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 BMWの3Dモデル   Kuga Eikichi   2020年10月8日(木) 22:00    HP Mail
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これは本物のBMWの3Dモデル?3Dプリントするのはどれくらい大変なのでしょうか?
www.artec3d.com/ja/3d-models/car

    DADA   2020年1月13日(月) 17:31   
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a-kricaさん
>テステュード?   
またやっちゃいました。もちろんカングーロですよ。
この頃歳のせいか勘違い3連発でスミマセン。

この、世界に1台しかないカングーロと、おそらくこれも1台しかなかったテスチュードがテスト走行中にクラッシュして2台共全損になった話は本当でしょうか。
本当ならジウジアーロにとっても(人類にとっても)何と不運な出来事だったでしょう。

幸いどちらも莫大な費用と情熱をもって完全に修復して下さる方が現れてよかったと思います。
この2台にはそれだけの価値があるという事ですね。

私がアバルトミュージアムに行った時は伝説のカングーロもDINO 206Sもありました。
カングーロのドナーのAlfa TZもあったような。

この時、BBS常連だった大内誠さんと現地で合流予定だったのですが、大内さんが高速大渋滞で大幅に遅れ、あいにく帰路ですれ違い挨拶になってしまいました。

しかし、館内では大内さんの(多少の)知り合いだと知ったからか、小阪さん自身から長時間に渡りいろんな面白いお話しをしていただきました。

何せチョーのつくお金持ちの方ですから気難しいイメージをもっていたのですが、大変気さな人柄でびっくりしました。

ジウジアーロが来館した話、
ピニンから1/5スケールくらいのモデューロのモデルを贈られた話、
カングーロの復刻に2億円かかっちゃった話

DINO 206Sのオークションに、世界的に有名なデザイナー(ベネトンか誰か忘れましたが)と競争になり落札するのに5億円もかかった話、

この間の誕生日プレゼントにデ・トマソ・マングスタを贈られた話等々。

その銀色のマングスタが会場の隅に置かれ、間近で見せてもらいました。
40年ぶり位に見たマングスタの前で私も涙出そうでしたよ。

1年に1度くらいは山中湖に行くので様子を見るのですが、残念ながら今はずっと閉館しているみたいです。


    a-krica   2020年1月21日(火) 23:27     Mail [修正]
DADAさん
>世界に1台しかないカングーロと、おそらくこれも1台しかなかったテスチュードがテスト走行中にクラッシュして2台共全損になった話は本当でしょうか。

本当のようですね。
ENGINE誌 2008.2月〜5月号で連載された「アルファロメオ・カングーロ物語」にその辺り含め、かなり詳しく書かれています。それによれば、
  1966年(1965年12月との説も)、モンツァでのテスチュードのプロモーションフィルムの撮影時、カングーロもその場に持って行かれた。
  あるジャーナリストがカングーロの試乗をせがみ、テスチュードと同じ方向で走行するつもりが濃霧のせいで逆走してしまったのに気付かず正面衝突した。
  テスチュードの被害は小さく修復はたやすかったが、カングーロの3次元フレームと大破したフロントの修復は困難で、
  すでに生産化の見込みがなくジウジアーロ氏がギアに移籍した直後でもあり放置された。
  事故の顛末を知ったヌッチオ氏は激怒し、変わり果てたカングーロを「私の前に二度と持ってくるな、見たくない。」と言った。

ということです。ENGINE誌のこの連載を私は最初本屋でさわりだけ立ち読みしたのですが、とても興味深くて時間が経ってからブックオフでまとめて買っておきました。
連載の最後に大内誠氏による、カングーロの素晴らしい透視図と作画手順の解説も掲載されていました。
描くためにイタリアまで行って現地取材されたらしいですね。

年末にたまたま出かけたイベントでデッドストック本のお店があって、児玉英雄氏の作品集とカースタイリング別冊の「世紀のカーデザイナー・ジウジアーロ」(2014)を格安で買えました。
児玉氏の本は前から欲しかったのですが、新品をあり得ないような値段で買えよかったです。
児玉氏が描いたカングーロのイラストを以前なんかで見てとても印象に残っていたのですが、買った作品集には残念ながら載っていませんでした。
児玉氏と大内氏らが毎年開催出品していた「自動車アート7人展」はここ2、3年途絶えているようですね。行ったことはないのですが。
もう1冊の「世紀のカーデザイナー・ジウジアーロ」は割と最近の出版で、“ミウラ論争”についても少し触れられています。
新しい事実が明らかにされるような記事ではありませんが興味深かったですよ。
この正月にはカースタイリング別冊「ジュジャーロ・デザイン II」(1997)をブックオフで新品同様で見つけ、やはりあり得ない値段で、更にセール価格20%オフで買いました。
内容はクルマよりもプロダクトデザインがメインでしたがお買い得でした。
というわけで最近収穫がけっこうあります。歳なのか最近は発掘が楽くなってきました。

>小坂さん
>何せチョーのつくお金持ちの方ですから

ギャラリーアバルト美術館のホールから中ほどに外に出る口がありますよね。
外に出た脇のところで青いランチアのクラシックカーをメンテしている小坂氏から気さくに話しかけられたことがあります。
二言三言だけで内容は覚えていませんが。感じのよい、かっこいい人でした。
それにしてもグラフィックデザイン、パッケージの仕事、売れっ子でもそんな儲かる仕事じゃないと思いますがすごいお金持ちですよね。
物質的な存在の重さに耐えきれず、取るに足りない印刷物やジャンクしか所有できない自分とは全然スケールが違う。

>40年ぶり位に見たマングスタの前で

いいですね、マングスタ。とてもモダンで野生的。
そしてカングーロ。どこにも大げさなところがなくニュートラルなモダンさがあって、柔和でかわいい。フラッシュサーフェスさは今見ても新しい。
最近じわじわきています。このクルマが好きっていうくらいがいちばん粋なのかなって気がするくらい。

先日『フォードvsフェラーリ』観てきました。
プロトタイプにフロントリフトの問題が発見されたら、次にはマーク2が登場するような感じで
事実を丁寧に追うよりは、シェルビー氏とドライバーのマイルズがフォードGTの最初から最後までを開発したように見えるくらい二人中心のドラマでしたが、
省略はあったとしても非常によかったです、いい映画でした。レースシーンも楽しめました。
そして何より60年代の空気感がリアルに再現されていました、そんな映画が好きなんですよね。最近では『ドリーム(Hidden Figures)』、『ファースト・マン』とか。

長々と失礼しました。

    DADA   2020年1月22日(水) 17:17    [修正]
a-kricaさん

カングーロとテスチュードの事故の顛末、初めて知りました。
ありがとうございました。
この頃車関係の雑誌はあまり読まなくなりましたけど、やはり知識の源泉は書籍ですよね。
ネットで得た記憶は知識にはなりにくくてただの情報にすぎない事が多いです。

このカングーロの取材にイタリアまで行かれた大内さん、お元気ですか。
よかったらこの時のお話をお聞かせ願えませんか?

Utidaさんはこの頃お会いになってませんか?


>チョーのつくお金持ち

小阪さんがおっしゃっていましたが、コレクションを維持することは実は大変な仕事のようです。
車の価値は日々変動するなかで、一台の本当のお気に入りを維持するために、数台の(普通の)お気に入りを手放すことがあるとか。

凡人には到底縁のない悩みですけど。



『フォードvsフェラーリ』
もう見られたのですね。
私も久しぶりに見たい映画です。

若い頃映画館で見た、スティーブマックイーンの『栄光のルマン』を思い出します。

    utida   2020年1月23日(木) 0:45     Mail [修正]
なかなか書き込みのためのまとまった時間が取れず失礼しております。

>Utidaさんはこの頃お会いになってませんか?

小〇氏ですか?美術館で何度かお話うかがったことがありました。
スーパーお金持ちですがきさくに話しかけていただけました。。

実はこちらでカングーロレストア批判を書いたのですが事情があり消したことがあるんですよね。。カングーロ級になるともはやクラッシュ状態のままで保管すべきみたいなことを書いたんですよ、時効と思って書きますが。。

ひとつひとつの話題に書き込みしたいですが、また後程・・

    DADA   2020年1月25日(土) 15:13    [修正]
>utidaさん
小〇氏ですか?

