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キジトラの子猫



そのキジトラの子猫はジンロの小さな段ボール箱に入ってうちにやってきた。
生まれたばかりで目も開いていない、小さくて小さくて、それが猫だとは自信を持って
言いきれないくらい、普段目にする猫とは様子が違う、何だかよくわからない小動物、
そんな感じだった。

上の写真は、子猫育てグッズをいろいろ買ってからのことだから、うちに来て数日が経過
した頃。これでも少し大きくなっている。

当時私は一大決心をして新潟から横浜郊外に引っ越し、やっと少し落ち着いてきた頃だった。
今の業界に入るために転職をして、何とかそれっぽい会社に入れてもらって、ペーペーから
やり直している最中だったのだ。
家内と2人で住むために借りたアパートは、低い山の中腹にあった畑を宅地に転用したような
ところで、駅から歩いて30分近くもかかりそうなところなのに、家賃は新潟の倍近くもして、
その家賃を払って生活していくのが結構きつかった。

当たり前のようにペット禁止のそのアパートに、家内がある日、横浜のバイト先で出来た
友人からもらったと言って、段ボール箱に入った子猫を持って帰ってきてしまった。
私の仕事の先行きもまだ何ともいえないし、生活費カツカツの中で、賃貸契約で動物は
ダメって言われてるのに、どうして相談も無くそういうことをするかなぁ…、と思ったのだが、
ジンロの箱の中でジタバタ動いて、時々ひっくり返っておなかが見えるこの小さな生きものを
見ていると、それだけで顔がニンマリして、いとしくなってくる。
何だこの小さいやつは。
全身黒っぽいシマシマだが、おなかはピンクでヤマメのパーマークのような点々がある。
何だこのかわいいのは。
この、ミィーともニィーともつかない弱々しい声で鳴く小さな生きもの見てしまったら、
これはもう大家にダマで飼うしかない。そう決心した。
今収入が少なくて生活が厳しいったって、動物の1匹くらい飼えないようじゃ、先行きも
それだけのもんだってことだ。そんなもんでいいわけない!
なんか自分にはっぱかけるというか、言い訳考えるというか、そんな感じだった気がする。
家内は私が猫好きなことを良く知っていた。

家内の友人の部屋はアパートの1階で、そのベランダに置いた洗濯機の上に、何匹かの
兄弟達と一緒に捨てられていたそうで、その中で一番かわいく見えたのを連れてきたんで
お願いね、とのことだった。更に後日聞いたところによると、一緒に捨てられていた兄弟達は
全員亡くなってしまったとのことだった。
この子だけでも助けることが出来て良かったと思った。

名前は、家内がマロンとつけた。私としてはちょっとなぁ…と思ったが、
もらってきた人がつけたい名前でいいだろうと思って黙っていた。
その後、そのちょっとなぁ…と思った名前の猫と20年も一緒に暮らすことになるとは、
その時は思いもしなかった。

愛されるオレサマ↓ どうしてこういうことになっているかは後述。


猫は好きだが自分で飼うのは初めてである。ましてやこんな小さな子猫。
一体どうやって育てればいいんだ?
とりあえず動物病院に連れてって病気がないか検査してもらって、育て方を聞いてこよう。
そう思って翌日の朝、出社前に会社のそばの動物病院に子猫を持って行った。
会社はフレックスというか、基本的に何時出社でもOKだが、ほとんど毎日夜中までやる、
というペースだったので、その日も午前中を子猫のために使えた。

その動物病院で獣医に子猫を見せた最初の言葉が、
「小さすぎます!こんな小さい子は私達プロでも育てるのが難しいしいんです!
安易に飼おうなんて思わないでください!」
まるっきり頭ごなしに怒られた。
そんなこと言われたってこっちも困るのだが、ここで売り言葉に買い言葉で、
小さすぎるって言われても、じゃあ、大きくなるのを待ってから拾えってか?!あぁ?
なんてこと言ってはいけないと思い、グッとこらえて、
はぁぁ、すみません…。それで、ええと、どんなふうに育てたらいいんでしょうか?
と低姿勢に徹して、色々我慢しいしい聞いてきた。
で、絶対立派に育ててやる、と誓った。ww

体温を保つためお湯を入れたペットボトルにタオルを巻いて寝床に置いてあげるとか、
シリンジを使ったミルクの飲ませ方とか、おしっこやウンコのさせ方とか…、色々聞いた。
腹はたったが、すごくためになった。
これくらい小さいと自分一人ではおしっこさえ出来なくて、そのままにしておくと、
それだけで死んでしまうということもあると、その時知った。
そんな弱いものなのか…。

小さな体のわりにミルクは結構飲む。1日に何回もあげなければならない。
そのために昼休みと、夜休み(夕飯の後も仕事するので)に会社から一旦帰って、
自分が飲み食いする時間も惜しんで、ミルクを与え、ペットボトルのお湯を替え、
おしっこをさせた。



