Car Styling Design - BBS log3  [検索]

  カースタイリングデザイン掲示板の過去ログの一部です。


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 ガンディーニを評価するということ。(副題:誰がミウラを輝かせたのか 後編 笑)   くろだ    2006年1月10日(火) 2:13   
ガンディーニを評価する場合、
作品そのもの以前に、彼の「挑戦の美学」というか「新しい地平を希求し続けたココロ」に対し、まず賞賛を贈りたくなってしまう。彼のデザイン活動を「冒険」などと表現した文章を見ると「上手いこと言うねぇ」ってなもんです。

ミウラを発表した後、ひと息ついたガンディーニが「さーて、次はどんなデザインをしてこましたろかい」と考えて書いたアイデアスケッチ画(下の2枚)をクリックして、じっくりとご覧あれ。
たしかに雁ノ介のサインも入っておりますな。赤いクルマの下手っぴーな映りこみハイライトの入れ方のマズさはまさに、Robertの送ってくれた1stミウラのスケッチと同一タッチですね。(ちょっとテステュードを感じる黄色いクルマのシートの書き方も同じ)

さて。私は、ミウラにおいても重要なのは、古典的なバランスの良さやプロポーションではなく、その上に立ち現れた未来志向性とか、薄いフロントが醸し出すウエッジーなモダンさとの
「アンビバレントな」魅力であると考えます。言い換えるなら、
「どこが新しいかにこそ注目すべし!」

そしてこの2枚のガンディーニスケッチ画にも、そういう「次の時代を造形しよう」という方向性を強く感じるのです。
え、別に感じない?まぁ、これがミウラの後に描いた’67年ごろのスケッチなら別に新しくもないかもしれませんが・・・実は!この2枚は、ガンディーニが
まだアマチュア時代の1961年春!にアバルトに向けてプロポーズしたものなのです。(描いたのは’60年!)
ベルトーネとかミウラがどうしたこうしたの、遥か4〜5年以上も前の作品だったんですねぇ。
さっき「ミウラの後」と言ったのは、ちょっとしたフェイクでした。えへへ。
スケッチだけならススんだもんが描ける、としても、61年といえばジウジアーロでいえばマセラティ5000GTとか
BMW3200のようなまだすごくクラシカルなラインをやっていた時代。翌62年でも250GTシャークノーズやリヴォルタというタイミングですからね。

素人の雁ノ介、しっかり新しい線、狙ってるじゃないですか、ねぇ。

つづく。
(ちなみにヌッチオは、このスケッチに惚れて、’63年に雁ノ介をジウジアーロと社内で競わせようとしたのですが、ジウジアーロに嫌だと言われ、あきらめます。)

    くろだ    2006年1月10日(火) 2:36   
つぎに。Robertのミウラスケッチについても、見慣れたミウラのラインであるリアを手で隠してみてください。
フロントが模索している造形の時代感覚は、トレンドから実に5年は先のクルマのようではないですか。
ジウジアーロの作品表で言えば何に似てる?と問われれば「ボーラのスケッチ・・?」と言ってもおかしくないモダンさ
だと思うのですが、いかがですか。(ちなみにボーラは71年!そのデザイン源流マンタでさえ68年の閃きを待たねばならなかったのですので、ジウジアーロ側からの逆の影響は、あり得ませんので、念のため。笑)

天才ジウジアーロが、はからずも築きかけていた美の様式に飲み込まれてしまったら、次を担うデザイナーとしての道は、無い。

ガンディーニは、ジウジアーロのクルマの美しさを痛感した上で、常に「新しい美」を探求し続けたのです。

そして、その非ジウジアーロ的デザイン態度は、後のカーデザインに新しい可能性と、ひろがりをもたらした点でも称えていいと思うのですが、Ashさんなどそのあたりどうお考えでしょうか。ぜひうかがいたいです。

えーー、以上が12月29日に書いたメモのその1・「ガンディーニはただの素人としてベルトーネに入ったわけじゃないんです。」編でした。
長い!
あとは、一気にはしょっていきますが、ジウジアーロが考えてたミウラは、以下に示すようににガンディーニ版より古典的な路線をめざしていたので、
ビッザリーニストラーダがミウラ並みの均整を獲得したクルマが出現していたとしても、それは、ミウラとは別のクルマだと。

ミウラを語るとき、その均整を魅力とするぶんぶんさんのような見方を否定はしませんが、
むしろ「ミウラから始まっているもの」「ミウラに見て取れる未来志向」が、プロポーション美の中で果たしている役割こそが重要だと思います。
ラジエターの位置を強固に変更させた青年の好みは、ミウラのフロントフードをロー&フラットなものにする結果を生み、これは、
トゥーリングのモックをいくら詰めてもでてこないテイストであり、また、ジウジアーロのビッザリーニ的アプローチとも決別するものであり、
それが、「ミウラをミウラにしているエッセンス」なのだと。

61年の時点で、青年がスケッチに描いた「薄くてフラットなフロントがビューんと風を切り裂く」ようなイメージは、
たしかにミウラの造形におおきな特徴を与えていると思う。それが他の均整のとれたクルマとミウラとの違いであり、ユニークな輝きとなったのではないか。という主張なのです。

したがってぶんぶんさんが書いていた部分への私の反論は、こうなります。

ガンディーニを取り巻く環境はジウジアーロによってデザイン組織として統合されたもので、
ガンディーニには、それを一気に変えるすべもなかったが、
しかし、「様子見」していたわけでは決してなく、ヌッチオが見抜いて評価してくれた
ガンディーニのテイスト・アグレッシブなトライアルを、その時点で可能な限りミウラに埋め込んだ。

3枚目は、時代に対して一歩先のモダンさを提案するという意味で、私がミウラに見るポイントと共通する1台、レイモンド・ローウィのBMW507スペシャルです。’57でこれは、まさにAVANT!
ローウィのフィロソフィーで言えばMAYA=Most Advanced Yet Acceptable(最も進んでいて、しかも受け入れられる)




 ランボルギーニ ミウラ復活! デトロイトショー2006   _ASH_INSTITUTE_   2006年1月7日(土) 17:33    Mail
2006年1月6日
ランボルギーニは歴史に残る車名『ミウラ』を復活させ、2006年北米国際オートショー
=通称:デトロイトモーターショーにコンセプトカーとして出品する。初代ミウラを
ベースにしたレトロインスパイアなデザインスタディだ。
ミウラ・コンセプトはランボルギーニのデザイン部長、ワルター・デシルバが開発の
指揮を執った最初のランボルギーニ車だ。〜
http://response.jp/issue/2006/0106/article78015_1.html



ここで年末からこんな話題で盛り上がっていたから…というわけでは無いでしょうが、
ついにこんなのが発表されましたね。レスポンスの記事などを読んで、またバリバリとご意見をどうぞ。(^-^)ノ

    yumetake   2006年1月8日(日) 11:57   
うわさをすればなんとやら・・。

これは昔のやつにかなり近いというか、面が少し硬質になってる分、
GT40に近いかもしれませんね。ワルター・デシルバは近年の主流になってる
デザインとは違って細部のなめらかな曲面にコダワル人みたいですから、
素材として向いてるかも、と思います。

元のミウラと全く違うミウラも見てみたい気もしますが、
一部に熱狂的なファンがいそうな車ですから、そういうのこさえる方も
勇気が必要ですね。

ここのところこのBBS読んでたせいかミウラが頭から離れなくなって
(DADAさんの初夢、面白いです!)
「ミニミニ大作戦」の冒頭だけ、見返してしまいました。
地を這うような着座姿勢。強くラウンドしたフロントスクリーンごしに、
奥に風景、手前にミウラならではのなめらかなフロントフェンダーの曲面が
映える・・。そして実車であれば後から聴こえるはずのあの音!

ミウラファン?は必見ですよ。

    大内 誠   2006年1月8日(日) 12:26    HP Mail
DADAさんの初夢は傑作でしたね。またお聞かせ下さい。ニューミウラはやはりこれでしたか?。実は僕も御正月にこんな事考えておりました。しかし当然ながらあの名作を越えられるはずも無く、とんざしました。本家もシルバが指揮したならば、もう少しオリジナリテイが出なかったものでしょうか?。シルバはSEATからこちらにきたのですか?。

    utida   2006年1月8日(日) 16:43   
>そういうのこさえる方も勇気が必要ですね。
まったく同感です。
前作を超えることは古い車になればなるほど容易じゃねぇだんべが、と言いたい。
これにあえて挑戦するというのであればその情熱のみに賛辞を送りますが、あくまで情熱のみに、ですね。

でも大内さんのスケッチに触発されて私もちょっと考えてみようかな・・

    くろだ    2006年1月8日(日) 22:06     
コンセプトカーっちゅうのは、コンセプトがあるからそう呼ぶんだろっ!?
ないじゃないか、これには!!!なんにも。

新しいデザインを酷評することは、私はめっっったにないんですが、これは許せないものがあります。

デシルバ、「夢にまで見たミウラのリデザイン」がコレだったら、もう、終わってますよ。はっきり言ってこのレベルならキットカーメーカーでも十分できます。

おこるでしかしっ(←横山やっさん憑依)

「まったくミウラっぽくない」ですね、このクルマは。

なぜならミウラの真髄は、「完璧なバランス」などではなくて、
未来への指向性と挑戦の美学なんだから。(←あくまで持論)

ま、とにかくですね。
トップデザイナーっちゅうのは、コンセプトカーにおいては、可能性を模索するのが使命なんじゃないのかと。
苦労しながら戦う同志たちに勇気をあたえてなんぼなんじゃないのかと。
スーパースポーツのスタイリングで、過去の作品に完全な白旗あげて、どうすんねんっ。
「レプリカなのでデザインはしませんでした」て言うならまぁともかく「これがやってみたかったミウラの新デザイン」って何の冗談か?と思うのですが、いかがでしょうかみなさん。

本当は、例のAUDI系のNew Designをちゃんと考えているが、それをカモフラージュするダミーか、もしくは「やりまっせこれから」というアドバルーンに違いない、と思うほど意味のないデザインです。GT40を復活させるという改造屋文化の国と同じノリでやっちゃーイカンでしょ。

トレウピーノみたいに、「引用それ自体がデザインの意味になってる」ようなカテゴリーのレトロは、わかるんですけどねぇ。

    Shogo   2006年1月8日(日) 22:09   
たしかにキットカー、レプリカのように見えます。

ミウラのプロポーションを現代へ復活となれば、身長190cmを楽に座らせられるように車高は1160〜1180mmは欲しいでしょう。
元がコンパクトなGT40ならともかく、長いミウラの場合には全長が4800mmに近くすなわち2トンに迫る大柄GTになるか、はたまた360モデナやガヤルドのように、薄いボデイを座布団に乗せて被せたような、タイヤが大きくてちょっとオフロードぽい感じの車になるしかないと思います。

また、ロングノーズプロポーションに必然性を与えるキーとなる大型横置きミドシップ車(初代ミウラはサイズ、実重量、実馬力はどれもNSXに相当)を、初代が先進的だった時から40年経た今、あえて困難な技術課題に挑む意味がどうかという問題もあります。(ただし、もともとスーパーカーに意味はあるのかという点、ベイロンで400kph出す会社なら逆に挑戦したくなるのかもという点を考えると、技術上の判断は不要かもしれません)

旧デザインの再現に徹し、特に新しい提案の見られないこのコンセプトカーの意味を考えると、世の中に無機的なイメージで浸透している今のランボルギーニを、アストンとかフェラーリのような一般的な高級GTメーカーへ誘導し、もっと売りやすい車、あるいはもっとデシルバさんが魅力的だと思う形の車へ次の商品ラインアップを広げて行きたいということではないかと思います。

    くろだ    2006年1月9日(月) 2:35   
有機的な記号性をランボルギーニに取り戻すきっかけとしたいのでは、というShogoさんのお話は、わかる気がいたします。

でもまぁ、ランボがいつの時代も、アンチ権威なハネたもん好きな人が乗るクルマというポジションは変えられないと思うので・・一般的な豊満クォリティの土俵でランボの証を見出すのは、さらに難しい課題を一つふやすイバラの道だと思うのですが・・・。