いや大内さんです。以前、自動車アート7人展(でした?)で大内さんと会ったとかいう話を聞いたような・・・・
また私の勘違いかも・・
失礼しました。

    utida   2020年2月2日(日) 2:26     Mail [修正]
>DADAさん
>いや大内さんです・・また私の勘違いかも・・

いや大丈夫です、そういうこと書きましたよ!当時大内さんとこちらで知り
合い、7人展もいきましたしラフェスタ等の車イベントで待ち合わせて会ったり、メールで日常的にお話させていただいたりしていました。しかしここのところすっかりご無沙汰で失礼をしてしまっている状態です。。でも毎月のイラストレイテッドを見ていてお元気にご活躍されているのはわかっていますので。

    a-krica   2020年2月8日(土) 13:35     Mail [修正]
カングーロを話題にしてからじわじわきていて、古いミニカーを持っていたことを思い出し押入れの段ボールを開くとすぐ見つかりました。
私が大人になって、自分でミニカーを買えるようになった頃に買ったポリトーイの1/43 ダイキャストモデルです。
1965年製でこの頃のポリトーイは出来が非常に良かったようですね。私は20年ほど経過した中古を当時買ったのですが。

開けて見るのも20年ぶり以上ですが、こんなにかっこよかったのか!と改めて思いました。モデルとしてもカングーロとしても。
カングーロのミニカーが欲しくて買ったというよりは、このミニカーを見てきれいだなーと思って買ったのですが。
見ていると、カングーロの良さは写真ではなかなか伝わらないだろうなと思えてきました。
DADAさんは実車を見られたんですよね、羨ましい! しかしカングーロ、生産すればよかったのに勿体ないな〜。

また押入れに仕舞ってしまうので写真に撮っておきました。窓辺の自然光でさっと撮ったもので塗装の光沢感がうまく出てないですが。

>アバルトミュージアムに行った時は伝説のカングーロもDINO 206Sもありました。

アバルトミュージアムに来ていたのはずっとディーノ206コンペティツィオーネだと思っていました。私も勘違いが多いです。

>utidaさん
>カングーロ級になるともはやクラッシュ状態のままで保管すべきみたいな

私も本棚に並べたボロボロのジャンクミニカーを眺めながらそのようなことを考えたことがあります。
造られてからの時間の経過や破損もそのものの価値でツルピカの復元に白けることありますよね、建造物とか。
でも今回のカングーロ、小坂氏らの成し遂げたことは素晴らしいと思います。私の見たいカングーロはやはりこちら(復元後)ですよ。

ついでですが、Ford GT prototype/101 も初期のテストのクラッシュで失われ現存しないはずなんですよね。
同じ形だった#102もどんどんモディファイされ、すぐにあの形ではなくなったはずなんです。
でも『フォード vs フェラーリ』では後々までシェルビーのファクトリーの中央で2台とも初期のツルピカの状態でメンテされているのはどうなんだろう、
なんてちょっとだけ思いました。どうでもいいですが。

    a-krica   2020年2月8日(土) 13:37     Mail [修正]
せっかくなのでポリトーイのカングーロの写真、もう少し載っけさせてください。

    a-krica   2020年2月8日(土) 13:41     Mail [修正]
『フォード vs フェラーリ』なんですが、前にも少し書きましたが撮影のために正確には34台ほど高性能なレプリカが制作されたということですね。
15台のフェラーリに5台のポルシェ、12台のフォードGT、その他アストンマーティンDBR1など。
その世界一セクシーなレースカーと言われるフェラーリ330なんですが、映画の中のクルマは私のイメージするフェラーリ330P3に比べ微妙にムッチリ感が足らないような気がしたんですよね。
330P3/P4の写真をまじまじと見たことはなかったんですが。

タイヤとフェンダーのクリアランスとか些細な差があるのかなくらいに思って画像検索したり比較してみると、
’66 ル・マンの330P3の#20, #21のいい画像がなかなか見つからなかったのですが、全体的にもディティールもけっこう違ってましたね。
まず気づくのはキャノピー部とサイドウィンドーで膨らみ具合が違い、映画のはやや頭が尖って見えました。
サイドウィンドーがルーフトップにかなり回り込むくらい広げられ、太いシルバーの枠やスライドする小窓も省略されていました。
フロントノーズ/ライト周りは’66 ル・マンのとは違い、’66〜67の各レースのP3/P4の各仕様の折衷のようで省略も各部見られましたね。
フェンダーミラー、ステーも違いリアフェンダーからテールにかけての量感も気のせいか若干違うように見えます。
しかしフェラーリそれ程映りませんし、映画を見る限りは気づないことばかりで意味ない指摘ですが、こんな楽しみ方もあるのかと。

『フォード vs フェラーリ』、まだご覧になる前でしたら余計な話でした。

>『栄光のル・マン』

マックィーン! 私も当時観ました。『フォード vs フェラーリ』よりもレース中心の映画でしたね。ほぼ全て実車を使って撮影されたんですよね。
今、あらためてWikipediaなどを見るとまた興味深いことが書いてあって、カメラカーにフォードGTを使って撮影されたとかいろいろ。
私は映画少年ではありませんでしたが、当時『バニシング・ポイント』とか『グライド・イン・ブルー』とかは観ました。

    utida   2020年3月7日(土) 2:45     Mail [修正]
うう 風邪をひいたようなのですがコロナかもということで謹慎中です・・うう・・

みなさん大丈夫ですか

    a-krica   2020年3月8日(日) 20:16     Mail [修正]
>utidaさん
だいじょうぶですよ、風邪でしょう。
私は今、自宅で仕事していますのであまり心配してません。
そのうちまた投稿したいと思いますが、独りよがりな投稿ばかりしていたので様子見ていました。映画どころじゃなかったですね。

…不謹慎にもおやじギャグの画像でスミマセン。
最後の画像はこんな時期なので渋谷の写真展を観に行くのはやめたソール・ライター。写真集だけ買いましたが素晴らしいです。

気を付けて、お大事にしてください。

    utida   2020年3月8日(日) 22:32    [修正]
ここだけの話 実はイタ○アへ旅行してまして 
現地で少し調子崩して帰国後すぐ発熱しました
今症状収まり謹慎しています 私は雇われ人なので社会復帰できるのか心配です

ソールライターは私も行く予定でしたがあきらめました

この機会に書き込みしたいです


    DADA   2020年3月12日(木) 17:39    [修正]
utidaさん
>ここだけの話 実はイタ○アへ旅行してまして ・・・
マ!マ!マジですか?

でも大丈夫ですよ。皆さん大騒ぎし過ぎです。
もしかかってもただの、今までになかったタイプのインフルエンザに過ぎないです。
高齢者でなければ普通は治ります。

この新型コロナRT40だったでしょうか。 私小学生の時、我が家の最初のマイカーでした。
それにしてもアイシスといい、トヨタはついてないですね。

    utida   2020年3月12日(木) 22:45     Mail [修正]
> a-kricaさん
>DADAさん

マジです。。いってまいりました ローマオンリーですけど。

でまだイタリアは感染者が3人とかいってたころでして、日本より安全じゃないかとおもっていました。 

ミウラの勉強をしてきました。

帰国の次の日に発熱したのですが、1日で発熱は収まってしまい・・風邪だと思うんですけどね正直なところ。。でも医者指示で2週間の謹慎です。ちなみにPCR検査は受けられませんでした。

>おやじギャグの画像
>我が家の最初のマイカー

うちもそうでした!
しかも初代でした。真っ赤なコロナ、幼稚園にも行ってないころだと思います。記憶ありませんが写真が残っています(添付はネット画像です)

・・アイシスって何かありましたっけ?

う、『フォード vs フェラーリ』見逃しました。。
いまユーチューブですこし見ましたが速すぎて車がよくわからない・・
レンタルでたら見ようと思います。
しかしGT40のかみつき加減がいいですね、デザインとあっている。。
こういうふうに走っていたんですね。
クロード・ルルーシュ監督のランデヴーのような手に汗握るかんじがありますね。

    DADA   2020年4月8日(水) 17:46    [修正]
皆様お元気でしょうか。
特にutidaさんは大丈夫でしょうか。
あのころはまだここまで深刻な状態になるとは思わず、お気軽なコメントしてしまい反省しています。

先月、栃木県鹿沼市に仕事で行った時、路上でFord GT40に遭遇しました。
ゼッケンは覚えていませんがルマン仕様のボディで、ベース色はブルーというよりグリーンポく見えました。
あわてて携帯カメラ構えたときには過ぎ去ってしまい撮影できませんでした。
映画のキャンペーン用か何かでしょうか。

鹿沼市といえばASHさんのデザインしたIFイケヤフォーミュラの地元ですので何か関係があるのでしょうか。

utidaさん>
アイシスまたはアイシルはイスラム国の呼称です。

初代コロナがマイカーとは凄い。
当時はお金持ちの象徴でしたよ。

    a-krica   2020年5月1日(金) 19:34     Mail [修正]
ご無沙汰しております。非常事態宣言下、皆さまお変わりありませんでしょうか。
私は今のところ大丈夫です。まだ先は長そうですが、くれぐれもお気をつけて。

自分は外出しなくても平気なタイプと思っていましたが、それでもじわじわ閉塞感を感じている気もします。
ちょっと海を見たくもなりますね、当分行けませんが。

さて、DADAさんがあげてくださった3枚の写真はフォードGTのごく初期のモックアップですね。
63年6月18日の日付がありますが、フェラーリがフォードとの交渉を打ち切ったのが5月21日ですから1ヶ月もしないうちにここまで作ったことになり、
フォードはよっぽどすぐにでも勝ちたかったんでしょうね。あらかじめ準備していたのかもしれませんが。
フォードはフェラーリ買収失敗の1週間後に自らマシーン開発を決意し、6月初めにイギリス人エンジニア Roy Lunn 率いる少人数のチームとフォードデザインにより
基本レイアウトとスタイリングが検討された、ということです。画像の眼鏡の人がロイ・ランですね。
初期のスタイリング、非常に先進的だと思います。まだレースカーの製作やレース経験が乏しく、ローラのエリック・ブロードレイと組む前ですので
戦うクルマの勝てそうな野性味はまだ感じませんが、同じくロイ・ランが開発担当だったMustang I と近いものを感じます。
私が最初にフォードGTを話題に出した際、#101 prototype と同時にこのMustang I も載せましたが、私はこの頃の実験的な雰囲気が好きで、
実際にレースを戦ったマーク1、2よりも個人的にはずっと惹かれます。