そんなせわしない生活を1ヶ月も続けていると、自分でトイレに行って用を足すことが
できるようになり、食事も流動食を経て固形のものも食べられるようになった。
ミルクに混ぜてドロドロのご飯を初めてあげようとした時は、食べたいのだが
食べ方がわからず、口のまわりというか、体中がビショビショのシャバダバダ…、
となって大変だった。まわりも汚れるし後片付けにも手間がかかったが、
何でも食べようとしてくれる子でとても助かった。
沢山食べて、少しずつ…、いやどんどん大きくなっていった。
2か月が過ぎ、3ヶ月もすればもう立派な子猫様である。ちゃんと猫だとわかるww

初めて自分でおしっこした時、ウンコした時は感動した。
はじめて走った時も嬉しくて声が出た。(猫じゃなくて私の声)
机の上のスケッチブックの上をテトテト歩いたり、網戸をよじ登ったりした。
自分では降りられなくなって困ってミャァーミャァー鳴くので、引っ剥がして抱いて降ろした。
小さいから片手で出来た。

目が見えるようになって、私の手の動きを目で追っていることがわかった時も嬉しかった。
いわゆる“目が開いていない”というのは、物理的にはまぶたは開いていても、
見えていない(景色が認識できていない?)状態がしばらくあって、
その状態のことをいう、ということも獣医からの教えで知った。
そんなもんだから、この子猫が、目が見えるようになって最初に見た動くものは、
多分私だったと思う。
その後の、どうも自分を猫だと思っていないような行動にそれは見てとれる。

食べ物の好みも変わっていて、(普通猫が苦手なものとされる柑橘類の)みかんや
バナナやリンゴが好きだったり…(3枚目の画像、左上2枚がみかんを食べているところ)、
何だか人間が好きなものを大体好きなのだが、それは単純に私が、
自分が食べているものをそばで欲しがる子猫に与えていたから。
皮をむいたリンゴを2人で両側からかぶりついて食べたりした。楽しかった。

これはあとで聞いて反省するのだが、人間と同じものを食べさせてはいけない、
そんなことをしたら猫にとっては健康を害し、寿命を縮めるだけ…、ということなのだが、
その割には長生きしてくれたので、その点では後悔しなくて済んで良かった。
ありがとう、消化器系が優秀だったマロン。

私の好みと違うのは、私が苦手とするミント系の匂いが大好きなこと。
床屋でつけてくれるような整髪料の匂いも大好きで、私が床屋に行って来ると、
祭り状態で、せっかく床屋がビシッと仕上げてくれた頭をいつも台無しにしてくれた。
2枚目の画像で頭をなめまくられているのがその様子を写したもの。

なでられて幸せそうな顔は20歳とは思えない。↓


基本的に気難しくて怒りんぼで、家内(マロンをもらってきた家内とは別人)のことを
自分よりも下の身分くらいに思っていて、私に叱られると、私にはかなわないと思って
いるのか、腹いせに家内の背中を噛んでダァーッと逃げるようなこともした。
全くなんてやつ…。

もともと猫のことをそんなに好きではなかった家内には、さぞ“強敵”だったことと思う。
家内が努力してくれてだんだん猫に慣れ、マロンも高齢になって少しずつ丸くなり、
ようやく最近、両者の間が少しだけ縮まったように思えていた。

マロンの晩年の事は、家内が綺麗な写真とともにブログでとりあげてくれているので、
 う〜にゃんっ http://blog.goo.ne.jp/reomama518
私は飼い始めた時からのことを思い出しながら書いてみた。
あの頃のことを、昨日のこととか、去年のことののように…とかはさすがに思わないが、
それでも、あれからもう20年もたってしまったとは、今だにとても思えない。

これほど長く一緒に暮らしてきたし、ほとんど毎日同じ布団で一緒に寝て、
晩年には何度ももうダメかというような状態から回復してみせてくれた。
猫を見送るのは初めてではないし、“いつか来る日”が来たとしても、
マロンの時はもう、それほど悲しまなくても済むかなと思っていた。
だが、違った。 全然違った。

私がたまたま徹夜で仕事していた5月24日の早朝5時過ぎ、突然痙攣を起こした。
すぐに仕事を中断して、これまで何回かそうしたように、体をささえてなでたり、
手足をさすったりして回復するのを待った。
だが今回ばかりは願いかなわず、だんだんと息が弱くなり、空を切るように動かしていた
手足も動かなくなっていき、ついにはそのまま私の手の中で息を引き取った。
ついこの間、モモを見送ったばかりなのになぁ…。

他の猫はともかく、マロンだけは絶対に自分が看取ってあげなければと思っていて、
その通りにできたのだから、それはいろいろなことに感謝したいのだが、
やはり、悲しまなくても済むなんてことは全然無くて、つらい。かなりつらい。

亡くなったことを忘れて過ごして、ふとしたことで、ああ、そういえばそうだったと思い出し、
せきを切ったように涙があふれてくる。
この猫に色々と気をつかって暮らしていたんだなと思う。
もうそういうことを気にしたり心配をする必要が無くなって平和な生活が戻ってきたのだが、
そこにはさみしさがついてまわる。





長い間一緒にいられたことに感謝…。

2013年05月28日(火) No.530 (猫、動物、蝶、風景、写真)
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