万一これが、ある程度マジメに提案されたものだとしたら、唯一、技術的に興味深いのは、このボディ形状と大型横置きミドの重量配分のままで、例の深刻なリフトの問題をどうやって解決するのか、ということです。V10縦でバルクヘッドを突き破って室内に侵入しているならエンジン重心はかなり前にできるでしょうが、横置きのままでこのプロポーションでは、リアアクスルとの距離が決定的に不足しているはずです。フロント左右のスポイラーをいくら煮詰めてAUDI四駆にしたとしても、250kmも出せませんよ、怖くて。やっぱ、ダミーかな?

    utida   2006年1月9日(月) 2:56     
ランボルギーニとしては、単純な話、
ランボルギーニイメージの最たるものであるカウンタックの面影を継承したムルシエラゴ、ガヤルド、ときて、さて次はどうするかということで、ここでさらにカウンタックみたいなのを出すと飽きられてしまうと考えたのではないでしょうか。
カウンタック臭を払拭し且つランボと考えるとミウラがあげられるでしょう。

デシルバの「この2年間、ミウラのリデザインをしばしば夢に見ていた」というのはデザイナーは常に新しいものを作り出すべきであるという私の偏見的思想からすると私はあきれてあいた口がふさがらないのですが、単純にワクワク楽しそうだということで気持ちわからないでもありません。
リデザインはデザイナーにとっては成功させるのを考えると苦しいでしょうが、考えること自体は非常に楽しいことでしょうから。氏の言葉は素直にそうとったほうが良いのでしょうね。
私は昨夜課長にこっぴどく怒られてる夢をみてうなされて起きましたが、それよりなんぼかいい夢です(あ、その夢じゃないか・・殺す!by会田誠)

ミニとビートルについても複雑な思いでみていましたが、とくに思慮もなく簡単にやってしまいましたね。

    _ASH_INSTITUTE_   2006年1月9日(月) 18:10    Mail
別の写真があったのでアップしておきます。

寸詰まりになって、優雅な感じが大幅になくなっていますね。
今のランボルギーニらしさが加わったと言えなくもないですが…、ちょっと苦しいかな。

    utida   2006年1月10日(火) 0:04   
1/1だったんですか!?1/10の模型に見えました・・。
ashさんupの画像を見て、かたまり感が強くなってるかなとは思います。確かにレスポンスに書いてあった「輪郭をリファインし、付属的な部品デザインは排除し、簡潔なラインを強調する。」はやられているようです。

んがしかし!
いったい旧とこれ、どちらがかっこいいと思うか全世界60億の人々に聞いてみるがいい、シニョールデシルバ。(dadaさん風に)ガッドファザー・・いかがいたしますか。 うむ、作ってもいい。どうせ売れはせん。また売れたとしても買うやつはたいしたやつじゃあない。だがしかしミウラの名前を使うのはやめろ。それはヌッチオファミリーと今は亡きフェルッチオの顔に泥を塗ることになる。コーザノストラに誓え。ミウラの名前を使わないと。もしそれでも使うと言うならば身辺に気をつけるがいい。特に車に乗るときはな・・。






 寄ってきました   くろだ    2006年1月8日(日) 15:42   
埼玉の妻の実家に挨拶に行く途中、
わくわくランド(←かってに冠つけるな)CORGIに寄ってきました。
ジュリアSSや、白いアバルトが、フツーに並べて売られてます。
33ストラダーレは、模型ですぜ〜。ABARTHの工場も、オーナーのこだわりがにじみでております。

ミニカーにレア書籍、アクセサリー・・・・
お出かけの際は・・財布は持っていかない方が、賢明かもしれません。^^;


    utida   2006年1月8日(日) 16:45   
すごい、どこですかそれ?
埼玉ですか?
埼玉でしたら明日の休みに行ってみますので速攻でお教え下さい!

    くろだ    2006年1月8日(日) 17:09     
環状7号沿い練馬〜板橋付近です。
いまちょと、HPリンク見つからないので、後ほどupしますね。
だいぶ前ですが、HPのリンク付きでここでお話したあの店ですよ。

非常に落ち着く店内。美人のお姉さん気さくで、グー。

33ストラダーレは、ムゼオライト仕様だろっ!というコダワリのutidaさんは、あの驚異のモデルを見とかないと!。

    utida   2006年1月8日(日) 17:17     
http://www.corgys.com/contents/topics.htm
これですね!うわああああああ、こりゃすごいなああああ、あたまおかしくなりそう。いま電話してみたら明日は休みだそうで、ちょっと当分いけそうにないです、残念。

>だいぶ前ですが、HPのリンク付きでここでお話したあの店ですよ。
33の模型の画像を見せていただいたときですね、思い出しましたが、ちゃんとチェックしなかったんですよね・・しまった。

でも東京ですね。環七あたりまでいくのは結構やっかいなんだよなあ・・しかしなんとか近日行ってみます。




 初夢   DADA   2006年1月6日(金) 15:50    Mail
これはあるBBSを読みすぎたため見てしまった私の初夢の話です。
関西のある会社にて。
その1

『新人の雁ノ助よ、これ見てみい。これが今度発表する横置きミッドシップのベアシャシーの図面や。すごいやろ。これにカッコええボディ載せて跳ね馬屋の鼻を開かしてやるんや。』

『お任せくださいボス。このシャーシーに相応しい凄いボディデザインは、僕の頭の中ではもう完成しているんです。今までの馬や鮫や蛇みたいな動物シリーズじゃなくて、宇宙をイメージしたもっと未来の乗り物というか、時空を超えてゆくロケットみたいな・・・・』

『あほ!何言うてるねん。この車は牛や。ロケットやない。それも馬をぶっ飛ばす猛牛や。クライアントの農機具屋の親父の要望は、アメリカ馬GT40みたいな猛牛や。
なーに心配せんでもええ。時間もあまりないことやし、実はこの車の基本形はもうできあがっているんや。こないだ辞めたデザイン担当者と長く一緒に仕事をしたスタッフが今、ええ仕事してくれてる。お前は全体をまとめてお前らしく仕上げてくれればそれでええ。頼むで、新人。』

『しかしボス!それでは僕のアイデンティティーというか・・・』

『わかった。わかった。もしお前がこれでええ仕事してくれれば、次の仕事は全面的にお前にまかせる。ほんまや。実はランチ屋さんからももう少し小型のスポーツカーの話があるんや。そん時は宇宙船でもロケットでも何でも好きなもんやったらええ。
それもこれも今度の《猛牛号》の評判しだいやからな。わかったな。ええ仕事たのむで新人!』

『わかりました!ボス。僕がんばります。』

数ヵ月後
『ガンよ!ようやった。猛牛号は大変な評判や。この一作でお前は超有名デザイナーの仲間入りや。お前を抜擢したオレも鼻が高い。すぐにつぎのやつにかかってくれ。』

    DADA   2006年1月6日(金) 16:04    Mail
その2
『ボス!見てください。これが僕が本当に作りたかった車です。名付けて《成層圏ゼロ号》。宇宙から飛来した未確認飛行物体。70年代のディスコボランテです。もう局面デザインの時代は終わりました。だって宇宙には空気抵抗ないんですから。』

『えらい尖がっててカッコええなー。まさに未来の乗り物やな。
あれ?ちょっと待て。この車前方しか見えへんど。カーブするときはどないするんや。それに後ろのタイヤが半分見えへんやないか。』

『ボス!この車は音速で飛ぶんですよ。左コーナーは機体を左に傾けるイメージで曲がるんです。タイヤは邪魔なくらいですよ。』

『ワシにはようわからんが新しいことは確かや。よっしゃ!今回はコレで行こう。』

『ボス、ありがとうございます。』

    DADA   2006年1月6日(金) 16:35    Mail  
その3
『ガン!たいへんや!わしの心配したとおりになってもうた。あの宇宙船、ボロクソに言われてワシの面目丸つぶれやないか!どないするつもりや。』

『やっぱり、少し先進的すぎましたかね。きっと20年後には傑作と呼ばれるはずですが。
でも大丈夫ですボス。実は一般市民にもう少し分かりやすいやつがもうひとつあるんです。名付けて《成層圏第2号》!』

『また成層圏かいな。今度のはちゃんとタイヤがついてて横がみえるんやろうな。』

『ボス!今度のはロケットというより円盤です。というか・・空も飛べる月面車かな。
平べったい円錐形のキャビンに超ワイドタイヤ、いやタイヤというより左右のタイヤが筒状につながったローラーみたいなやつが車体を貫通するイメージ。
これでデコボコの月面をガンガン走るんです。』

『なるほど上から見ると真四角やな。前のやつとは全然違う形しとるし、超未来的や。
お前は天才やな。こりゃいけるかも知れん。ガン!こいつで名誉挽回や!行けー』

    DADA   2006年1月6日(金) 16:53    Mail
その3
『ガン!たいへんや。跳ね馬屋のやつらがワシらのまねをして12発もミッドシップで来るらしいぞ。農機具やの親父が慌てて連絡してきおった。しかも縦置きの本格的なやつらしい。もうワシらの《猛牛号》では太刀打ちでけんかも知れん。すぐに仕事にかかってくれ。
今度のはワシらも縦置きや。しかし、えらい長いエンジンルームが必要やな。 大丈夫か?ガン』

『ボス、お任せください。キャビンが前方にあるのは航空機では当たり前の形です。僕は得意中の得意ですよ。』

『おいおい。成層圏ゼロはやめてくれ。』

『いえ、あれとは少し違いますが、でも基本形はあれです。僕は最近になって猛牛号のクラシカルなラインを見直しています。
今度のやつは、成層圏ゼロの先進的なプロポーションに、猛牛号の優美なコークボトルラインを融合させた全く新しいコンセプトのデザインです。ゼロの先進性と猛牛の獰猛さと優雅さを併せ持ったすごいやつ。
コレを見たら誰も声を失うくらい驚くでしょう。名付けて《心の中で なんじゃこりゃ!》号』

『よっしゃ!ガンよ。ワシはお前を信じとる。いけー!
この《心の中で なんじゃこりゃ!》号で、跳ね馬野郎に《カウンターアタック!》(カウンタック)や。』

これは夢なので真実とは違います。あしからず。

    _ASH_INSTITUTE_   2006年1月7日(土) 0:24    Mail  
>>DADA さん
初夢4部作、スッゴクおもしろかったです。^ー^
いたるところに、ウフフって思えるような遊びがあって、
ニヤニヤしながら読ませて頂きました。
こんな夢なら、初夢といわず、何度も見たいですね。
またいつか、これの続編でも、別のシリーズでも、何でもいいんですけど、
おもしろいの、期待しています。(^-^)ノ



    utida   2006年1月7日(土) 2:30   
こんな濃ゆい初夢を見られたのですか!?
いったいどんな一年になってしまうのでしょうか!?
私の初夢はやっぱり会社で仕事してる夢でした。しかも三が日連続(まあほんとに仕事してないだけありがたいと思わねばなりませんが)・・ああ日本のサラリーマン。

成層圏ゼロ号にしびれました。
しかし
猛牛号、成層圏ゼロ号、なんじゃこりゃ号。
おもわずおまいらまじめに名前考えろよっ!とつっこみたくなります・・。

そこで日本から刺客!ジュネーブショーかなんかに殴りこみをかけるその名もシューティングスター号!
見よこの斬新な流線型コンパクト2シーターを!マリアンが食らいついてきそうである意味怖いぜ!
タイヤなんて飾りですよ、偉い人たちにはそれがわからんのです!
ではおれの夢を乗せてマイッチング、じゃない、シューティ〜ング!!ってあ、下に流れるな、上に行けっ(←無茶)上だっつーのっ!!
あ〜あ流れた、だめだやっぱし・・。
(冬休みが終わるのでブルーマンデーならぬブルーイヤーになっておりやけくそです)
一応言っておくけど、マリアン、これ実車じゃないから。1/5開発モデルとかでもないから。(←英語で書け)





    Marian   2006年1月2日(月) 21:06   
Hallo

Ifound a picture from new Miura.Its very nice but i dont found more pictures and i found not informacion about this car.