……。ミウラとフォードGTの板を立ち上げてみて、やはりけっこうとっつきにくい話題で何か書こうとしても億劫になりますよね。
ぜひ新しい今時のテーマを立ち上げてください。

    a-krica   2020年5月1日(金) 21:20     Mail [修正]
えーと、新しいテーマではないですが、ちょっとだけ関連するので書いておこうと思います。

“フォードGTとミウラ” と比べると些末な話なので、面白半分で聞いてもらえればいい程度ですが、
ガンディーニ氏が50〜60年代レースカーに多少とも霊感を得ていたのではないかというもうひとつの例として、
フォードGTの開発のベースとなったローラMk6 GTと、あのストラトスを挙げたいと思います。

・まずテールランプ回り、円を分割したランプユニット(ローラのはフォード・コーティナの流用っぽい)とテールランプ周囲の面。
・フロントから回り込んだサイドウィンドウの形状。
・フロントフェンダーの処理。(但しローラMk6 GTのメコム・レーシング版)

以上、まったく些細で何の影響力もないですが。

ストラトスは突出してオリジナリティの高い傑作デザインだと私は思っています。
あの立体が貫通し合っているようなデザインは唯一無二としか言いようがありませんよ、今更ですが。

    a-krica   2020年5月1日(金) 22:34     Mail [修正]
ひとつ前の投稿をしてからすぐ気づいたのですが、ストラトスのサイドウィンドウの後ろのエア・インテークの処理は
フォードGTとよく似ていますね!

    a-krica   2020年5月5日(火) 16:52     Mail [修正]
もう少し調べてみました。

フォードとフェラーリの交渉決裂後すぐフォードGTの開発がスタートし、直後に最初のモックアップが制作されたのはあり得ない早さですよね。
やはり数年前から開発が進んでいた、 Mustang I (1962) のプロジェクトがベースとなっていたようです。
Mustang I はレースカーではなく、ミッドシップ・スポーツとして市販を目指したコンセプトカーでしたが、小排気量とはいえ中身はほとんど準レーシングカーでした。
プロトタイプに続き、1962年5月に “Mustang I クーペ” のプロジェクトが開始されたのですが、それがフェラーリ買収の交渉決裂後にフォードGT開発へとつながったようです。
Mustang I のミッドシップ・スポーツとしての生産化の話は、構造が複雑だったこともあり最後まで経営陣の承認が得られず実現しませんでした。

いわゆるマスタングとしては開発は別途続けられ、Mustang II コンセプトの後、生産型のマスタングが大ヒットしたことはご存知の通りです。
DADAさんのアップしてくださったモックアップはどこかマスタング・マッハ1の雰囲気がありますね。

これらのプロジェクトに関わったフォードのデザイナーとして Phil Clark、Eugene Bordinat、John Najjar 氏らの名前が挙がっています。

最後の写真はフィル・クラーク氏による フォード・カプリのデザイン・モックアップ。
氏は若くして亡くなられたそうですが、キャリアをスタートしたGM時代にラリー・シノダのチームでモンザGTのプロジェクトにも関わったそうです。
ムスタングのあの野生の馬のエンブレムは氏がデザインしたものであることはよく知られています。

因みに2枚目の画像の上側の元画像をサンプルにGoogle画像検索すると、Lamborghini Miura であると認識され類似画像は全てミウラでした。

    DADA   2020年5月15日(金) 18:24    [修正]
a-kricaさん
1962年Ford Mustang ConceptがGT40のルーツだという事ですね。 
(私がアップしたGT40クレイモデルのホイールはMustang Conceptのホイールに酷似)

私事で恐縮ですが、(以前も書かせてもらったことがありますが、)
この車には強い思い入れがあります。
私が小4か小5の頃、何故か家に『62年のアメリカ車』というB5サイズくらいの小さいけれどアルバムみたいに厚い表紙の本がありまして、何気なくページを開いた瞬間、私の脳に電流が走りました。『なんじゃこれは!!!』『ウソ!世界にはこんな未来の車があるのか!!』
当時TV番組『サンセット77』に出てくるゴージャスで羽の生えたアメ車に憧れはあったのですが、この本に載っているMustagConceptやシボレーTESTUDEはそれらとも次元が違い過ぎる。
DADA少年の頭はトリップ状態に・・・・

62年当時近所で見かける車といえばマツダやダイハツのオート三輪車やバスだけ。時折見かける乗用車は観音開きのクラウンくらいでしたから。
私がカーデザインに夢中になったきっかけがこのMustangとTesutudoなんです。

余談ですが随分あとになってこの書籍が若き日の小林彰太郎氏が自費出版した貴重な書籍だと知りました。小林氏はこの個人的出版が上層部の怒りを買い、勤めていたモーターマガジン(だったでしょうか)を辞職、高島氏らと共同で全く新しい自動車雑誌『モトラマ』を立ち上げることになった。ところがこの『モトラマ』がすでに商標登録されており、カーグラフィックに改名してあの伝説的な雑誌が誕生した。
つまりこの書籍が発刊されなければCGは生まれてこなかったかも・・という話です。
(因みに突然この本が気になってアマゾンで検索したところ、3冊発見、さきほど一番程度のよさそうなやつを注文してしまいました。¥7,800也)

ところで私が永い間気になっていたのがこのMustangConceptと大ヒットしたMustng Mach1とのイメージの乖離です。
かたや未来的で先進的なミッドスポーツでありながら生産車はロングノーズのマッスルカー。コンセプトカーと全く共通点を見いだせず意味不明のままでした。
今回、FORD Mustang ConceptUの画像を発見、なるほどa-kricaさんのアップしてくれたカプリと同じ、後部のダクト風処理がポイント(ミッド風の名残)だったのかと納得した次第です。
フロントエンドをウェッジにしたいけど、ラジエターグリルをちゃんとつけなきゃならないし、ライトは付けたくないけどそうもいかないし・・・
おそらくデザインチームは大いに悩みぬいたと推測しますが、(生産車はデザイン的には随分中途半端になったけど)これが大ヒットしたのですからカーデザインは面白いですね。

こちらのBBSに参加される皆さんのほとんどの方はアメ車の話に興味がないようなのですが実は宗教(キリスト教とイスラム教)と同じようで、アメリカンデザインはイタリアンデザインと根っこが繋がっていると考えています。
1960年代に一度枝分かれして2000年代にまた収束していったような。

最後の画像はCorvetteではありませんよ。同じFordデザインチームのCougerConceptです。



    a-krica   2020年5月24日(日) 22:11     Mail [修正]
DADAさん

>Couger Conceptです。
写真を見た覚えはありますがノーマークでした。Cougar II concept 、ムスタングと同時期に開発されていたんですね。
完成度高いですがやはりちょっとコルベットっぽいですね。調べてみましたが、コルベットっぽく見えることもあって開発はムスタングに一本化されたとか。
因みにムスタングも名前がムスタングに決まる前、開発中にクーガーと呼ばれていてグリル中央のエンブレムが山猫だったと。
派生デザインで XP Bordinat Cobra concept (1965) というオープンモデルも検討されたようで、塗色のせいか更に魅力的に見えます。これはもったいなかったかな!
他にAllegro Concept (1963)というのもあったようで興味深く。

前回DADAさんが画像をあげてくださったフォードGTのモックアップを、どこかマスタング・マッハ1の雰囲気があると言いましたが、
マッハ1というよりは Mustang fastback、あるいは Shelby G.T. 350 と言ったほうがもっと近かったです。
画像をあげましたがムスタング・ファストバック、私はかっこいいと思いますがここでは場違いかもしれません。

>アメリカンデザインはイタリアンデザインと根っこが繋がっていると考えています。
それはとても興味深いテーマだと思います。

話は戻ってそのフォードGTのモックアップですが、それもムスタングとして制作されたものだったのかもしれないと思い始めています。
けっこう後までミッドシップのムスタングも開発を続けられていたように思えます。最近見つけたモックアップ写真をアップします。
詳細は不明ですが Mustang GT44(あるいはGT46?)と言われるモデルです。
写真では撮影の日付が不鮮明ですが、元のサイトでは本当かどうか1964年2月頃のものとされていました。Mustang II concpt より後ですね。
ホワイトリボンタイヤなど見ても明らかにロードバージョンとして検討されています。カッコいいかちょっと微妙ですが…。
これがムスタングGTとして市販されていたら、GT40のレース活動はプロモーションとしてもっとダイレクトだったでしょうね。
ムスタングとフォードGTは思っている以上に分かち難い両輪のプロジェクトだったようです。

    a-krica   2020年5月24日(日) 22:15     Mail [修正]
>家に『62年のアメリカ車』

Mustang I concept をリアルタイムでみられていましたか!
私は人生をスタートしたかどうかという時期でしたが、『サンセット77』と『ベンケーシー』のオープニングだけは微かに憶えています。
ストーリーを追えるような歳ではなく、オープニングが始まる時間が寝る時間でした。『母さんは28年型』なんてありましたね、そっちはもう少し憶えています。
私には歳の離れた上の兄弟がいて、幼いながらその環境のなかフォードGTや第1期ホンダF1のリアルタイムに近い記憶もあります。
ル・マンやCAN-AMが何なのか知るのは少し後ですが、家にあった雑誌やスロットカーなどの模型から、スポーツカーやレースカーのビジュアルはよく目にしていました。

