

よいものとは自然でありながら、
特に過ぎたことはせず、自然に暮らしに溶け込み生き続けること、
言い換えればそれがバーレシェーンハイト、本当の美しさと考えています、

2010.01.09|20:21|DES


●二枚目画像

※えっこれがアウディの新シングルフレーム?八角形?------ダミー?

エエーッ!どっかに毒されて、アウディの美意識、失なってませんか?

和田さんも嘆きませんか!ねぇ?

    ASURA-style   2018年3月2日(金) 2:35    [修正]
画像がまた載りませんで失礼します。

>a-kricaさん

ごあいさつだけで、充分な書き込みをしませんで失礼をしております。

以前はタヌキ参加だったとかの書き込みですが、ナニか他人でないような気がします。
それは何かというと、画像の種類や傾向にかつての参加者と随分共通点がある事です。
先ず普段は捜せないような画像を次々連発で載せられる事です。
そして、ひょっとしたら同じような雑誌から、ご自分でスキャンされているようだと云うわけです。

勿論、他人の空似と云うこともありますが、
私もDADAさんに告白しましたが、スマホからでないガラケイ時代から有料ソフト(アプリ)を通して、ミウラ談義の頃から書き込みをしておりました。どうしても、事情でPCからの参加が出来なかったからです。
何度か、書き込みIDネームを代えて参加しております関係で、馴染みも無いように感じられるでしょうが、そんな訳で、お願いがもうひとつあります。

博識ぶりは充分窺えますので、
宜しければねもうひとつのスレッド「フラムボワイヤン」についても、書き込みをお願いしたいのです。
どうも、wikipedia等の記述が、本来のフラムボワイヤンの核心に触れられて無いように感じられますので、何となくご年配の方のような気がしますから、頼らせて戴きます。ヨロシクお願いします。

utida さんから隣のスレッドで、
マツダのクルマ全般?に「車感」が希薄だと言う指摘を受けました。
正直、私のVocabulaireの中には、車感 と言う単語は存在して居ませんでした。同じ音節の、「車観 」なら、在ります。
どちらも概念的な定義なくして、話し合いは不可能だと思いますし、車観 が 在ってこそ、または 車感 なくして、その対語は語れないものだと思われます。
当然、車観または車感は、人が言い放つことは容易ですが、理解しあい共有しあうのは、とても難しいものと思います。

今回は、トヨタ車とマツダ車の「車感」がディベートされ初めて居ます。

お互い、その様な漠然とした話でなく、具体的に典型車種を挙げ合って、ここの部分はマツダとトヨタでは大違いだと、指摘しあいましょうよ。

平行線で放置すれば、辞める罷めるでhappyな結末は来ないと思いますが、DADAさんが御許し戴けるなら、此方に移植させて貰います。

当然、マ社とト社だけの事柄に終わらない、飛躍すればフ社とラ社にも飛び火するかもですが、抑制をお互い効かせながら、善い経験をしましょうよ。

斯様な論点整理がされるのならば、どなたでも本音で語り合えれば、成功でしょう!

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