Have someone informations about 1989 Sbarro Osmos and Honda HP-X. On internet is few about this cars.

    utida   2006年1月3日(火) 22:07     
new miura!? interesting.
but this styling is no good for me.
very commonplace finish at current.
possibly this picture is CG!?

    ぶんぶん   2006年1月4日(水) 14:00    Mail  
A Happy New Year,Marian!
Posted pictures are interesting.
They are pleasure for me.

    Marian   2006年1月5日(木) 20:01     
Hallo

Thank you for wish. Likewise I wish all friends of this side a Happy New Year and much fulfil drems.

Iorder Japan - Slovak dictionary. Ihope that come. When dictionary come I study japan language as-as advise me Mr. Utida. Ihope someone help me then I ask you about japan language.

About this new Miura is on internet only this one picture.

To Sbarro osmos:

Second name of this car is Ford osmos. This car have motor Ford V12 , 221kw. It´s very nice car design. Cool color combination from blackblue and dark red. Interesting on this car is situated exhoust and wheel technologi.

    Marian   2006年1月5日(木) 20:11     
About the Honda HP-X from Pininfariana I found nothing. I found 4 pictures on "car styling.ru". Can´t someone give me information about this car. Exist this car and there is it now?


Ifound video about lamborghini Marzal and Bravo. You can´t found this video on this page :

http://www.kldconcept.com/index.php?file=Download&op=categorie&cat=8

Can´t someone side where is video from Bertone Carabo?

PS.: Sorry for my Englisch.

    utida   2006年1月6日(金) 21:24     
marian,do you have a liking tendency of American carstyling?

>Honda HP-X
this car is show car at 1984 Torino show.
this car has honda'Eng for F2. but only study model.
i think that this car is very simple shape,
and interest thing is the colorring.
white and red are honda's color in addition national color of JAPAN.

>When dictionary come I study dictionary.
Really!?
sorry, on before BBS, i said a joke.
japanese is very difficult for European people because japanese don't use the alphabet you know.
and japanese has 3type of a character of word ex. as follows.
"KANJI"=”漢字”、”hiragana”=”ひらがな”
and ”katakana”=カタカナ.
unbelievable! japanese peaple use properly these characters at right combination.

>Japan - Slovak dictionary
i checked web,but sorry i can't find the dictionary.
but i find this Japan - Slovak web site↓.

http://www.akuti.com/slovakia/

please contact this site.
you may get some infomations.




    _ASH_INSTITUTE_   2005年12月30日(金) 4:18    Mail
>>くろださん
是非、本当にか書きたかったことを全部書いてスッキリしてください。
皆さんもそれを期待していると思います。
私も、私なりに思っているガンディーにらしさについて、書いてみたいと思っていますので、
もう少し、みんなで続けましょう。^^
いっぱい書いてもいいように、この掲示板で表示できる記事の数も、200件から300件に増やしましたし。^^

ここに写真が上げられたものを含めて、近年のガンディーニ作品は全然冴えてないというか…、
正直、目を覆わんばかり、というほうが適切なように思います。
ジウジアーロにしても、とても全盛期の煌きはないように思えて、さみしいかぎりです。
“誰でもそうですが、ガンディーニの場合も初期のデザインがベストでした。”
という、ヌッチオ・ベルトーネの言葉が心に染みます…。

画像は、このあたりが、いい意味でガンディーニらしさが良く出ていたものの最後かなと
(個人的に思っている)91年発表のMASERATI CHUBASCO。 ごく近い時期に発表された、
ISO GRIFO 90 と、MRとFRの違いこそあれ、良く似たテイストだと思います。

    くろだ    2005年12月30日(金) 11:14     
>>>くろださん
>是非、本当にか書きたかったことを全部書いてスッキリしてください。
>皆さんもそれを期待していると思います。

いえいえ^^;
私は、あの話題について、みなさんのお話を伺いたいなぁと思ったのです。
とくにAshさんとか! <<<<ビシーーーー!(^ー^)

おうぎょうなメビウスの輪の話は・・・
ただの、あのカウンタックの事でした^^; <<予告編だおれでスミマセン

    utida   2005年12月31日(土) 1:35   
>91年発表のMASERATI CHUBASCO。
空気の流れ方が面白いですね。
こういうのをみるとガンディーニはやはり理工学系ですね。
カウンタックももちろんがちがちの工学からでてきた形と思いますが、うまいぐあいにコンセプチュアルなものと高い次元で合一化していました。
これはシンプルさが無いですね・・。

メビウス面を早くからやった車みつけました。
ガンディーニに影響を与えた!なんていうつもりはありません。
(可能性はあるかもと考えると楽しいですが。もっとおしりが下がったらそっくりになると思いますので。)
ただ見つけただけです。
私けっこうこの車、モンツア、好きです。子供の時初めて買ってもらった外国のミニカーがこれだったもので。
ああ、あのころに帰りたい(←遠い目)。
まじで。
200万円で帰れるなら払って帰ります。


    くろだ    2005年12月31日(土) 3:38     
きましたね!モンツァGT。さすがutidaさん。

28日にマルツァルのガンディーニ凹面を説明したところで、
「凹面のこの感覚は、アプローチとしては、あえて言えば
当時のイタリア的ではなく、アメリカのものに近いかな」と言ったのは、まさにこの系統を指してのものです。

私は、ミウラがデザインされる際に影響を与えた可能性は、あるかも、と思いますよ。ガンディーニはテステュードの隠れ大ファンだったのでは、とも思いますしね。このへん、また、話したいと思います。

また、遅くまで、飲んじゃいました^^;

    utida   2005年12月31日(土) 4:53     
やはりそう思います?影響を与えたなんていうつもりはないなんて書きましたが、実は思いっきりこれじゃ、と思っていたりして・・。
当時50年代から60年代初頭ってアメリカ車全盛期ではないですか。特にGMはトレンドです。そこにGT40投入。そしてアポロ計画。時代はアメリカですよ。ガンディーニは好きな車に「コード」をあげているくらいですから、アメリカ車に一目おいていたことでしょうし。

そして話を蒸し返すようですが、ミウラのビード?、実は私はミウラの場合リアスロープをへこませたというよりも大きなエアインテークをベタッとはみださせて付けて目立たせた、その為に図らずもビードが立った・・と見えるんです。それはおそらく1965年当時彼らが目にしたGT40MKUを参考にしたのではないかと思いました。その後のガンディーニ作品のビードが立っているのはミウラの処理が思いのほかうまくいっているので一つのテーマとして(主目的はエッジを引き立たせるためでしょうけれども)継続した、と私は思いました。

    くろだ    2006年1月3日(火) 15:22   
みなさんあけましておめでとうございます。
大阪に帰省中につき、携帯ローミングの激遅通信速度で書き込んでおります ^^;。
お正月早々、水谷さんから素晴らしいスケッチ資料の投稿、うれしいですよね。
Robertさんに、ナイス投稿ありがとう、とお伝えください!

Thank you very much Robert for your showing us a great material 'Smokin Gun' that is realy interesting for us discussing who realy added glory and uniqueness to the styling of the Miura .

去年のつづきで書こうと私が思っていたことが、1枚のスケッチに現れているようで「やられた」という感じです。
このスケッチは、パースもズレてるし、いかにもへたっぴーなものではありますが、
見事なまでに「ミウラをミウラたらしめているもの」「ミウラを特有にしているもの」
が描かれていると思います。それは、何か。

’65年時点で「イタリア伝統的なミドエンジンスポーツのスタイリングからの離脱をはかり、
むしろGM(シボレーコーヴェア系統)のスタイリングが先導していた擬似エアロダイナミクス的モダニズム
をイタリアメカニズム上に取り入れようとした」ということです。

utidaさん、申し合わせたようなキャッチボールですが^^、ミウラのスタイリングにアメリカの話を出した記事なんて、見たこともないですからねー。^^

ミウラは人気のクルマですが、「カーデザイン史的には別に・・・」という冷めた評価がここのBBSのみなさんにも
多いですが、私もおおむねそんな感じです。しかし多くの人をここまで長きにわたって魅了しているからには、
「ミウラだけが持つ何か」があるはずだと思い、考えた結果が上記のガンディーニの功績なのです。
なぜ、ガンデーニなのか、を説明しないとまたツッコミがはいりそうですので。それは。
@このスケッチが明らかにジウジアーロよりガンディーニのタッチに近い。というか、そのもの。
Aジウジアーロの残したスケッチとは、対極的なものが意図されている。
Bガンディーニの61年頃のフィアット・アバルトへのプロポーザル・スケッチを見ると、このミウラスケッチに通ずるテイスト、方向性が
すでに見てとれる。

などです。
utidaさんもご指摘のように、ライトの存在感を消そうとしている点も面白いですね。おそらく実車ではラジエター上に使われた桟を固定ライトの
存在感消しに用いようとしたものだと思います。装飾的と言われるのを気にしない様式への抵抗。GT40っぽいのを、何とかしようとしたのかな。
また、例の「面の正負の切り替えを用いた大胆なストリーム感表現」もガンディーニ節、全開ですね。
今日は、通信容量が無くて図説ができないので、まずはレスポンスのみで失礼します。帰ったら図説追加します。
本年も、よろしくお願いいたします。




    くろだ KURODA   2006年1月3日(火) 19:59   
Hi Robert,
The old Miura sketch showing real uniqueness of styling of Miura seems to be a proof of that
Miura's glory is not by Giugiaro because the handwriting of that is similar to Gandini's !

How do you think about that?

KURODA--spelling'くろだ'

    ぶんぶん   2006年1月4日(水) 15:08    Mail  
新年おめでとうございます。

くろださんは大内さんの「わ」の論文「ジウジアーロ作品3兄弟の秘密/誰がミウラを創ったか」の内容はご存知だったのでしょうか。
今回の議論と内容がかぶっているようです。
シボレーコルベアモンツァGTにも言及されているようです。
クロダさんとは逆のスタンスでの展開のようですが。

Robertさん提示のスケッチは確かにミウラを感じさせますが、ホイールアーチとタイヤの関係が明らかにミウラと違います。新任のガンディーニがスケッチを描いたが、ベルトーネ(の社風)に変更されてしまったと言う事でしょうか。

とにかく、私はミウラの価値は、ポンペイの壁画に溶け込んでしまっても違和感がないような、静的な、クラシックなプロポーションの魅力だと思います。ミウラのデザイナー(チーフデザイナー)がガンディーニだったとしても、話をミウラに限定していてはガンディーニを語れないと思いますので、話を広げませんでしょうか。ガンディーニ再評価、ガンディーニ発見、とか、クロダさんが話を続けやすい設定がいいと思いますが・・。

Utidaさん、なかなかマイナーな線を突いてきますね。
最初のは7LのMarkUの初期の形態でしょうか。でも一番カッコ悪いやつ。
2つ目は4.7Lのスパイダーですね。フォードフランスがエントリーしたタルガフローリオでの写真でしょうか。エアインテークはミウラに似てますね。フォードGTのスパイダーは、フランスチームのイメージと、弱かった事が重なって、どこかロマンチックに感じていたので、どんなカッコをしているか写真を見たかったのですが、情報不足でよく分かりませんでした。横から見るとノーズが短くてカッコ悪かったような気がします。
スパイダーはあと1台以上あって、屋根だけが無い普通のGT40 のカッコした7Lがあると思いますが、ちゃんとした写真を見た事がありません。その他に、その車を後で改造したか、又は別の車か分かりませんが、写真の車と同じタイプのリアかウルで、フロントウインドウが低い車があります。こちらはカッコよさそうですが、やはり写真がありません。

写真はクラシックなミウラと現代的なミウラ

    ぶんぶん   2006年1月4日(水) 15:48    Mail
ASHさんご提示の赤い車はMASERATI CHUBASCOと言うのでしょうか。
エアロダイナミクスを掘り下げているようですが、これはカウンタックの反省でしょうか。

総じてデザイナーは、独立して自由になると本人の意図が明確になりますが、やりすぎになったり欠点が露骨に現われるようです。そして歳をとると機能やメカニズムに意識がいくようです。ガンデイーニが理工系と言う事ではないかもしれません。ジウジアーロもマングスタの頃はフロントウインドーが頭に近すぎて不快だと言われていましたが、スバルのSVX(クロダさん乗ってたやつかな)では絶妙な空間取りになってたと思います。