当時の私にとってフォードGTは好きというよりとにかく印象の強いレースカーでした。良さがわかってきたのは比較的最近です。
当時、より印象的でかっこいいと思っていたのは Ferrari 275P (1964) なんです。
『フォードvsフェラーリ』でフォードGTが優勝する1966年の前年のル・マン優勝車ですが、そんな知識もなく、主に当時人気のあったモノグラムのスロットカーを見て感化されてました。
Mustang I concept 同様の整流効果のありそうなロールバーをもつミッドシップ・オープンで、後ろ姿がセクシーですよね。レースの現場感を残し洗練されきってない感はややありますが。
Mustang I の影響があるかもしれないと思っていましたが、275Pのひとつ前の世代、フロントエンジンの330TR(1962)でも同様のロールバーが見られましたからそれはなさそうです。

『フォードvsフェラーリ』のDVDのレンタル・販売が始まったようですね。映画を見逃したなら是非!
その映画のなかで、ル・マンの予選時だったかケン・マイルズの「美人コンテストなら(フェラーリに)完敗だな」の台詞がありましたが、あぁやっぱりな…、と思いつつがっかりしてしまいました。実話なのかな。
私はフォードGTやフェラーリ275P、同時代のポルシェはよく覚えています。リアルタイムよりは少し後ですが。
一方Ferrari 330P の印象・記憶はほとんどなく、知るのはけっこう大人になってからです。
ル・マンなどの海外レースをリアルタイムで見ていたわけでも知っていたわけでもなく、断片的に写真や模型を見る世界がほぼ全てという範囲内での話ですが。
そう思うのは私だけかもしれませんが Ferrari 330P3/P4の印象はル・マンで優勝できなかったからか当時どちらかといえば影が薄く、史上最も美しいレースカーと賞賛されるのは後のことではなかったでしょうか。
プラモデルが出始めたのも比較的最近のような。
フォードGTは新しく、圧倒的存在感だったと思うなぁ…。

『革新vs普遍美』みたいな。
私はスーパーカー世代ではありませんが、カウンタックとフェラーリBB (365GT/4BB, 512BB) みたいな。
子供にとっては「凄さ」が正義でありアイドルで、「良いものを見せてもらった感」がありがたみになるのは大人になってからみたいな…。(子供は正直)
ランボルギーニvsフェラーリ、ベルトーネ(ガンディーニ)vsピニンファリーナも相似形かもしれません。そんな単純じゃありませんが。
舌足らずでたいへん申し訳ありません。うまく書けません、加筆修正するかも。

話は変わりますが、『フォードvsフェラーリ』では本来 Ferrari 330P3 であるのをあえて Ferrari 330P4 のレプリカを使用して撮影されたのではないかと思い始めています。

更に全く別の話ですが、1年ほど前のAuto&Design誌の記事にあったらしいのですが、
ジウジアーロ氏が偽名を使い1963年の同誌(当時のStyle Auto誌)の創刊のために、Chevrolet Corvair Monza GT のイラストを当時描いていたということ、ご存知でしたか?
世界最初の自動車デザイン誌の創刊にあたりいくつかのイラスト制作依頼が氏にあったそうですが、当時ベルトーネに在籍していたため本名を使えず
母親の旧姓Sibillaに由来した、ポールシビレ(Paul Sybille)という名前で掲載されたということです。
Monza GT は1962年にすでに発表されており、御大がデザインに関与したとかそんな話では全くなさそうですが、珍しいケースですよね。
添付したイラストの他に、モノクロの別アングル3枚のイラストが見られました。
‘62年に描かれたとういことで、御大がちょうど Chevrolet Corvair Testudo(1963) を産み出す間際だと思います。

    a-krica   2020年5月24日(日) 22:21     Mail [修正]
長々と失礼します、最後です。
Mustang I concept ですが、やはり先進的でしたね。
アップした写真はおなじみの Pininfarina Alfa Romeo P33 Roadster(1968), Bertone Autobianchi Runabout(1969)(と Fiat X1/9), ItalDesign Alfa Romeo Alfasud Caimano(1971) でいずれも大好きです。
直接影響されたかどうかはわかりませんが、Mustang I concept がそれらの先駆であったとは間違いなく言えると思います。

    a-krica   2020年5月27日(水) 19:25     Mail [修正]
前の投稿での「330Pの影が薄かった」なんて、あるわけないですね。ばかでした。
お好きな人多いと思いますが、たいへん失礼しました。
私のなかでの子供の頃の偏った記憶によるものです。

当時のマテル社ディーラーズ・カタログ、イタリア向け1973年版を載せます。いわゆる Hot Wheels です、参考まで。
最初のページで数多くのラインナップの中からカスタムカー、ホットロッド的なモデルを除いた当時の少年向け人気モデルらが。

Ferrari CanAm, Lamborghini Miura, Chaparral, Ford MK II, Mustang Boss 302, Alfa Romeo 33/3, Porsche Carrera, Ferrari P4, Ferrari 512S, Mercedes C111

他にも Abarth 695ss や Toyota 2000 GT, Lotus Europa など色々ありましたが。

    DADA   2020年6月2日(火) 17:36    [修正]
a-kricaさん  
> Mustang GT44(あるいはGT46?)と言われるモデル

これは凄い発見ですね、驚きました。
貴重な資料だと思います。
当時のFordの役員にはミッドシップ推進派が少なからずいたのですね。

これが市販されていればアメリカンデザインも違った方向に進んでいて
ひょっとしてアメリカが世界のトレンドセッターになっていたかも・・
でもそれではつまらないか・・・

>Chevrolet Corvair Monza GT
一目で御大のスケッチとわかりますね。
これも驚きです。
御大のアメ車のスケッチはほんとうに珍しいと思います。
仕事というより楽しみながら生き生きと描いている感じがとてもいいですね。
MONZAはフェンダーラインがもうちょっとエッジが立っている印象ですが、少し丸い感じに描いているのは当時の彼の好み(カングーロぽい)が反映されているのかも。
偽名というのがちょっと笑えます。




    a-krica   2020年6月10日(水) 23:29     Mail [修正]
DADAさん

>一目で御大のスケッチとわかりますね。

ほんとですね。でも掲載時は御大の画風は知られてなかったですし、時の流れに紛れて気づかれなかったのかも。
Style Auto誌を揃えてらっしゃるutidaさんなら見ることができるかもしれません。utidaさん、どうされてますか?

GMは欧州での販促目的で、コーヴェアをベース車両として供給するなどピニンファリーナ/ベルトーネ両社とは交流があったようで、
ピニンファリーナもコーヴェアの一連のデザインスタディを発表していますね。添付は1962 Chevrolet Corvair coupe、ピニンファリーナらしいですね、美しいです。
御大とGMの間にももう少しストーリーがありそうな気もします。モンザGTとテスチュードのキャノピーの開き方が同じなど、ちょっと気になりますよね。
テスチュードについてもいつか触れてみたいです。

>当時の彼の好み(カングーロぽい)が反映されているのかも。

鋭いですね。
私の見た元記事の中でも「彼の絵は、彼の傑作の1つであるカングーロのコンセプトを早期に表現したと見ることができる。(Google翻訳)」とありました。

今になって、再び過去ログ BBS log3 あたりを読み返してみました。
やはりあちこち非常に興味深いです、さすがですね。Monza GT もutidaさんにより俎上に載せられてたり。
以前見逃していて今回気づいたのは、くろださんの以下の発言で
>ミウラは人気のクルマですが、「カーデザイン史的には別に…」という冷めた評価がここのBBSのみなさんにも多いですが、私もおおむねそんな感じです。
ああそうだったんですね、今更ですが皆さんミウラには無条件に熱い思いがあったのだと思っていました。

Monza GT なんですが、そのオープン版のMonza SS の方は生産化直前まで進んでいたのがマスタングの成功によって中止されたと何かに書いてありました。
Monza SS といえば、最初はロールバーの無い非常にすっきりきれいなラインの車でしたが、
すぐあと1963年のモデルでは Ferrari 275P や Mustang I のような平たい断面のロールバーが追加され、Monza SS には似合わなくて私はがっかりなんです。
このロールバーのアイデアはこの頃の多くのデザイナーが同時に思いついた流行なんでしょう。
比較的最近では、ダッジ・バイパーなんてありましたね。

相変わらず古い話になってしまいました、若い人にはピンとこないか〜。

最後に60年代から活躍するイラスト界のレジェンド、ケン・ダリソン氏による、フォード/シェルビー車のイラストを載せておきます。(GT350にはMILESの文字が)
抜群のタッチ!