余談ですが、SVXはインテリアに建築的空間を感じた唯一の車です。
WRXの試乗に行って、待ってる間に近くにあったSVXにヒョイと腰掛けただけなのですが、建築的空間(語りかけてくる空間)を感じました。
その時は深く考えなかったのですが、その後数年してあれはすごい事だったと思い直して、中古車屋で乗せてもらったのですが、ご自慢の車は走り屋系に改造されていて、空間の良さが無くて再確認できませんでした。以来、あの小さな空間が語りかける要素は何だったのか、非常に気になる車です。




 70年代、カーデザインに何が起きたか   くろだ    2005年12月26日(月) 14:09   
このへんで、スレを変えましょうか。

前述した稜線(ベクトル)と逆R面の話(お褒めにあずかり光栄です^^)は、単にクルマに現れた特徴の話ですが、それよりももっと重要だと私が考えているのが、「そのリバース面が当時のデザインのプログレッションに何をもたらしたか」ということです。何度か予告もしましたので、皆さんなら何の話になるかおわかりかと思いますが。^^(下記図参照)また今度書きます。

ガンディーニは、特にスポーツカーのデザインに「気」の流れのようなものを取り込もうとし、また実際かなりそれに成功したところが、従来のデザイナーと違っていたと思ったりしますが、どうでしょうか。

クルマのメカニズムにめっぽう詳しい理論派でありながら、デザインに関しては、立体物としての形状にとらわれることなく、人々の心にある情念やほとばしり(笑)をクルマに表現しようとした点で、ジウジアーロよりも芸術家的なデザイナーであったとも言えるでしょう。

ガンディーニホイールアーチの話が出ましたが、あの当時高島氏は「丸いタイヤになぜこんなカットをするのか!醜いギミックである」と酷評し続けていたのを思い出しました。カーデザインとは・・という価値観
そのものが、ガンディーニと異なっていたようでした。

    _ASH_INSTITUTE_   2005年12月26日(月) 18:46    Mail
いい子で仕事しながら待ちますんで、早く続きをお願いします。(o^-^)oワクワク

メビウスの輪(でいいすか?)見ても、何のことだか全然わかりません。^^;

    くろだ    2005年12月27日(火) 1:01   
メビウスの輪の話は、他の話をしてからにします。
今日は文科系アプローチで。(^ー^)

ミウラに感じたガンディーニの「何か」を、伝わる言葉にするのは難しいのですが・・
すごい極論ですが、ジウジアーロが「カタチ」をデザインするのに対して、ガンディーニは「時間」をデザインする、と言えるきがします。

スポーツカーのデザインの場合。
すれすれまで顔を床に近づけて「ギュワーーン」と言いながらミニカーを前に押し出している男の子の視点・ベクトル感覚=コクピットで高揚するドライバーの感じる方向感覚。そんな動的瞬間の持つパースを止まっているクルマに定着しようとするのがガンディーニだと。
だからガンディーニのスポーツカーは、後方やや俯瞰という一般にはマイナーなパースからデザインしたのかという印象を受けるものが多い。
視点・方向感覚が「クルマを見る」んじゃなくて「クルマから見る」主観なんですね。

そこで。
******************************
リアから見たときに両タイヤ上に「前方への強いベクトル感を持った逆R面」が見えたら、それはガンディーニのスポーツカー
****************************

と言えると考えます。反証あったらお待ちしております。

私の好きなマイナーモデルBRAVOは、当時アンチガンディーニ派からボロクソに酷評されたモデル。クルマらしさも無い。たしかに。

カウンタックを経て70年代中期のガンディーニウェッジシェイプ作品と、「よき日のミウラbyジウジアーロ」とは何の共通点も無い、というのが定説でした。
しかも10年も時代が離れているBRAVOとミウラの2台に「そっくりなところがある」なんて言ったらアホかと笑うでしょう。
ところが・・・
つづく↓

    くろだ    2005年12月27日(火) 1:05   
下の2枚、どうでしょう。(^ー^) 似てませんか。
やはりあの「ガンディーニ稜線」のもたらすアイデンティティは、かなり強いんじゃないですかねぇ。
流れているんですねぇ。

私は、あの稜線の発見よりも、「コークボトル&クラシカルライン」としてミウラを見るのではなく、ガンディーニのウェッジシェイプ前夜として見たことの方が発見であったかな、と自分では思います。(^ー^)

    utida   2005年12月27日(火) 1:49   
くろださん、鋭すぎます!!
BBSをあけて面の図を見て唖然としました。
いまから書くことはくろださんが言っていることと似ているかもしれません。
私はいまbbsをあけるまでずっと会社で仕事してるふりして「ガンディーニとジウジアーロを識別する決定的な要素は何か」を考えつづけていました。この命題は今回の論点とずれているかもしれませんが、私の中ではこれでした。そしてその要素はくろださんの逆Rを含んでいなければなりませんでした。そしていくつかのことに気がつきました。

1)ジウジアーロには内側から外側へ向かう力が作用しており、表面はその力により緊張したふくよかな張りを持っている。この内側からの力は中に乗る人間から発するものであり、ドライバーとしての人間を最も尊重している。

2)ガンディーニには逆に外側から内側へ向かう力が作用しており、その力は外を流れる空気によって作られる見せかけの力である。
空気の流れがマッスを削るように車の回りを流れており、表面を研削している。逆R面はその気流により削られた痕跡の一例としてある。面は逆Rにならなくても空気が表面を高速で流れ研削することによりガンディーニの面を構成する。車の中に人間の気配は希薄であり、ただ空間を切り裂いて行く構造物としてある。

以上から、
・ジウジアーロは人間→構造
・ガンディーニはスピード→構造
というを図式があるように思えます。
これは二人の興味関心をそのまま表しているようにも見えます。
画家になりたかったジウジアーロ、根っからメカ・レース屋のガンディーニ。

>特にスポーツカーのデザインに「気」の流れのようなものを
>取り込もうとし、また実際かなりそれに成功したところが、
>従来のデザイナーと違っていた
至言と思います、さすが。
そしてくろださんの言われる「気」は私は単純に空気だと思います。しかしそれは確かに本物の空気ではなく、ガンディーニが脳の中で創造で流している脳内空気なのです。それをスピードの気と表現するならば、気と言ってもいいと思います。

くろださんの言われていた、

ジウジアーロ→ニュートン
ガンディーニ→アインシュタイン

は上記1)2)に非常にマッチしています。
ニュートンの重力の発見は神と人間の関係を探るという非常に人間くさい考察から生み出されました。アインシュタインはその重力を空間の歪みからくる見せかけの力であることを証明しました。

ここで私だったらこうです。

ジウジアーロ→レオナルドダヴィンチ
ガンディーニ→ミケランジェロ

人文主義華やかなりしルネサンスのダヴィンチは人間中心思想です。
モナリザは人間の美しさを極めようとしました。
しかしミケランジェロは美のためだけに石を削りました。
人間のことなんて考えず石の構造のことだけ考えてました。

しかし上記のことを守ればだれでもジウジアーロやガンディーニと同じようなデザインができるかというと当然そうではないわけで、二人の巨匠の感性でスタイリングがまとめられなければならない・・この感性は分析しきれませんね。

    utida   2005年12月27日(火) 1:54   
上の私の書き込みは、くろださんの2回目の書き込みを読む前に書いたものですが(ずっと書いてました!)、やはり似たようなことを考えていると思いましたがどうでしょう?ガンディーニの脳内空気の流れはすなわち車は止まっているのです。まさに私が言いたかったことはくろださんの「動的瞬間の持つパースを止まっているクルマに定着しようとする」とまったく同一です。

くろださんの、
ジウジアーロはカタチ、
ガンディーニは時間、
は私の解釈の、
ジウジアーロは人間→構造(カタチ)、
ガンディーニはスピード=速度(時間)→構造(カタチ)
とかなり同じと思いますね・・。
ジウジアーロは地動説、ガンディーニは天動説・・思想上似て非なるものと言えるかもしれません。

>ガンディーニのウェッジシェイプ前夜
これはほんとにすごい発見ですよ・・ミウラのリアフェンダーを削り取っていたガンディーニの脳内気流はついにフロントからキャビンまで削りつくしてしまったのですから。

    くろだ    2005年12月27日(火) 3:44   
utidaさん、
いやまったく話は噛み合ってると思います。

>車の中に人間の気配は希薄であり、ただ空間を切り裂いて行く構造物としてある。

というのも、わかる気がします。
ガンディーニは、デザイン中は脳内でクルマに乗った状態、もしくは脳内気流の中を押し進めている(笑)ようで、人間がいない。自分が主体だから。
一方ジウジアーロは、自然科学的な視点、クルマを降りて「人を乗せた状態」をデザインしてる感じがしますよね。弾丸マンタでもそう。

ガンディーニのデザインは「目に見えないものこそがカタチをつくる」と言っているような印象がある。そういう人間だけが、パチン!と次元の数を一つ上げられるのではないでしょうか。歪んだ空間から次の領域へ行くような(笑)。メビウスの輪を出したのは、そういう意味で、具体的には↓

>フロントからキャビンまで削りつくしてしまったのですから。

ここなんですが、私が思うに、
********************************
ガンディーニは、スピードを表現するために、従来の面構成に囚われない「面のインテグレーション(統合)」への衝動をいつも非常に強く持っていたと思います。負R面は、その衝動の表出で、具体的には、「通常のプロポーションを保ったまま」で「キャビンとひとつになりたい!」というもがきの形状かなと。そしてついにLP500で、だれも予想しなかった面の統一に成功したのだと。それはショーカー的なギミックなどでは決してなく、結果としてクルマの美しさの次元を一歩先に進めた偉業だった。
*********************************

あそこの面をああネジってなんとあんなふうにあそこにつなげるなんて、すごいですよ、あんた!・・・LP500のいい写真がない・・(笑)
しかし、かわりにメビウスの輪の図をご覧ください。

    ぶんぶん   2005年12月27日(火) 4:14    Mail  
>(ガンディーニは)ジウジアーロよりも芸術家的なデザイナーであったとも言えるでしょう。

と言う見解には疑問があります。

ジウジアーロは常に機能との関係を意識してデザインしていて、特に車が4つのタイヤで走る乗り物である事が強く念頭にあるようです。この事は、ホイールアーチがタイヤの形状に対して違和感がない形をしている事や、フェンダーの大きさが概ねその中にあるタイヤやパワー伝達などの出来事を反映して、前後のフェンダーの山が美しいバランスを成すと言う形に現われています。

これに対してガンディーニは、クロダさんご指摘のように、時間(=スピード感?)と言うような、より感性的な事に関心が強いデザインになっています。ホイールアーチはタイヤの形状を反映していませんし、リヤフェンダーは必要以上に高く、フロントフェンダーはないに等しいデザインです。基本的には機能的な構成をとっていますが、様々な形状が機能とは離れたところで相互に関係しあいながら、スピード感と突き刺さるような鋭さを感じさせます。

しかしながら、だからと言ってガンディーニがジウジアーロより芸術的なデザイナーであったとは言えません。
元々人類は、宗教的な思いやある種の霊感などから得た造形と、機能が求める造形との混成物として物を作ってきました。しかし、20世において機能そのものが美を体現できると言う啓示を受け、同時に科学によって宗教や霊感が美の動機にならないものにまで無力化され、沢山のデザイナーや芸術家が機能から“雑念”を切り離して純粋な機能美を発見しようと覇を競いました。自動車の分野でこのような流れをリードしたのは、ピニンファリーナだと思いますが、あるところから2つの潮流に分かれる事になったと思います。一つは純粋に機能を追い求めて科学的にアプローチしようとするグループで、それは車ではルイジコラーニのような形になると思います。しかし、これは製造技術が科学が予言する造形に追いつかず、稚拙な張りぼてになったり、理屈どうりの性能が出せない単なるオブジェになったりします。もう一つの潮流は、製造技術の限界の中で美を探そうとするバウハウス的な美意識の流れで、現代はこちらの方が主流です。そして自動車におけるこの潮流のチャンピョンがジウジアーロだと思います。
これに対して、ガンディーニのデザインは、一部の感性について、少しゆり戻したデザインのように見えます。
ですから、ジウジアーロのデザインは、芸術の流れの中の一つの頂点であって、決してガンディーニの方が芸術的であるとは言えないと思います。