    DADA   2019年11月15日(金) 17:30   
[修正]
長くて見にくいので板かえますね。
しばらくご無沙汰していたのですが大好きなFord GT40が出てきたのでちょっとお邪魔します。
utidaさん話をちょっと戻してすみません。

a-kricaさん
 <Ford GT はあの Lamborghini Miura (1968) に少なからず影響を与えたと言われています。
私も何かの本で読んだのですが、フェルッチオがジウジアーロに与えたテーマは『GT40のような車を作れ!』だったとか。
Fordがフェラーリのル・マンでの10連覇の夢を砕いたのがたしか1965年ですから腑に落ちますよね。

<獰猛なMk-1よりも・・・・・
私はMk-1の顔が好きでした。
ミュルサンヌのストレートを走り抜けるMk-1を真正面から狙ったショットは感動ものでした。
鋭角に盛り上がるフェンダーラインに埋め込まれた、レーシングカーでは珍しい四角のライトと、同じく四角の吸入口(ラジエーターグリル?)がマッチして物凄くモダンな印象でした。
フェラーリやポルシェ(カレラ10は別)のヨーロッパ勢は皆丸いライトと楕円形のグリルでしたから。
(そういえば三船敏郎の日野サムライも角型のライトベゼルでカッコよかったです。本番で出れませんでしたけど。)

1965年頃は普通の(?)スポーツカーがレース出ていたりして面白かったです。904とか、もちろんTV中継などあまありありませんが生沢徹とかR380の砂子さんとかダイハツP3とかそれなりの体はなしてました。

<ミウラ論争  なつかしいですね。何年前でしょう。ちょうど今頃の季節でしたね。
またやりましょうか?やっぱりやめます。もはやエネルギーが足りない・・




    a-krica   2019年11月17日(日) 21:58     Mail [修正]
DADAさん
ご無沙汰しております。レスいただきありがとうございます。
Ford GT40 とミウラのことを書いたので誰か投稿してこないかと少し期待していましたが、効果あったようですね!

>私はMk-1の顔が好きでした。

それよくわかります。GT40と言えば何と言ってもMk1だと思います。
GT40の活躍した60年代後半は、私は全く子供でル・マンも知りませんでしたが、前述の少年誌からの知識だったかGT40やフェラーリ275Pなどは写真で見て知っていて
GT40だけ異質で強烈な印象が残っています。アメリカの怖い顔したすごいヤツという感じ、本当に強くて怖い印象でした。私が好きだと言った初期プロトタイプ Ford GT / 101を知ったのはずっと後のことです。
因みにMk2はサイドウィンドウの後ろにエアスクープが追加されていて、それがあまり好きではないんです。
いずれにしてもGT40はDADAさんがおっしゃるように当時物凄くモダンで、他のレースカーが丸い断面のもっこりした形ばかりだった中で、あのフラットなシルエットは画期的でした。
あのフラットさはミウラだけでなくカウンタックにも影響与えたとさえ思っています。

60年代後半の欧米のクルマのことやレースシーンって、けっこうプラモデルなどで知った部分が大きかった気がします。
私は特に当時流行ったスロットレーシングを年上の人たちがするのを間近に見ていて、パッケージやイラストを含めアメリカ文化の影響たくさん受けました。
Ford GT / 101もずっと後に誰かが仕上げたK&B製のボディを見て、Ford GTってこんなに低くてきれいなんだ!って思ってから好きになったんですね。

>フェルッチオがジウジアーロに与えたテーマは『GT40のような車を作れ!』だったとか。

誰が誰に言ったのかは憶えていませんが『GT40のような車を作れ!』のフレーズは聞いたことがありますが本当かどうか…。
ダラーラがGT40のシャシーレイアウトに感銘し、GT40のような設計の生産車を作りたいと思ってミウラを設計したというのは確からしいですが。

>ミウラ論争 なつかしいですね。_またやりましょうか? やっぱりやめます。もはやエネルギーが足りない・・

ミウラとGT40についてちょっと挑発的に書いてしまい、ミウラ好きから何か突っ込まれるかと思っていましたが相変わらず静かな様子…。
論争ですが、ガンさんか御大か、に関してはここで語り尽くされているようですね。語り尽くされ過ぎてるくらい…皆さん熱かったですね。
私はミウラを語るのであればそれ以前にGT40の影響を外せないと思うのですが、両車これだけ人気あるのにこれまでそこに触れた話、世間であまり聞いたことがありません。
CG誌「名車の残像」で永島譲治氏が語っていたのが例外ですね。私とほぼ同意見でした。

論争、私は未経験ですがエネルギー不足で私も無理そう…。

>1965年頃は〜
子供のころ、カレラ6やデイトナコブラ、S800らが走る日本グランプリのTV中継をたまたま見た記憶がかすか〜にあります。たぶん’66年の第3回。
鬼ごっこをした後でした(笑)。何故かペプシやシェル、NGK、STP、ヨコハマタイヤなどのステッカーを想い出します。
TVではローラーゲームもやっていたな、ロスアンジェルス・サンダーバード対デトロイト・デビルス!(ちょっと後か)
>生沢徹
もう少し経ってから友だちとその父親に’71年の日本グランプリ予選に連れていったもらったことがあります。
長髪の生沢徹が自分のロータス69 FVCで三菱ワークスに対抗していました。当時ファッションリーダーでもあってかっこよかったですよね。

    a-krica   2019年11月17日(日) 22:00     Mail [修正]
utidaさん
>最近は東京モーターショウもあり、
東京モーターショー、2000年の前くらいまではちょくちょく行ってたんですが、最後は2003年かその次だったかな、もうだいぶ行ってません。
見たい車がないと言うよりは全体的に興味を感じなくなっているんだと思います。出不精になったのでしょうけど。
注目の車ありましたでしょうか。マツダのEV、MX-30とか? う〜ん私はやや醒めています。

>私もブレインストームは当時非常に感銘をうけ

おお、思いを共有できる人がいるとは!
究極の体験記録メディアですよね。実現したら、他に何も要らなくなっちゃうな、と思ったものです。いつか可能ですかね。
あのころサイバー技術が注目されだしてその後シンクロ・エナジャイザーみたいなブレインツールやバイノーラル録音技術なんかも出てきましたね。
監督のダグラス・トランブルは自身が開発した映像システム「ショウスキャン」のために「ブレインストーム」という作品を考えたそうで、
どちらも ”究極のリアル体験” がテーマですが、実際に「ブレインストーム」もショウスキャン・システムによる撮影・上映を計画していたのが、劇場設備的に無理で諦めたということです。
ショウスキャン・システムって70mmフィルムを60コマ/秒で撮影・上映する超高精細映像方式のことですが、現実と映像の区別がつかなくなるほどと言われていました。
私は ’85筑波科学博の東芝館でトランブルの短編を観ましたが凄かったですよ。「ブレインストーム」の中のジェットコースターを体験しているようでした。

>死後の世界にいくという、非常に興味深いエピソード。

臨死体験のラストは本当に戦慄のクライマックスでしたね。
それがきっかけだったか先だったか、立花隆の『臨死体験』なども読みました。いまだに興味の尽きないテーマです。
ちょっとB級ぽい作品ですが、「アルタード・ステーツ」など少し関連しそうな映画もありました。

>未来少年コナン
>アニメ映画bbsになっちゃいそうなので

未来少年コナンは少し調べ、YouTubeで初回だけざっと見てみました。
それだけでは印象は掴めませんでしたが、utidaさんのアップしてくれた画像の雰囲気には惹かれるものがありますね。
私はもちろん子供の頃はアニメ作品をよく見ました。今は積極的に見るほどではありませんが興味はあり、TVで何度か観たナウシカやラピュタは好きですよ。コナンも宮崎駿作品なんですね。
最近ではあの「君の名は」をTVなどで観てなかなか楽しめ同じ監督の「天気の子」を観ましたが、劇場でアニメを観たのは子供の頃の「東映まんがまつり」以来かもしれません。
例外は「ファンタスティック・プラネット(La Planete Sauvage)」という、ルネ・ラルー監督による1973年制作のアニメ作品、日本では1985公開で時期が色々重なりますね。utidaさんもたぶん気にいるであろう大推薦作品です。

11月3日文化の日に神奈川県立近代美術館 葉山の「カイ・フランク展」に行ってきました。
文化の日は毎年無料開放日で、昨年は同じ日に同じフィンランドのアルヴァ・アアルト展にも行ったんですよね。
チラシと図録の写真を載せます。図録はあまり買わないのですが今回は欲しくなりました。
2つのタンブラー(イッタラ・カルティオ)はだいぶ前に普通に買ったものですが、今では廃盤になった深いグリーンで暗く濃い色の方がもう少し古いです。
過去様々な色が廃盤になったり色が微妙に変わったり限定で復活したりしてコレクターやマニアの拘るポイントらしいですが、私は全く詳しくありません。
カイ・フランクはタピオ・ヴィルッカラみたいに偉そうでなくていいです。

また車以外の話ばかりで、すみませんねぇ。
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ashさん
唐突ですが、会社の第6期無事終えたそうでおめでとうございます。
ASPARK OWLの市販バージョンは楽しみですね。プロトタイプは本当に素晴らしいな!と思っていました。
また、関係ないですが我が家でもコストコのトイレットペーパーとレモングラスの石鹸など以前より愛用しています。
ナナちゃんは残念でした。

    a-krica   2019年11月22日(金) 1:35     Mail [修正]
※訂正__Lamborghini Miura (1968)と書きましたが間違いです。正確には 1966年ジュネーブショーで発表/1967年P400リリース/1968年P400Sリリース、でした。

それからミウラとGT40との件は、ここでの以前の「ミウラ論争」のときに、Shogoさんと大内さんが少し触れてましたね。
そのあたり、あらためてフォローしたいと思っています。

    a-krica   2019年11月24日(日) 19:22     Mail [修正]
ミウラとGT40に関してやはりあまり盛り上がりそうもないですね。これで終わりにしようと思います。
前回までで何を言いたいのか明快ではなかったので、長くなりますがまとめておきますね。

・ミウラはデザインを賞賛されることの多い車だが、Ford GTを手本にしていることがきわめて明らかにも関わらず話題にされることがほとんどない。
・そのことよりもデザインがジウジアーロかガンディーニかという議論が先行するのは不思議に思える。
・ミウラの方がGT40よりも保守的であり、情緒的なラインを残しているが、そのことがGT40にない官能性を感じさせるのかもしれない。
・ガンディーニにとって、(あるいはジウジアーロにとって)代表作だとは思わない。本人にとってももっと重要な車があると思う。

以上、安易なパクリ談義をするつもりはないのですが。

前回、CG誌「名車の残像」で永島譲治氏が語っていたのとほぼ同意見、だと書きましたので以下要約転載します。
もっとユーモア溢れる文章でしたが、場違いな感じもしますので省略・削除し半分以下の量にしていますが言い換えや加筆はしていません。
元々一般向けの、とてもわかりやすい内容でした。
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 「名車の残像」_LAMBORGHINI MIURA P400S

 ランボルギーニ・ミウラ。この車には本当に熱烈なファンが多いようだ。
 僕の尊敬する現役デザイナーの中にも「ミウラこそ車の歴史上もっとも素晴らしいデザイン也」と言って譲らぬ人までいる。
 この車を褒めるなら忘れずにもっと拍手を送るべき車が1台あると思う。
 ミウラという車は誰がデザインしたのか、ジウジアーロかガンディーニかという議論があることをご存知だろうか。
 ミウラはカロッツェリア・ベルトーネの作品であるが、ミウラという車はこの両人の交代時期に発表され評価が極めて高かったために、デザインしたのはどっちという議論になったらしい。

  僕はこの議論に鼻を突っ込む気はない。もっと基本的なところではっきりさせた方がいい気がする。ミウラにはその造形の8割方までを手本とした車があったはずである。
 1964年に登場したあのフォードGT、さらにレース・バージョンの前に発表された試作車がミウラのオリジンであると僕は思っている。
 両者の造形には非常に近いものがある。まずはボディの基本構成。その時代フェラーリやポルシェのミドシップ・レース車がドアに丸みの強い深いセクションを与えて、
 その上に金魚鉢のように丸い幅のせまいアッパーをのせる手法をとっていたのに対し、ひとりフォードGTはドアは平らで薄く、その分アッパーを肩幅まで広くとり、
 傾斜の強いフロントとサイドのガラスには比較的平らな面を与えていた。こうしたフォードにもっとも特徴的な造形をミウラも踏襲している。
 当時フォード以外のグループ5レース車や生産型ディーノのホイール・ハウスは皆、山のように盛りあがっていたいたことを思えば、これもミウラが後を追いかけたフォードの特徴のひとつと言える。
 両者はとにかく似ている。空気取り入れ口や前後カウルのシャット・ラインの入り方、そのフロント・カウルが一体式であること、リアのカウルがその頃珍しく後ろヒンジで開くことまで共通しているのだ。

  なぜミウラはフォードGTの明らかな影響を受けていながらそのことがあまり語られてこなかったのだろう。
 その第一は、一方の車はレースカーとして、もう一方はロードカーとしてデザインされていることにあるだろう。
 フォードの方が妥協がないだけ造形テーマもより極端に表現されている。一例を挙げればサイドガラスの傾斜角度がミウラはちゃんとマドが開くように、
 ガイドを伝って入ってゆけるような角度と曲率を与えられているのに対してフォードのサイド・ガラスは外皮と面一に固定されたものだった。
 フォードGTのボディ後半部分の面変化がミウラよりずっと豊かなのもこのサイド・ガラスの傾斜角に由来している。
 その他にもカウルの位置、サイド・メンバーの深さ、室内スペースの問題など、ミウラはロードカーとして作られているぶん設計的には妥協だったかもしれないが、
 造形的にはそれだけにフォードGTと異なるニュアンスを獲得していたのだ。

  第二の理由。これはもう少し説明しやすいが、グラフィックの違いである。
 つまり立体造形的には両者は非常に近くてもその表面の二次元的処理が大いに異なっている。その一番よい例はヘッドランプだ。こいつがものすごく目立つ。
 他にもサイド・ガラス後ろのルーバーとか、人の目はどうしても全体形をとらえる前に奇抜な表面処理にひきつけられるようにできているらしい。
 フォードもミウラも、ドボンと塗料の中につけてしまえばこうした表面処理はわからなくなり両者の造形にいかに近いものがあるか、さらによくわかるはずである。

 ミウラが1台の自動車として素晴らしい魅力の持ち主であることは間違いないが、デザイン・クレジットとなるとお手本の功績も忘れてはなるまい。
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「名車の残像」のFORD GT40の回ではGT40の当時先進的だったデザインの話を展開した後で、ミウラにひと言触れ、GT40の”リメイクみたいなデザイン”とだけ言っていました。

60年代のGT40をリアルタイムで見ている永島譲治氏はGT40のデザインを非常に高く評価しているようで、ファンなんでしょうね。でも間違ってはいないと思います。
"造形の8割方までを手本…"” か〜、私なら7割くらいかな。
"ボディ後半部分の面変化がミウラよりずっと豊かなのも" これは写真ではわかりにくいですが本当にそう思います。リアカウル上面の柔らかさはこの車のハイライト。
それに比べるとミウラのここは硬く単調に見えます。
ちなみに私はFord GT プロトタイプ 101 はきれいで好きだし、GT40 Mk1はカッコいいと思っていますが、GT40に特別想い入れがあるほどでも無いです。トーイングカーの方が好きです(笑)。

この世界でミウラを語る人たちの多くがやはりイタリア車好き、スーパースポーツ好きだとすれば、
イタリア>アメリカ、フェラーリ・ランボルギーニ>フォード、という意識はどこか根底にあるんでしょうね。GT40は眼中に無い、これは仕方のないことだと思います。
グッチやフェラガモのブランド服と、アディダスのジャージを比較するようなものでしょうか。

下の画像は「名車の残像」に掲載されていたわけではなく、私が集めておいたものを構成したものです。

    a-krica   2019年11月24日(日) 19:23     Mail [修正]
続きです。これで終わりです。

デザインBBSの過去ログを見返すと、「ミウラ論争」においてGT40との関連についての発言が時々あったことがわかります。
ただいずれも単発で、それ以上話が進んだ様子が見られないのはもったいなかったように思います。

大内さんの、”ジウジアーロが描いたGT40のレンダ”、GT40の”ジウジアーロの息” 発言には驚きます。ありそうにない話にも思えますが…。

Shogoさんの、”GT40を参考に短時間でテキトーに”、は何と明け透けで赤裸々な。
本当だとすれば、この話、終わってしまいますね。

以下、勝手に一部抜粋して申し訳ありませんが、デザインBBSの過去ログより。
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 ・ぶんぶん_2004.08.26
 なんでカッコ良いか分かりませんが、ミウラもマングスタも下敷きは、フォードGTだと思いませんか。
 フォードGTってテールが短すぎると感じる事がありますが、それを慎重に修正すると、ミウラになる感じです。

 ・大内 誠_ 2005.11.21
 GT40等も何かジウジアーロの息を感じます。GT40のシルエットはミウラに良く似ていますし、エアーインテークも場所こそ違いますが、同じ形です。
 面取りもそっくりですし、GT40のライトを丸くするとミウラのようになりませんか?

 ・yumetake_2005.12.24
 画像はミウラに大きく影響を与えたと言われる、GT40とのカット。

 ・大内 誠_2005.12.24
 僕はイタリー人の友人からジウジアーロが描いたGT40のレンダを25万円で買わないかと言われた事があると。

 ・Shogo_2005.12.24
 ガンディーニは、自身でミウラをGT40を参考に短時間でテキトーにそれらしい形にまとめただけで、新しいアイデアもない陳腐な作品と評しておりました。
 ミウラについて彼が否定しているのは、そこに新しい提案がないことで、逆に彼が肯定しているのは極めて短期間に即興的に仕上げたにもかかわらず、
 多くの人を魅了できる「姿」としての完成度が高かったことです

 ・大内 誠_2005.12.29
 GT40はエンジンがたておきのミッドなので、お尻が短いのです。フォルムはそっくりですね。

 ・utida_2005.12.31
 ミウラのビード?、それはおそらく1965年当時彼らが目にしたGT40 MkU を参考にしたのではないかと思いました。

 ・DADA_2006.01.06
 私の初夢の話です。『クライアントの農機具屋の親父の要望は、アメリカ馬GT40みたいな猛牛や。(略)お前は全体をまとめてお前らしく仕上げてくれればそれでええ。頼むで、新人。』
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また、最近の Octane(オクタン日本版)のWEB記事にもミウラ誕生にまつわる記事が複数あり、いまだ人気の高さが伺えます。参考まで。

以下一部抜粋して転載
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 Octane(オクタン日本版)2019.03.13 関係スタッフたちが語るランボルギーニ・ミウラ誕生のころの物語
  マルチェロ・ガンディーニ
  多くの人々が「すべての車のなかでミウラが一番格好いい」と言ってくれるのは、素晴らしい褒め言葉だ。しかし、その功績は私だけのものではない。運がよかった。
  ミウラが非常に美しいのは、別の車を真似したような模倣品ではないからだ。ミウラは、1950年代のミッレミリアでレースをしていたスポーツカーの完璧な進化形だった。