ただし、これは、どちらが優れていると言う議論ではありません。

    Shogo   2005年12月27日(火) 12:44   
ジウジアーロは、よい自動車デザインのためにはアートより先ずは建築を学ぶべきだ。という持論を述べていましたね。

    くろだ    2005年12月27日(火) 13:18     
ぶんぶんさん、
おっしゃっているところ、まさにその通りです。
あの一文はどちらが優れているという意味では「もちろん」なく、また
どちらが芸術的という意味でもありません!(^ー^)

最初、岡本太郎的、と書いてそのあと、芸術「家」的と強調して最後に「家」をいれたままのヘンな言葉にしたところです。(^ー^)

お茶の間言葉に近い意味合いで、一般的対比論での「建築家というよりアート家」というような意味ですよ。
せいぜい
>より感性的な事が関心領域
>「必要」以上上等(笑)
>建築、バウハウスより前時代の情念表現としてのゲイジュツセイ

と、いうことだけです。どちらが芸術的かという話は議論にならないと考えたので。

ちなみにぶんぶんさんは「頂点」「チャンピオン」という表現を使われて
いましたが、優劣の話ではないにしても、何らかのプライオリティが存在し得る領域(ex建築)での美意識をジウジアーロがどんどん極めていってしまったあの時代。ガンディーニが
>一部の感性について「少しゆり戻した」
ことには非常におおきな意味があったはずだ、と言いたかったのです。

ガンディーニは、スポーツカーデザインのためには建築より先ずはアートを学ぶというスタンスを見直すべきだ、という持論を述べて・・・いたりはしませんが。(^ー^)

    水谷   2005年12月27日(火) 23:38     
くろださん、ガンディーニ稜線見えました。いままで、MIURAって興味がわかなかったのですが。BARVOとともに、気になる存在になってます、この2−3日。ガンディーニは斜め後ろから見ろ。色気を感じたらガンディーニかも、ですね。MIURAのお尻は、たまらんですね。ヘッドライトのギミックにだまされてました。LP500ですが、模型の花道というサイトで、大改造やってる方がいらっしゃって、その2あたりにガンディーニ稜線がちらりと見えている感じがします(コピーライトもあるでしょうから、リンク+写真の借用は控えます)。

    utida   2005年12月28日(水) 0:37     
正直いままでガンディーニに関心は薄かったです。しかし水谷さんと同じくここ数日でキマシタね。まったくすばらしいデザイナーであることを認識できました。
くろださんの言われていることは実はガンディーニがインタヴューで言っていることとダブっていまして、くろださんのあまりの鋭さにそら恐ろしくなりました。
氏は以下を言っていました。
「ミウラではインテグラル・シェイプにしようと思った」
「私の頭の中では(中略)空中でステアリンングを切ったり、口でエンジン音を出したりしながら走り回っている」

またガンディーニはまず頭の中でデザインを完成させてから紙に描く、と言っています。手でまずは描いて紙上でデザインを完成させるのが普通でしょう。これらを考え合わせると、まさに主客逆転、ほんとかどうかわかりませんが、「カーデザインにおけるコペルニクス的視点変換」が行われていると言えるかもしれません。ガンディーニは頭の中で車に乗ってバーチャル運転をし、車の回りに脳内気流をめぐらし高速で走行しながらエクステリアデザインを行っているのです。

面と線はその気流で形作られます。あの鋭利なタイアハウスの形状は気流の流れた道筋です。そして止まっていながらも相対的に速度を発生させるという巧妙な形が完成するというわけです。

なんというおそろしいデザイナーでしょうか。

話はちょっとそれますが、
>(ガンディーニは)ジウジアーロよりも芸術家的なデザイナーであったとも言えるでしょう。
というのはじつは私もそう感じました。
私が感じたのはジウジアーロは古典芸術的、ガンディーニは現代芸術的という意味合いでです(これはぶんぶんさんが感じられていることともしかして逆!?)。いま現代にあっては芸術は完全にコンセプチュアルなものになりはてていますので・・。
古典芸術は客体が主体に対しての美を提供しますが、現代美術はよりコンセプチュアルになって主体が無きものとなり、見る人間はいなくなり、そこにはコンセプトのみが提示されることになる。

ジウジアーロは、美しくやさしくかっこいいしかも便利を提供するすばらしいものを作ります。これは車という工業製品をどんどん純化させていくという車の古典へ向かう作業に見えます。
ガンディーニの場合は、そこにスピードという概念を存在させることのみに成功している、と私は感じたのです。そのスピードという概念は別に美しくない場合もありますし、やさしくはないし、むしろなにか冷たさのようなものすら感じます。”走り”の純粋概念が提示されているように見えるのです。ここに私がいままでガンディーニをあまり好ましく思わない要因があったように思いました。

ところでガンディーニ稜線の相対的速度メビウス境界(なんじゃそりゃ)を作ってみました(←ひまじんかオレ)。
くろださん、こういうことですよね?違います?
でもこれよく見ると飛行機のキャノピーを後方俯瞰で見てるのと同じだなあ。

    くろだ    2005年12月28日(水) 1:34     
やっと、いい光線の写真が見つかった!  なかなかミウラがこんな風に見えるのが無くて、もう・・。
真横から光をあてて、こういう角度で見ると、ミウラはいきなりモダンなクルマに見えてくる。
ガンバって文字を入れましたので、写真を、click!

    くろだ    2005年12月28日(水) 2:38   
ウエッジシェイプは、尖ってるって意味じゃないんだ!このビッグバンではじめてカタチになったんだ、それまではアイデアか概念だったのさ・・というのは、おおげさでしょうか。

>utidaさん
そう、だいたいそういうことでしょう。面もスピーディにうねってます。
プリーズ、クリック↓

    _ASH_INSTITUTE_   2005年12月28日(水) 2:48    Mail  
パチパチパチパチ…ヽ(*^▽^*)ノ

    水谷   2005年12月28日(水) 2:54     
キャノピーとくれば、ストラトス。先走りすぎ?話の腰をおってすいません。

    くろだ    2005年12月28日(水) 2:56     
渋めのBARで。隣の美女に、

「ミウラってさぁ、・・実はカウンタックに似てるんだよね。」

と囁けば、カーデザインマニアの彼女もイチコロ! ←いないって

    大内 誠   2005年12月28日(水) 10:59    HP Mail  
そうじゃないんだ。ミウラをリヤから見た時に気がつかなくてはいけないのが、このイラストで示した赤い所。このようにしないとリヤのスポイラーが出っ張ってしまい、下品になってしまう。この上品にスポイラーを付けたいが為に、あえてコークボトルラインを使ったんだ、、、と思う。一説に寄ると、フェルッチョがルマンのGT40に感銘を受けて、あんな形が良いとヌッチオに提案。かといって公道を走る訳だから、なるべくレーシーに押さえたい。そこでジウアイアーロは考え抜いた挙げ句にギブリ、マングスタで使わなかったコークボトルラインを使ったんだ、、、と思う。カウンタックのようなカムテールに単純にしてしまうとスポイラーは張り付けるようになって、ボデイ全体のフォルムから遊離してしまう。僕はジウジアーロ論は崩したく無いので、孤軍奮闘します^^。いつかは理解者があらわれるでしょう。皆様に一度スケッチブックに描いてみるとはっきりするでしょう、、、と思います。それでは。

    大内 誠   2005年12月28日(水) 11:01    HP Mail
別図

    くろだ    2005年12月28日(水) 12:33     
大内さん、こんにちは!
ウレシイです、ほんとに。異論があるのも楽しいですからね。(^ー^)

すでにインテグラルシェイプの話になってきていますが、
でも今回、私、年賀状も書かずに(笑)いろいろ考えて、ミウラに関しても、かなり確信が深まってきました、自分の中では。

おっしゃっている赤い部分がなぜジウジアーロ的とかんがえるのかを、教えていただけると、目が覚めるかもしれません。(^ー^)

しかし、今回、ついでではありますが、
あの赤い窪みもガンディーニ的だ、という根拠を示してみましたので、見てみてくださーい。(^ー^)
かなり生意気な物言いで書いていますが、ただのデザイン・サロン気取りのパロディですので、許してやってください。

(このカラーボのルーフから走っているような形状のことを、ビードっていうんでしたっけ?>Ashさん  ちがったかな?)

    くろだ    2005年12月28日(水) 16:54     
生産型と違うフォルムを持つスケッチに一番近い幻のプロトタイプミウラは、信号待ちしていて後ろから巨大なトラックが接近!・・・あわてて飛び降りたドライバーは、世界に一台のミウラが踏みつぶされるのを、呆然と見ているしかなかったそうです(;TДT)ワアアァァァン

ガンディーニは、好き勝手やらせるとビミョーにトランクを窪ませるクセがあるのですが、これは主には、その両側のセクションと別の面にみせて強調するためでは・・・ないでしょうか・・・・。とにかくミウラプロトでは、ベネシアンブラインドがまだないので、彫刻的ビードがまっすぐ一本につながっているのがよくわかります。ミウラのスタイルを特徴づけているこのビードは、カラーボと全く同じ形状です。逆に
この手法は、ジウジアーロは、たったの一度もやらなかったものだと思うのですが・・・。

    DADA   2005年12月28日(水) 17:16    Mail  
素人が話を蒸し返すようですみません。私はデザインの専門家ではありませんが私なりの解釈ができつつあります。
ガンディーニがベルトーネに入社間もない事を考えると、Utidaさんのおっしゃるようにミウラプロジェクトのデザインは彼一人の力では到底無理ではなかったでしょうか。
フェリツィォが、その生涯をかけたプロジェクトを新米デザイナーにすべて託すことなど出来るはずがない・・と私は思います。
車のデザインは彫刻とは違い、機能の集合体ですからシャシーやエンジン設計者との綿密なやりとりが必要になります。CADどころか電卓さえもない時代に、極めて短期間でやりとげた仕事ですから、それらを統合し、影でサポートした優秀な人物が存在し、彼がミウラの原型を提示したのではないでしょうか。
しかし、彼は表に現れなかった。
何故ならジウジアーロを失ったヌッチォにとって新進気鋭のデザイナーの登場がプレス的に必要であったから。
内田さんのツーリングの模型の話は説得力あります。
私がそう考える一番の根拠はおそらく大内さんと同じで、ミウラとミウラ以後のガンディーニの作品と比較するとやはり完成度(造形ではなく、機能に関しての意味)で大きな差を感じてしまうんです。
ガンディーニ・ファンの皆様。素人が生意気言ってすみません。

    大内 誠   2005年12月28日(水) 17:59    HP Mail  
DADA様 僕もそう思います。ジウジアーロがミウラが70パーセント完成させて、ベルトーネを去ったと言う記事は先日参照に載せましたが、ジウジアーロの70パーセント言いますと、彼のレンダのうまさから言って、かなりの完成度だとおもいます。ですから残りの30パーは何が残っていたか分かりませんが、ガンデイーニが入って来る前に、誰かがまとめたのでしょうね。かなりの人です。ですから私見としましては70パーセントがジウジアーロで残りの30パーは誰かです。ガンデイーニではありません。彼がやったのはSVとイオタのモデファイ、それとロードスターです。ガンデイーニがいきなり入ってきてあれだけの事は出来ません。モントリオールでもガンデイーニの作品になっていますが、あのようなスリークなボデイのリヤクオーターに四角い穴を開ける勇気は尋常ではありません。ジウジアーロがカングーロですでにあれと同じ事をやっていたからこそ出来た事です。それとリヤカウルに付くミウラの文字とマリアンさんがアップしましたカーラボの文字をとってもあきらかに違う人です。クロダさんの屋根の稜線の事はガンデイーニがジウジアーロから学んだ所です。ギブリも稜線はちゃんとマイナスになっているんです。クロダさんのアップしてくれましたスタイルオートのイラストを拡大してみて下さい。フロントから始まってはちまきのような状態でグルリと囲んでいます。マルツアルもジウジアーロだと思っています。これは何度も言いますが、あんな奇怪なボデイを入りたての新人は出来ません。これは絵を描いていれば分かる事です。マルツアルのシート等のアイデアはフィアットデイーノクーペに活かされました。クロダさん、チゼータのリヤとミウラのリヤの違いが分かりますか?。完成度がこんなに違うのは同じ人とは絶対にあり得ませんヨ^^。前にアップしましたギブリとミウラの後ろからの写真はその為にアップしました。あれをみても違うと言い張られると、、、。また血圧が上がってきました。疲れてきました。ヌッチオは何と罪深い事をしてしまったのでしょうか。以上全てをそう思いますとくくります^^。