 Octane(オクタン日本版)2019.03.21 「ミウラショック」ランボルギーニ・ミウラのインスピレーションになった意外な1台とは?
  次のステップはシャシーのことだった。ダラーラはそのアイデアのヒントとなったのはフォードGT40だったと告白している。
  「ある日、新聞を読んでいて、GT40を見たとき、こんな感じにしたらどうだろうかと思った。フォードのシャシーはモノコック構造だったが、
  私たちには大きなプレスができなかったので、スチールシートを曲げて、それを溶接で繋いで組み立てることにした」
  シャシーがトリノショーに出展された途端、たくさんのカロッツェリアからボディ製作の提案があり、ランボルギーニはトゥーリングとベルトーネにボディのデザインを打診している。
  「トゥーリングは1/4スケールの模型を我々に見せ、それはよい車だった。だが、ベルトーネのデザインを見たとき、私たちは瞬時にそれがユニークで、単なるWよい車W ではないと思ったことは、認めざるを得なかった。
  それらのレンダリングを描いた人物は、ベルトーネの新しいチーフスタイリストになったマルチェロ・ガンディーニだった。
  1992年にガンディーニは私に語っている。「私がミウラの制作を始めたのは1965年の12月でした。ミウラが示したのは、新しいラインの創造というよりは、1950、60年代のすべてのGT、スポーツカーの到達点です」とガンディーニは話す。

 Octane(オクタン日本版)2019.04.18 ランボルギーニ・ミウラの生みの親が選んだ自分への誕生日プレゼントとは?
  1965年11月のトリノ・ショーにローリング・シャシーを展示した時、彼らは衣装を誰に任せるかをまったく考えていなかったという。
  あらゆる決定はその場その場で決められていた。裸のシャシーを車として完成させるという基本的な計画は、フェルッチオとヌッチオ・ベルトーネの会合で突如動き出したものだったという。
  今もダラーラは、彼のチームはフォードGT40を気に入っており、何か似たようなものを作れないかと考えていたことを思い出すという。
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    a-krica   2019年11月24日(日) 22:44     Mail [修正]
ASPARK OWL 市販バージョン、素晴らしい!

    DADA   2019年11月25日(月) 17:37    [修正]
>a-kricaさん

すばらしい対比画像をありがとうございます。
ほぼ同じ角度で同じボディカラーとは凄いです。

永島さんの記事も全面的にではありませんが良く理解できます。
 
当時のレーシングカーはどれもGT40に一見似ているようで実は全く違いますね。
ミウラとは根っこが違う。

ミウラとGT40につきまして私も日々考察していたのですが、
このテーマはこれで終わりにするにはあまりに勿体ない気がします。

また日をあらためて投稿させてください。

  

    utida   2019年11月26日(火) 1:55     Mail [修正]
すごいです! 書き込みたい!・・毎日帰宅が午前様ちかくでなかなか・・週末書き込みます!

    utida   2019年11月26日(火) 1:57     Mail [修正]
過去ログなんてあるんですか!?

あれ修正ボタンがないみたいです・・

    a-krica   2019年11月26日(火) 19:41     Mail [修正]
DADAさん、utidaさん
ありがとうございます。急かしてしまったようで、すみません。よろしかったらお付き合いください。

過去ログですが、画面の上の方、メニューの中の「BBS 1」の上の「BBS 1-log」ボタンから入ることができ、まとめられています。
また右端の「Blog new」ボタンから ASPARK OWL 市販バージョンの記事2件を見ることができます。(トップページからも直接入れます)

    DADA   2019年12月6日(金) 17:32    [修正]
ashさんにお願い

ASPARK OWL 
  すばらしい仕事されましたね。
知らされていなくても ashさんの作品だとすぐわかりますね。日本的なんでしょうか。

ところで御願いがひとつ
以前、ミウラ論争のずいぶん後に、例の御大の(第2の?)スケッチがどなたかから(すみませんお名前を忘れてしまいました。)アップされましたよね。
それこそミウラの特徴をよくとらえていたと記憶していたのですが、その記事はまだ生きていますか?
保存していたつもりだったのですがどうしても見つかりません。

管理人さん以外でも、もしスケッチをお持ちの方がいらしたらアップしていただけないでしょうか。

    a-krica   2019年12月10日(火) 20:02     Mail [修正]
DADAさん
見当違いかもしれませんが。
最初のネガ画像は検索すればすぐ見つかるもので、粗いですが3種あるうち上の2台の図面はBBS過去ログでくろださんが挙げられていた図面と同じものです。
一番下の図面は過去ログでは見つかりませんでしたが、過去このBBSで見た記憶があります。
この図面と同じ図面の画像がありましたのでアップしておきます。これかなと思いましたが違っていたらスルーしてください。
これらの画像の詳細は残念ながらよく分かりません。

    DADA   2019年12月11日(水) 17:19    [修正]
a-kricaさんありがとうございます。

上2枚が以前くろださんがアップしたスケッチですね。
ミウラ論争勃発(?)の原点でした。

3枚目が私の探していたスケッチです。(おそらく)
ミウラの特徴的なインテイクの形状が見て取れます。

というかミウラそのものに見えます。
ミウラを考察するうえで重要なスケッチです。
取り急ぎお礼申し上げます。
ありがとうございました。

 

    a-krica   2019年12月21日(土) 0:38     Mail [修正]
VWVortex.com - Prototypes and design proposals for cars. というサイトの記事によれば、
最初の2枚のスケッチはジウジアーロのクレジットだが、後の2枚はガンディーニだと思う、とあります。
私はジウジアーロ/ガンディーニ論議には深入りしませんが。

    DADA   2019年12月27日(金) 7:43    [修正]
a-kricaさんありがとうございます。

後の2枚は前の2枚をもとに、描き足したものですね。

だとするとガンディーニに製作依頼があった時点で、二次元での図面上ではボディ全体のディメンション(とテスチュード的なヘッドライトなど)はすでに決まっていて、彼はコスメティックな部分の創作をしただけのように見えます。
このあとの2枚が当時のミウラ論争の時に明らかにされていたらまた違った展開になっていたでしょうね。

いや、ちょっと地雷を踏みそうなので、というかパンドラの箱を開けそうなのでここでやめておきます。
ジウジアーロがどこまで関与したとしてもそれを立体に起こしたガンディーニの手腕は凄いものです。
おそらく御大が最後まで関わっていたら、ミウラはとてもバランスが取れて美しいスポーツカーになっていたでしょうが、ガンディーニがいなければ我々がミウラから感じる、あの官能的なボディにはなっていなかったでしょうから。

ランボルギーニミウラという車はその歴史的価値からいうと、そのスタイリングではなくエンジニアリングにあると思います。

これにつきましてはあらためて投稿させてもらいますね。

    utida   2019年12月31日(火) 1:06    [修正]
ぜんぜん書き込めなくてすみません!

しかしミウラの魅力の理由の一部を解明しました!

のでこの正月休みに書き込みいたします!

    utida   2019年12月31日(火) 13:43    [修正]
が!!
シドミード氏が亡くなられました・・

    utida   2019年12月31日(火) 16:43     Mail [修正]
ワクワクするような夢をみさせていただきました。
ご冥福をお祈りいたします。

    a-krica   2019年12月31日(火) 20:01     Mail [修正]
巨星逝く_なんと…、シド・ミード氏が亡くなられたのですね。

とてつもない天才。尊敬していました。
ご冥福をお祈りいたします。

    utida   2020年1月1日(水) 0:51     Mail [修正]
シドミード氏は二つの事柄が天才的でした。
ひとつはその驚愕の未来イメージ、そしてもうひとつはそれをガッシュによって明確にビジュアル化する技術・・

どちらかに秀でているかたはたくさんいらっしゃいますが両方に秀でるものはいない、シドミード氏を除いては。。
まさに天才でしたね。。

    utida   2020年1月1日(水) 2:29     Mail [修正]
気を取り直してミウラのことを書こうかと思います。

しかしこちらのミウラ論争のときのログ(12年も前!)があるとは知りませんでした。

まずそれを読んでから私の発見、ミウラの魅力の理由、人の心をつかんで離さないその理由・・を書こうと思い今読み始めたのですが・・新年いっぱつめがそれです・・長いうえにみなさんなにを言っているのか複雑でようわからん・・私も発言しているのですがなにもわかってないようなかんじ(記憶もあいまいです)・・結局その真相に迫った上に解答もつかんだと思われるくろださんは結論を書くことなく終わっているようでした。
私は当時ミウラがミッドシップだとかベルトーネの作品だということも知らないくらいでしたので相当ちんぷんかんぷんだった記憶があります。

    a-krica   2020年1月1日(水) 18:45     Mail [修正]
皆さま、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

DADAさん
>後の2枚は前の2枚をもとに、描き足したものですね。

2枚目と3枚目の画像を重ねてみましたが、外形線は完全に一致。ステアリングホイールやエアファンネルまで合っています。
ディメンションの数字は筆跡は違いますが数値は全く同じです。
これら図面には用紙にトレーシングペーパーが使われているはずで、紙を重ね必要な下の線を参照しカーブ定規を当てながら描かれたのでしょう。出所は不明ですが、3枚目はやはりガンディーニ氏によってでしょうかね。
図面の様式はベルトーネ社の標準的なスタイルみたいですね。
4枚目の図面はデザイン検討のためではなく、開発完了後の仕様決定図面のような目的で本人またはベルトーネのドロウアーによって描かれたんだと思っています。