    くろだ    2005年12月28日(水) 18:59   
>DADAさん
>素人が生意気言ってすみません。

そんなとんでもない。^^
またミウラが誰のデザインか、という話に戻ってしまいますが・・まぁ、それも楽しいですからね。
さて、おっしゃっていることは、私も異論のないところですよ。なぜ疑惑が生まれたか、を説明した回をゆっくり読んでいただければ、DADAさんと同じことが書いてあります。矛盾はありません。ただ、ガンディーニの作品とすべきでないという点と根拠が、「ガンディーニ作品は総じて完成度が低いから」というのでは、・・考えを見直しようもないので、
>ガンディーニの作品と比較するとやはり完成度(造形ではなく、機能に関しての意味)で大きな差を感じてしまうんです。

の内容を少し語っていただけるとウレシイな・・・という気がいたします。
「ミウラのココが光ってるのが、こう特徴的だから、どっちのデザイナーを褒めるべきだ」という具体的な議論だけが成立するのだと思います。^^

大内さんも、写真にラインをつけて「ココが」という話をぜひうかがいたいです。並べた写真に論拠が示されていれば、「決定的に違う」と言っているのを考え直す人が出るかもしれませんよ^^。

>クロダさんの屋根の稜線の事はガンデイーニがジウジアーロから学んだ所です。ギブリも稜線はちゃんとマイナスになっているんです。

それは、あり得ません。なぜならジウジアーロの作品に、マルツァル、カラボそしてミウラに見られる特徴的な「ビード」はまるで出てこないからです。ギブリの稜線はルーフ付近でマイナスとは言えません。(写真参照)トランク付近で「わずーーーかに」マイナスであることと、この処理の件は関係がありません。それはグリフォやジュリアスプリントにも見られる別の話だからです。

デザインの完成度などという話は、あまりにも好みに左右される話になってしまいますので、しないようにしています。ガンディーニではないはずだ、というなら、客観的に共有できるかもしれないカタチの話(と史実)で議論しましょ^^。

>ジウジアーロがミウラが70パーセント完成させて、ベルトーネを去ったと言う記事

はデマです。史実と、ジウジアーロ本人の度重なる証言を信じてもいいのではないでしょうか。

ガンディーニの素晴らしい才能と、ミウラにおけるガンディーニの貢献をだれよりも具体的に絶賛しているカーデザインのプロフェッショナルが誰かご存知ですか?
ジョルジェット・ジウジアーロです。他人の作品をシビアに、正直に批評することで有名なジウジアーロがお世辞をいい続けたとか、ワケアリで裏腹なことを言い続けたとか、思えないんです^^。

    大内 誠   2005年12月28日(水) 21:16    HP Mail  
クロダ様 御指摘のミウラの特徴的なラインはミドエンジンにエアーを入れる為のスクープで、このラインはテスチュードで現われていますが、テスチュードは、リヤにはエンジンがないので単なる飾りです。ここを特長としたかったのでしょうね。ギブリはこの必要がないので、すごく上品にマイナスのラインをつくったのです。ジウジアーロがガンデイーニに対しての賛辞は単なる社交事例です^^。それだけジウジアーロは大人なんですよ。僕もそういう意味ではなかなか大人になれないですね。ガンデイーニに賛辞を!。

    くろだ    2005年12月28日(水) 22:15   
大内さん、つづきますねぇ。

写真は逆に、ガンディーニ「だけ」がやっていることの証拠になっています。

そして、
>マルツアルもジウジアーロだと思っています。これは何度も言いますが、あんな奇怪なボデイを入りたての新人は出来ません。これは絵を描いていれば分かる事です。

これだけは、絶対にあり得ない事なので、完全否定をしておきます。
タイムマシーンがないと、ジウジアーロは参加できないのです^^。

例のフェルッチオとベルトーネが会う前にジウジアーロとケンカ別れしていますが、その時点でランボルギーニの4シーターは3シーターの350GTの次期モデルとしての400GTの開発に必死という時期です。そもそもベルトーネにはランボの4座GTのことなどまだまだ時期的に考えるはずもない時系列ですが、100歩譲って超能力でジウジアーロがそれを予感したとしても(笑)、広大キャビンbyリアエンジンのプロジェクト「マルツァル」のデザインに不可欠なメカニズム情報、つまり(400GT逆転シャシー+ミウラ半分割エンジンを「リアに」搭載)というぶっとびレイアウトのアイデアの「かけらさえ」も、まだランボルギーニ自身に、なかったのですから。というか、元になる400GTが存在してないのですし。そもそも67年ですよ、マルツァルは。時系列で前後関係が逆です。だからジウジアーロがタイムマシンに乗らないかぎり、マルツァルの仕事にはとりかかれないのです^^。

どうです?あの名作マルツァルは、若きガンディーニがデザインしたことはあってもジウジアーロのアイデアではないことになりますが、反証は出せますか?
というか、マルツァルをジウジアーロとする人がいるとは、、、というレベルにあり得ない話をしているのですが・・・^^。

マルツァルがガンディーニとなったなら、モントリオールも可能でしょ。
ガンデーニをあなどっては、いけませんよ。
全部、第3の男Xがキーマン、というのも、トンデモ話の様相を呈してきますし^^。

心血を注いでデザインしたものが、他人の作だと言われたら、ガンちゃん濡れ衣だなぁ、と思い、ちょっとリキ入れてみました^^。

なお、フロントエンジンレイアウトとしてシャシー情報も汎用のかたちでマルツァルのような特異なパッケージングのガルゥイングデザインをすることは、不可能ですが、その理由はここでは書きません^^。

さぁ、いかがですか?

    ぶんぶん   2005年12月29日(木) 1:28    Mail
私、風邪でダウンしてましたが、なんかすごい事になってますね。
どなたかぜひこれを英訳して欲しいものです。
回線がパンクするくらい反応があるかもしれません。もしかすると本人が登場して暴露合戦になったり、なぞの第3者が現われて三つ巴のバトルになったりするかもしれません。
だいいちこのままでは、読めないMarianが可愛そうです。

ところで、事実関係を確認したいのですが、ミウラはオフィシャルにはガンディーニの作品と言う事になってますよね。
utidaさんが整理してくれた時系列でも、ミウラがリリースされる少し前にガンデイーニがベルトーネのデザイナーになってますね。
くろださんの分析も説得力があります。
当事者もデザイナーがガンディーニととれる発言をしています。
これらの事を考えると、少なくともミウラと呼ばれるモデルに関して直接手を動かしたのはガンディーニだったと言うことで良いような気がします。
大内さんは、何かインサイダー情報をお持ちなのでしょうか。

つづく

    ぶんぶん   2005年12月29日(木) 1:31    Mail
では本題、「ミウラを輝かせたデザイナーは誰か」に行きましょう。

ミウラを語る前に、まずFordGT40の話をしましょう。
1964年から65年にかけて、自動車趣味系の最大の話題はFordGT40の登場でした。子供たちは少しでも詳しくなろうとして自動車雑誌を読み漁り、TVで将来の夢を問われた小学生は、「FordGTを買う事」と答えるのでした。
世界戦争から世界中が立ち上がろうとしていた時に、豊かな戦勝国の、ちょっと頭が弱そうだけど人が良くて力持ちのアメリカ人が、そのまま車になったようなFordGT40は、世界の未来を牽引するスターだったのです。
当時中学生だった私は、FordGT40とCarrera6の写真を持ち歩いて、会う人ごとに写真を見せて、どちらが好きか聞いていたのですが、誰もがFordGTを指すのでした。幅いっぱいのキャビンが豊かさのイメージと結びつくと言う時代に合った造形的特性など、車に興味がない人の心も捉える要素を備えていたのです。後のスーパーカーブームと違って、FordGTの一人勝ちだったのです。このような状況の中で、自動車のデザイナーたちの頭の中では、FordGTが駆け巡っていたに違いありません。
ところが、写真がないところでFordGTの魅力を伝えるためにシルエットをなぞりだした小学生は、ハタッと気づくのです。

「FordGTはお尻が短い」と・・

FordGTは、テールの部分の造形がどうもおかしいのです。
これを克服する方法は2つありました。

1つはテールを長くしてバランスを取る古典的手法です。これがミウラです。ミウラは、当時の車好きの子供たちのノートの裏や教科書の端に沢山あったはずですし、プロのデザイナーにはなかなか踏み切れない安易なデザインだったと思います。当時私がミウラから受けた印象は、「何もしていない」、「安易」と言うものでした。(今は訂正しますが)FordGTが持つ猛烈なパワーと未来への予感を感じさせないひ弱なデザインだったのです。特に、翌年にはこれらを目からウロコ的に解決してしまうマングスタが登場するわけですから、私的にはスーパーカーブームで盛んに取り上げられるようになるまで、希薄な存在でした。

では、ミウラに魅力があるとすれば、それは何でしょうか。
それは前後フェンダーの曲線の絶妙なバランスと、その上にほぼバランスよく構築されたキャビンです。願わくばフロントウインドウが十数センチ前にあると良かったと思いますが、これはフロントエンジン車の美意識との綱引きの結果として許容しましょう。そして、これは明らかにその後のガンディーニの作風とは違いますし、ジウジアーロのテイストそのものです。ミウラのボディーにガンディーニの指紋が残っているからと言って、ミウラの魅力を輝かせたのがガンディーニであるとは言えないと思います。Utidaさん提示のツーリングの模型でも、この辺が当時のデザイナーの誰もが思う事で、プロがやるとフロントエンジン車の余韻を引きずると言う事が分かります。

私には、最もガンディーニらしくないミウラとギブリを並べて互いにたたえあうと言うNAVIの企画は、とても皮肉でいやみな企画に見えます。

    ぶんぶん   2005年12月29日(木) 2:07    Mail
では、FordGTの造形的問題を解決するもう一つの方法は何でしょう。
それはウェッジです。FordGTのシルエットはウェッジを読み取ろうとする目にはウェッジが見えますし、当時のエンジニアは口をそろえてウェッジ!ウェッジ!と叫んでいたはずです。
ここからがガンディーニの功績です。
shogoさん、クロダさん、utidaさんのレスから類推すると、ミウラは新任のデザイナーが時間がない中で前任者の残した環境を生かしながら、手際よくまとめたデザインだったのではないでしょうか。強い思い入れや自己主張がないままに・・・。
しかし、時代が移ってしまったために、FordGTの造形的問題を古典的手法で解決したのがミウラだけになってしまったので、希少価値を発揮し始めた。ミウラの価値は、リバース面でなくても、ジウジアーロ的凸面でも、ミラージュのようなヌメリ面でも、どれでも可能性があったと言うのが私の見解です。

    utida   2005年12月29日(木) 2:18     
ちょっとだんだん書き込みするのが恐ろしくなってきましたが・・
私は正直告白してしまいますと、この車趣味はどしろうともいいとこでして、マルツアルと言われても、どの車のことをいっているのかわからないくらいのガンディーニ音痴です(今は今回勉強したのでわかりますが)もっと言ってしまうとブーメランと言われてもぼんやりとしかイメージがわからないくらい(数年前は知りませんでした)のジウジアーロ音痴でもあります。よって私はミウラがジウジアーロっぽいのかガンディーニっぽいのか正直わからず、みなさんのこだわりの域に全然達していないことを告白してしまいます(←あ、逃げた・・でもかなりほんとです)。

従って形のことでは私は無知すぎるので一生懸命調べてわざわざ時系列をまとめたのでした。
それによるとミウラのデザインにジウジアーロが入る余地がない様に見えました。
重ねていいますが私はデザインでうんぬんはわかりましぇん!

よってジウジアーロがミウラをデザインしたとしたらどのようなことがシュミレーションされるのでしょうか?

私が考えるシュミレーション例としては、時系列を変えないとしたら、
@ダラーラはフェルッチオから承認を得た直後すぐに、1965年初?〜9月のあいだにレイアウト図面をベルトーネのジウジアーロに渡し、ジウジアーロはミウラの絵を完成させ、すぐ辞めてしまう(この時ツーリングも開発やってるのでほぼコンペ状態.
あ、矛盾した・・ダラーラはジウジアーロには会っていない、ガンディーニとだけ会ったという本人証言がありました・・ここはダラーラが口止めされていると仮定します)。つまりジウジアーロははっきりランボの世に出ていない新型車の絵を描いていることを認識している(そうでないとあのようなFRプロポーションのミッドシップは描けないでしょう)。その直後入社したガンディーニはおそらくはヌッチオに命じられて、ジウジアーロの絵をもとにミウラ作りをさせられ(またはミウラにはノータッチでガンディーニは911スパイダーとジャガーの2台を担当)、レンダは完成車を写して描く等した。そしてショー会場ではヌッチオの意地で、ガンディーニがやったと言った(あ、ちょっと矛盾してますね・・ジウジアーロが見れば即バレるから)

・・これだとあまりにヌッチオとガンディーニは悪者ですが・・
しかもその後、世話になったヌッチオの為にほんとのことは心の奥に秘めてしまったジウジアーロの心痛を考えるとつらいです。
ガンディーニもほんとはそんなことしたくはなかったと思います。
・・とここまでが@シュミレーションです。

Aジウジアーロが昔別のプロジェクト等で描いたFR車のミウラそっくりの絵が既にあり、ガンディーニはヌッチオに命じられて(?)それをほとんど引用、モディファイした。(またはミウラにはノータッチでガンディーニは911スパイダーとジャガーの2台を担当)、レンダは完成車を写して描く等した・・とあとは@と同じです。

・・これらを修正していくとすごく現実的になるかもしれません。

ではガンディーニがほんとに全部やったのにジウジアーロににてしまうということは考えられないでしょうか?
Bつまり当時ベルトーネ内はジウジアーロ本人はいなくてもまるでいるかのようなジウジアーロ色でいっぱいなわけです。ガンディーニはそれらをみて図面を引き、また熟練モデラー達のノミは知らずのうちにジウジアーロ形態をうがっていた・・、完成したらジウジアーロそっくりでびっくり!マンマミーア、でももうショーは近いし出すしかねいっ!みたいな・・、だめですか、これ・・?

もうちょっと書きたいことありますが、いったん終わります。

    くろだ    2005年12月29日(木) 2:24   
年賀状にガンディーニは・・とか、書いてしまいそうです(笑)。

>くろださんの分析も説得力があります。
当事者もデザイナーがガンディーニととれる発言をしています。
これらの事を考えると、少なくともミウラと呼ばれるモデルに関して直接手を動かしたのはガンディーニだったと言うことで良いような気がします。大内さんは、何かインサイダー情報をお持ちなのでしょうか。

そうですね。デザインしたのがガンディーニでない可能性は、ほぼないので、(というか、ここをブリかえす証拠が出たら、世界の自動車ジャーナリスト騒然です)
注意して「・・輝かせたのは」誰か、というタイトルにしました。
そこにはいろんな意見が理由と共にいろいろあっていいはずだと、思ったのです。
ここについてのご意見は、実に興味深いです。

>古典的手法で解決したのがミウラだけになってしまったので、希少価値を発揮し始めた。ミウラの価値は、リバース面でなくても、ジウジアーロ的凸面でも、ミラージュのようなヌメリ面でも、どれでも可能性があったと言うのが私の見解です。

まったく同感です。だれがやってもなんらかのカッコいいものには、なったであろう、と当事者が口をそろえて言っていることはある意味事実、という私の先日のコメントは、まさにそういう意味で書いたものだと、わかっていただけるでしょう。
ヌッチオは、「あのシャシーレイアウトの上なら、ペンがかってに滑らかに滑っていくよ。ぼくがやってもね。」と本気で言っていましたからね。

ただ、ヌッチオが、「その上で言うが、ガンディーニがミウラに込めた才能と魂(ここちょっとワスレタ)のことを、いずれ皆さんも気づくだろう」と言っていたように、その上でも、実際にガンディーニが輝かせた部分がおもしろそうだ、という思いがあります、今は。子供のころはジウジアーロの力だと思っていました。
なぜ、そう考えるかは、今度話します。
キーワードだけ自分メモ用・・
・ガンディーニは若かったが、素人ではなかった。
・ワンオフビッザリーニに見るもしものミウラの可能性
・カウンタックを美しいと見るかどうかで、ミウラの評価は決まる
・相対性理論に賛辞を贈るとき、ニュートンも褒めるべきか?

です(笑)。

    utida   2005年12月29日(木) 3:02   
>年賀状にガンディーニは・・とか、書いてしまいそうです
ここ吹き出しました(笑)
私も部屋がひっぱりだしたカースタイリングやら雑誌やらでぐちゃぐちゃ、頭の中もぐちゃぐちゃです。
このディスカッションをもっとやって本にしちゃいましょうか!?
題名「ガンディーニ男」・・買う人→5人くらい・・

ところでタイム誌が選んだ「20世紀を代表する人物」はアインシュタインだそうです。ニュートンと最後まで争ったらしい。ニュートンがいなければ相対性理論もないかもしれませんからね。しかしカーデザイン界のニュートンとアインシュタインはなんと同い年・・えーっ!私知りませんでした・・。

・・marian, please study japanese then join our discussion!?

    ぶんぶん   2005年12月29日(木) 11:04    Mail  
私はUtida理論のBを押します。
デザインは組織でやってる訳ですから、デザイナーだけが変わってもそれが効果を発するにはデザイナーの強固な意志か、時間が必要です。
ピニンファリーナがモデルを作ると、コルベットがフェラーリに見えてしまうような例もありますし・・・。
以下のようなことではないでしょうか。

当時の機運の中にミウラのような造形は普通にあった。

ガンディーニを取り巻く環境はジウジアーロによってデザイン組織として統合されたものだった。(ジウジアーロの余韻を強く引いていた。)

ガンディーニは、それを変えようとはしなかった。
又は、まだ様子見の時期だった。
自分のテイストでベルトーネを説得するには、時間もマテリアルも不足だった。
又は、自分のテイストが完成していなかった。

そこで、何の違和感もなくみんなが合意できる造形として:ミウラの形を描いた。
モデラーや職人たちは、何の違和感もなくそれをジウジアーロのテイストで仕上げた。
普通の造形ではあったが、一流のプロの仕事なので充分な美的完成度があった。しかもミッドエンジンと言う機構的な新しさが、ショーの会場では充分に新しさを感じさせた。

以上が皆さんのレスから想像する私の結論です。

    くろだ    2005年12月29日(木) 11:13     
>ぶんぶんさん
>私はUtida理論のBを押します。

私も同感です。
まさにこれは、「勘違いが起きてしまった理由」
の@として、私が書いたことと同じですよね^^。

    大内 誠   2005年12月29日(木) 11:14    HP Mail  
おはようございます。年末にもかかわらずヒートアップですね。本当に英訳してもらって、向こうの関係者、出来ますれば本人達が御存命なので、今の内に告白してほしいものです。ヌッチオは残念ながらお亡くなりになりましたので、発言をスポイルする事なく出来るでしょう。しかしヌッチオの未亡人はいらっしゃいますが。彼女はカングーロのレストアにおおいに感激されていたと聞きます。K氏は1/4のモデルも差し上げたそうです。どうもミウラの素晴らしさにそれぞれ温度差があり、ぶんぶんさんの感じる所はやはり年齢の差だと思います。僕は中学生でしたので、少し感性が豊かだったのと、車に関しましては、親父が絵を描いてくれていた事もあり、ロウイのスチュードベーカーとか、ペガソをリアルタイムでポピュラーサイエンス誌でみています。モーターショーも手をつないで良く行っていました。ですから史実を云々されると弱いです。インサイダー情報もありません。動物的な感です。くろださんのように理ずめにされてしまうとグーの根もでませんが、絵的に見て分かる範囲です。確かに時間的にはマルツアルはジウジアーロが出来るはずがないのですが、絵は何時でも描けます。ミウラを描いていた時に、フェルチョがこれ4人乗れないのか?みたいな事を言ったのでは無いかと。それでジウジアーロはなるべくミウラのコンポーネンツを使った4人乗りに着手。しかしミドにあのエンジンがあると、居住性が悪くなるので、思いきって半分に切って逆さに搭載。カーグラの67年の5月号のマルツアルの記事の中で、特派員のデビッドフィップス氏はマルツアルに対して、ベルトーネよりもギヤのマングスタを思い起こすと書いています。当時はまだガンデイーニの所在は誰も知らない頃ですから、これがガンデイーニの作か?みたいな事は書けなかったのですが。フィップス氏の長年の勘なのでしょうね。もしもこの号をお持ちの方がいらっしゃいましたら、見て下さい。この時代にフェルッチョがガンデイーニにジウジアーロのような才能を感じていたら、公表するんではないでしょうか?。やはりあやしいジウジアーロの線が残っているのでパーソナルにはしなかったのではと。史実を検証するのも、いかにも現代の優秀なデジタル人と思いますが、絵的に見た感覚で物を語る事も大切かなと。このサイトのメンバーに、もう少しアナログファンが増える事を希望します。因に近々発売される三菱の軽自動車アイはマルツアルのレイアウトによく似ています。4シーターのリヤエンジンです。三菱のサイトでも見れると思いますが。もしかしますとマルツアル信仰者がいたりして^^。

GT40はエンジンがたておきのミッドなので、お尻が短いのです。その点ミウラは横おきのミッドなので、ホイールベースが短く、しかしロードカーなので、トランクスペースの関係でお尻が長いのですが、フォルムはそっくりですね。

ガンデイーニに風を感じるのであれば、その前のスカリオーネをまず語らないといけないのでは。BATがそれですね。ジウジアーロが今世紀の代表的なカーデザイナーに選ばれたのはごく自然と言いますか、当然だと思います。しかしロウイがもう少し若ければわからなかったですね。ロウイのランチアロレイモはなかなかユニーク。それでは皆様良いお年をお迎え下さい。乱筆乱文にて、言い訳です。


    yumetake   2005年12月29日(木) 13:25     
皆様のアチチな論争にヤケドしてしまいそうで、書き込みできませんでしたが、
大変面白く読ませていただきました。

私自身もガンディー二=とんがりくさびシェイプと平面構成の人、と
乱暴に見てしまう部分がありましたが、くろださん解説の逆R面、特徴的な
「ビード」など、ガンディ−二デザインの魅力を再発見した思いです。

ミウラにジウジアーロ・デザインの隠し味を感じてしまう理由のひとつに、
サイドビューノーズ右向きで見て、ボンネットのラインが連続してキャビン
後のピラーへと反り返りS字型に繋がっていくというアイデアが盛り込まれて
いる点があげられると思います。
これはジウジアーロがテスチュ−ドや幻のジュリアSS(画像参照)等、
かなり以前から盛り込んでいたテーマです。
ガンディ−二はもちろん知っていて引き継いだ部分でしょう。

スカリオーネの名が大内さんから出ましたが、初期のジウジアーロ作品には
やはりスカリオーネの影響が感じられます。

ベルトーネにいた3人のデザイナーはそれぞれ鬼才と呼ぶにふさわしい
超人級であったことは疑いようがないですね。

おっと、部屋の大掃除しなければ。皆さんよいお年を。


    くろだ    2005年12月29日(木) 13:53     
15分、掃除中断!^^。

>確かに時間的にはマルツアルはジウジアーロが出来るはずがないのですが、絵は何時でも描けます。ミウラを描いていた時に、フェルチョがこれ4人乗れないのか?みたいな事を言ったのでは無いかと。それでジウジアーロはなるべくミウラのコンポーネンツを使った4人乗りに着手。