>(とテスチュード的なヘッドライトなど)はすでに決まっていて、

この意味がよくわからないのですが。4枚目以外の図面でテスチュードのようにヘッドライトが寝ていることを示すものはありませんが、どうしてそのように思われるのでしょうか。

    a-krica   2020年1月1日(水) 18:50     Mail [修正]
画像追加します。

    a-krica   2020年1月1日(水) 18:53     Mail [修正]
私は先の投稿で、ミウラを語るならまず Ford GT が先でしょうみたいな感じで書きましたが、やはり皆さんミウラのことを書きたいようですね。
もうミウラかっこいいじゃん! でいいじゃん、と思えてきました(笑)。失礼しました、別に話を終わらせたいわけではないです。

ミウラの魅力は私が今さら語ることもないですが、色もあると思いますね。
イエロー、オレンジ、明るく鮮やかないわゆるネオンカラーが似合いますよね。特に私が似合うと思うのはライムグリーン。
ストラトスやX1/9だったら似合うのは当たり前にも思えますが、このクラスの真っ当なスーパースポーツでこんな色が似合う車ってあまりないですよね、すごいなと思います。
クラシカルさを残すラインに対し、モダンでグラフィカルなディティールがやはり効いてるんだと思います。
この色のイメージも、今世紀のランボルギーニに引き継がれてますね。

    a-krica   2020年1月1日(水) 18:56     Mail [修正]
フォードGTが活躍する映画、「フォードvsフェラーリ」のことを先の投稿で書きましたが、いよいよ今月10日公開ですね。
海外では11月に公開されているところも多いので、予告編だけでなくメイキング映像も既にいろいろ出回っていますね。
ほぼ実話なのでストーリーは想像できますが、撮影の情報は少なくて日本語では詳細まで紹介されていないのでよくわかりませんが、予算的はかなりかけて制作されたようで
60年代の社会や風景、サーキットやファクトリー、レースカーなどかなりリアルに再現されているらしいことが予告編から見て取れます。その点は本当に凄そうです。
レースカーは30台近くのレプリカが撮影のために制作されたようですね。フォードGTはMk1/Mk2だけでなく、初期プロトタイプもしっかりと再現されているのがわかります。
1枚目の画像はシャシー#101のプロトタイプ。既に実車は存在せずよくできたレプリカがあるだけですが、ナンバーサークルの大きさなどわずかな差以外非常によくできています。
2枚目は形はシャシー#101のままですが、#103、 #104と同じカラーリングがあったことは初めて知りました。事故の前でしょうか。これも本当にかっこいい、Ford GTでベストかも。
映画を観たらまた書きますね。私はすぐには観にいけそうにないですが楽しみです。

シド・ミード氏については、いずれまた書きたいと思います。

    DADA   2020年1月6日(月) 13:31    [修正]
皆様、明けましておめでとうございます。
utidaさん
>テスチュード的なヘッドライトなど)はすでに決まっていて、

いやすみません。私の思い込みというか勘違いでした。

最初にアップされた3台のスケッチのうち、一番下のスケッチがそのように見えたのですね。

一番上のスケッチのドアの開閉方法やウインドグラフィックから私は、こりゃテスチュードのミッド版だなと感じてました。

ミウラ発表の前年1965年に御大(といっても20代)がテスチュードのライトをモチーフにしたFIAT850Spiderをリリースしています。

コストの問題もありリトラクタブルではありませんがイメージは同じだと思います。

そしてこの850スパイダーと(ライトを除いて)瓜二つのポルシェ911のスパイダーを翌年のトリノショー向けに取り掛かっていたのではないかと考えています。

おっと、このへんでやめておきますね。

    utida   2020年1月6日(月) 21:14    [修正]
すみません ちょっと時間が作れず書き込みできないでいます・・

DADAさん
私ではないですよ〜

フォードGTと三浦 じゃないミウラ
(スーパーカーブームの時 豊田 本田 鈴木 三浦 というメーカーがあるんだ と思ってました)
の違いを明確化したく思います
いま構想中であります

    a-krica   2020年1月6日(月) 22:57     Mail [修正]
DADAさん
>最初にアップされた3台のスケッチのうち、一番下のスケッチがそのように見えたのですね。

その一番下のスケッチと、私の次の投稿の3枚目の図面は同じものですが、それは1、2枚目と違いジウジアーロ氏によるものではなさそうだという前提でこれまでお話ししています。
ですからそのように見えたとしても見えなかったとしても決まっていたことにはならないと思ったのですが。
それとも全てジウジアーロ氏によるものだとお考えでしょうか。

若きガンディーニ氏のベルトーネのスタジオでの制作風景画像を載せておきます。
背後の壁にジウジアーロ氏によるテステュードの原寸レンダリングが見えます。また、ボードの右上に60年代のレーシングプロトタイプらしき写真が貼ってあり非常に興味深く。

ベルトーネ・スティーレ社だった建物地下の図面棚に残された、“P400”の図面の写真もありましたので載せておきます。

    DADA   2020年1月7日(火) 17:40    [修正]
a-kricaさん  
utidaさん間違えてすみません。
 
>それとも全てジウジアーロ氏によるものだとお考えでしょうか。

いやそうではなくて、当初、最初の3台のスケッチがすべてジウジアーロが描いたものだという間違ったイメージ、印象が残っていたので、勘違いをしたという事です。

それにしても貴重な資料をお持ちですね。
ミウラの三面図はガンディーニっぽいです。
最後のインテリアのスケッチはベルトーネのスタッフの誰か、ピエロ ストロッパさんでしたっけ?そんなお名前の方ではなかったでしょうか。

    DADA   2020年1月8日(水) 7:40    [修正]
a-kricaさん
アップされた3枚目の図枠の画像は2枚目のトンネルバック風ミウラの図面と同じものでしょうか。
良く見るとストラッパさんのサインが見えます。  

    a-krica   2020年1月8日(水) 12:31     Mail [修正]
DADAさん
>いやそうではなくて、〜

了解しました。いろいろ失礼申しました。

Piero Stroppa氏についてはよく知りませんでしたので少しだけ調べてみました。
過去ログでくろださんが少し触れていましたが、ベルトーネにおいてジウジアーロ氏、ガンディーニ氏をサポートしてきたDrawer兼デザイナーで
ミウラのデザイン開発にも深く関わった方らしいですね。勉強になるなぁ〜。
下記のフランスのサイトにちょっとその当時のことが載っていました。それによれば、

「ミウラの様式上の詳細は、1963年少し前に描かれたテステュードのプロトタイプから取られました。これによりファミリーの類似性が明らかになりました。
しかし、ミウラのシルエットとすべての見事な美学は、もちろんガンディーニの功績によるものです。」

AUTODROME Paris: Lamborghini Pagani Ferrari Aston-Martin Bentley Rolls-Royceautoclassiquesportivecollectionancienne

>アップされた3枚目の図枠の画像は2枚目のトンネルバック風ミウラの図面と同じものでしょうか。

それは私も気になっていたんですよね。
画像は motor1.com という動画サイトの Inside The Forgotten Bertone Archives (Auto Classics Bertone - Turin 2018) という動画からキャプチャーしました。
同じ図面に思えますが、動画からは確実にそうなのかはわかりません。
Octaneの「ベルト―ネの貴重な遺産の数々が眠る建物に潜入」という記事も読むと、同じらしい感じはしますが。

動画も記事も興味深いので是非ご覧ください。検索すればすぐ見つかります。
Octaneの記事で語られていた、1/5スケールのカングーロはmotor1の動画の中でも一瞬ですが本当に輝いて見えます。
(添付のカングーロ画像は別に見つけたもの)

    DADA   2020年1月9日(木) 7:37    [修正]
>テスチュード
私これまじかで見ました。
もちろん小坂さんの復刻版ですけど。

ZAGATOの原田さんが、これを見て思わず涙したと雑誌に書かれてましたけど
ホントにすごいコンディションでした。
マットの網の目まで再現したということで、博物館レベルのALFA TZをドナーにして作り上げちゃう小坂さんの情熱はすごいと思います。
初代アバルト美術館の山口さんも『あいつの完璧主義には脱帽だ。』とおっしゃってました。

あれ?話が脱線しました。お話しをミウラとGT40に戻しましょう。

    a-krica   2020年1月12日(日) 13:55     Mail [修正]
>DADAさん
>>テスチュード
 >私これまじかで見ました。もちろん小坂さんの復刻版ですけど。

小坂史朗氏がテステュードを復刻したという話は初めてお聞きしました。
失礼ですが、カングーロの間違いではないですか? 念のためですが。

私もギャラリーアバルト自動車美術館には何度か行ったことがあります。
初めて行った開館からまだ日が浅い頃は若いスタッフもフロアに数人いて、「ここで見てみたいと思う車はありますか?」と聞かれ、フェラーリP5!と答えましたら、
「う〜んP5ですか…。P5はもう存在しないんですよね〜。」と言われた記憶があります。私の意見が反映されたかな? …なわけないか。
残念ながら私はここでディーノ206コンペティツィオーネとカングーロは見ていないんですよね。P5はフェラーリ&マセラティ展で見ましたが。

>話が脱線しました。お話しをミウラとGT40に戻しましょう。

どんどん脱線していいじゃないですか。ミウラとフォードGTについては私は書きたいことだいたい書きましたし。
ミウラについてはフォード抜きでも遠慮なさらずおおいに書いてください。
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