大内さん、
カーデザインは、もっと繊細なものなのです。
特にマルツァルのようにキャビンのMAX化をはかりながらも、全体はコンパクトに抑えるデザインでかつ、特異なレイアウトで巨大なバランサーシャフトをどこに配置するかに苦労するようなものは、お気軽なコンセプトカーであっても、ベースとなるシャシーが無いと「そのクルマをデザイン」はできないのです。

私だって自分の感性をベースに話していますよ。^^
あくまで趣味の範囲ですが、何もないケミカルウッドやプラスティックから、当時の名デザインの造形を「立体として」たちあげるために、曲面と語り(笑)、作者の意図を探りながら「触れられるかたちで再現できるまで」シェイプしていくという作業を通じて私が感じたことを展開しているのです。
そういう意味で極めてアナログ的に自分の感性と造形感覚で話しているつもりです。
大内さんのおっしゃるような、「造形に関わる部分ではなく、史実でものを言うデジタル人間」に、私も入っているようですので、ちと心外です。

史実にこだわったのは、濁った目でデザインの本質を見誤るのを正すガイダンスとして(自分にも)有効だからです。視野と感性に柔軟性を与えてくれる、と言い換えてもいいでしょう^^。

私はジウジアーロも尊敬していますし、ガンディーニの方が優れたデザイナーだなんていう事を考えたこともありません。ただ、大内さんのおっしゃる事に細かくレスポンスをいれてしまうのは、以下のような理由です。

カーデザインに限らず、すべてのクリエイターには(好き嫌いや作品の良し悪しの評価以前のこととして)一定のリスペクトを持つというスタンスなければ、と私は思います。こと作品について語る(語らせていただく)ときには。さもないと批評が差別になってしまうこともあるからです。
どうでもいいBBSなら、ただ主観を理屈ぬきにぶつけっぱなしも、いいと思いますが、このBBSは、もっとやりとりのプロセスで、お互いが何かを見つけあえる場にしたい、ちょっと大事にしたいな、という思いが私のなかにありまして。

FIAT BLUE CARの回では、私が「これジウジアーロじゃない?」派でしたが(笑)もし、いろんなことを見聞きして「ちがうのか」と思えば、直感に理性をブレンドして会話にあたります。なぜならそれが、「自分の目を澄んだものにする」ことにもなると考えるからです。

    大内 誠   2005年12月29日(木) 14:26    HP Mail  
こちらもお掃除開始遅れ。くろださんに不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありません。謝ります。ちょっと言い過ぎでした。確かに公平なスタンスで話さないと単なる差別でしょうね。分っているのですが、どうもこの話しになると、冷静さが無くなってしまいます。他の話しではノーマルにいられますよ^^。この話しはやはり本当に僕は退きます。いつかははっきりする時が来るでしょう。それではお掃除を再開して下さい。

    くろだ    2005年12月29日(木) 15:47     
いやいや、そんな、こちらこそ、大掃除の勢いで、テンション高すぎで失礼しました^^;

まー、年末を締めくくるにふさわしい、濃いー内容のディスカッションでしたよねー^^:。  情熱のなせるわざ。

そういえば、ネット上でも、ここのBBSって、スゴイ(どーいう意味かは不明 笑)と話題になっていたのを、何度か見ましたよ。

では、何か新しいスレでもどなたか、ぜひ。

よーし、窓ふくどー!!

    ぶんぶん   2005年12月29日(木) 19:02    Mail  
本題からそれますが、バットのデザイナーはスカリーオーネという人でしたか。
名前は知ってますけど、作品は知りませんでした。
バットと言うのは、あまりにもすごすぎて後継者が現われなかったと言う感じですね。そういう意味では、ジウジアーロやガンディーニどこの話ではないですね。今までは製造技術がこう言うデザインに対応できませんでしたけど、これからは来そうな気がします。
次はこの辺がテーマかな?、・・・ガンディーニの再評価なんてのもいいかな?、・・誰かまた楽しい話題をぶち上げてください。
良いお年を・・!

    utida   2005年12月29日(木) 19:48     
収束しそうなかんじですね、今回はいろいろ勉強になりました。
マルツアルを憶えたしミウラにリアウイングがあることも初めて知りましたし。もはや形而上的問題となりつつあって絶対に決着はつかないでしょうねえ・・。私はどっちでもよくて、新しい歪み面とかのお話が楽しくてしかたがありませんでした、もちょっといろいろ発見し続けたい気もしますが・・。歪み面をもっと早くからやった車とミウラインテークのもとになったと想像できる車も発見しましたのでupしようとか思っていましたので・・。でももうやめましょうかね。
時系列表なんて作ってすみませんでした。

しかしスカリオーネ、私はスカリオーネが一番好きです。
今回の話題の調べモノでもスカリオーネとのつながりをずっと考えていました。そうするといつのまにかスカリオーネってかっこいいなあと見入ってしまい何を調べていたのか忘れてしまっていたりして・・
スカリオーネのgtvの画像添付します。2005年は最後に勉強になるお話をみなさんから聞けて得した気分です。良いお年を。次の話題なんかないですかねえ・・。

    大内 誠   2005年12月29日(木) 21:15    HP Mail  
Utidaさん 時系列表面白かったです。つぎはスカリオーネにいきますか。Utidaさんがアップされた写真は、フェルッチョがジャグアのEタイプが好きで、イタリー人の考えたEをリクエストして、スカリオーネが考えた結果がこれなんです。これは何年か前の筑波トロフィーに現車が来ました。後程アップします。それでは。

    くろだ    2005年12月29日(木) 21:45     
>収束しそうなかんじですね、・・。私はどっちでもよくて、新しい歪み面とかのお話が楽しくてしかたがありませんでした、
>もちょっといろいろ発見し続けたい気もしますが・・。

やや収束の雰囲気をつくってしまいましたが・・スミマセン。
そう言われると、たしかに、話がいちばん面白い本題の部分に入ろうとしたばかりところで、またヘンな議題に戻ってしまって、肝心のデザインの話ができなかった感は、ありますねぇ。

utidaさん発表があったら、ぜひ伺いたいです。

個人的には、ぶんぶんさんの29日の書き込みが面白かったです!
(本当は、あのお話から、いろんな見方が広がって深まってゆくところだと思いました・・・)

では、みなさん、よいお年を。

(さっき年賀状を出しにいったら、ガレージにXJ6を駐車しようとしているのが、アブナイ刑事のS氏!で、笑いました)

    ぶんぶん   2005年12月29日(木) 23:11    Mail  
さっき年末の挨拶しちゃいましたが、クロダさんのメビウスの話がまだだったと思って開けてみたら、皆さん物足りない風ですね。もう1ラウンド、いや2ラウンドも3ラウンドもやって下さい。期待してますよ。

    大内 誠   2005年12月29日(木) 23:43    HP Mail  
Utida様 スカリオーネがプリンスのスカイラインスポーツを作る時に担当者にレクチャーしている写真です。若いですね。このころジウジアーロは幾つなのでしょうか?。

    utida   2005年12月31日(土) 1:27     
大内さん、gtvがeタイプとは初耳かつフェルッチオのオーダーらしくて興味深いです。でもちょっと先進すぎてフェルッチオの趣味にはあわなかったのでしょうね。しかし完成するまでまかせっきりだったのですかね。

>このころジウジアーロは幾つなのでしょうか?。
プリンスは1963年だそうなので、ジウジアーロ御大25才、ちょうどテスチュード作ってるときでしょう。

    Shogo   2005年12月31日(土) 18:42     
ミウラの件、イオタ、ロードスター、SVあたりはガンディーニの臭いが強いのですが、特に初期のP400などは写真によってジウジアロくさいなぁとおもうことがよくあります。
ベルトーネに残っていた情報とは、スケッチとかモデルとかではなくて、モデラー、アルミ板金屋さんの技術ではないでしょうか。
そのころは、デザイナーの口頭指示やスケッチ一つで曲面をカンナやハンマーで出してくれたそうですから。

スカリオーネは、もっと評価されるべきと思います。情報が少なすぎます。
彼は、自宅に庭に風洞を作って風を見ようとしていたそうです。
ガンディニーは風が見えるようになるために、裏庭で自作の機械で飛んでいたそうです。

    くろだ    2005年12月31日(土) 20:24     
>ベルトーネに残っていた情報とは、スケッチとかモデルとかではなくて、>モデラー、アルミ板金屋さんの技術ではないでしょうか。

そうですね。
ヌッチオとサブのデザイナーたち、そしてShogoさんのおっしゃる人々は、強い影響をミウラに及ぼしたと私も思います。その技は、賞賛すべき知られざる人々だと思います。
それが、カロッツェリアベルトーネの文化、DNAというものです。
急激にデザインテイストがジウジアーロ的でなくなるはずがないですよね。

    水谷   2006年1月1日(日) 14:07     
NYのRobertから、添付のスケッチをこちらのフォーラムにあげてほしいと頼まれました。皆さんのご意見を伺いたいとのことです。Quattroruoteという雑誌からのもののようです。
Robert, following is quotation from your mail.
I've found the old Miura sketch (attached): Could this be what here is
called the "Smoking Gun" (proof--or part of proof--that Miura isn't by
Giugiaro)? It is from Quattroruote magazine, November, 1968. Note
differences thereon from actual car.
Unquote.

    大内 誠   2006年1月1日(日) 21:41    HP Mail
06年明けましておめでとうございます。いよいよこのサイトもインターナショナルですね。この裸のシャーシーにすでにミウラオリジナルのカンパのマグホイールを履いた写真を始めてみました。ワイヤーホイールと丸穴ステアリングホイールの物がオフィシャルだと思っていましたので。しかしこれは、ステアリングも丸穴でなく、ミウラオリジナルの矢羽根のもの。65年になっていますね。このころすでにボデイのほうも大分出来ていたのでは無いでしょうか?。このスケッチはどなたが描かれたものなのでしょうか?。宜しくお願い致します。

    水谷   2006年1月1日(日) 22:52     
すいません、送られてきたファイルが大きいため、鮮明な画像が掲載できませんでした。以下イタリア語原文、続いて英語訳を載せます。(イタリア語)Il primo bozzetto della Miura. Questo schzzo venne sottoposto da Bertone alla Lamborghini agli inizi del 1966. Le principali differenze, rispetto alla versinone definitiva, sona nella grigliatura anteriore e nel diverso trattamento delle feritoie del cofano motore.(英語訳、GOOGLE使ってますので多少誤訳はあるかもしれません)The first sketch of the Miura. This schzzo came subordinate from Bertone to the Lamborghini at the beginning of 1966. The main differences, regarding the versinone definitive, sona in the front grigliatura and the various treatment of the embrasures of the motor cowling.残念ながらこの中には、ベルトーネとあるだけです。確認します。=>確認しましたが、ガンディーニかと思う。正確に言えることは一番最初に描かれたスケッチだ。とのことです。また、謎が増えました。

    水谷   2006年1月1日(日) 23:39     
'Automobiles Classiques' magazineからの記事です。

    utida   2006年1月2日(月) 0:41     
あけましておめでとうございます。
むむっ・・また新たなる謎ですね。
へたっぴなスケッチですが、えらいかっこいいですね。
サイドにつよいエッジが走ってますね。
リアウイングがgt40と同じ。ライトが無いように見える。真ん中の黒いとこがライトだったら超かっこいい!
くろださん、これモデル作れませんか!?かっこいいですよ。

水谷さん、クアトロルオーテの何年何月号でしょうか?


    水谷   2006年1月2日(月) 1:25     
68年11月号のようです。最初のプロダクションモデルのロードテスト記事に副記事として記載されていたようです。

    utida   2006年1月2日(月) 2:18     
68年とはまたよくありましたね!
ベルトーネはしばらくガンディーニの名前を出さなかったと思いますからこのころもおそらくそうでしょう。
ジウジアーロがヌッチオとうまくいかなくなったのも名前を出してもらえなかったからということです。

    くろだ    2006年1月3日(火) 16:35     
このスレッドもあいかわらず盛り上がっていますが^^;重くなってきましたので、続きは、Ashさんが12月30日に立ててくださったスレでお返事いたします。


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