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時間を置いて取り戻す客観性




まだモノになるかどうかわからない新規プロジェクト。
目標は、既存のいわゆるスーパーカー達に見劣りしないスタイリング。
自分が最も重要視するプロポーション。その中でも最も気にするサイドビュー。
さいわいなことにそれほど急がなくていいという珍しいプロジェクトなので、(初めてじゃないか…?)
そのお大事なサイドビューをじっくり慎重に検討中。

人が見たら、間違い探しかというくらいの小さな差に思えるくらいのものも、
これでいいかな、本当にいいかな、ここをもう少しこうしたらどうだろう…
そう考えていくとどんどんパターンが増えていき、きりが無くなる。



似たもの同士を並べて比較して印象的なほうを残し、また別のものと比較検討。
こうやってずっと見ていると、そのうちどの案にも魅力も違和感を感じなくなってきて、
選べなくなってきてしまう。そうなったらその日はもう限界ということ。
もう少し続けたいと思っても、いさぎよく翌日に回したほうがいい。

悩んでいる最中は、今ひとつ自信が持てなかったり、納得がいかないように思えたものでも、
本当に真剣に検討したものは、時間を置いて再び見た時、その魅力がどこにあるのか、
問題点はどこなのか、見えてくることも多い。そこからさらなる発展、熟成も見込めるし、
方向転換するにも方向がつかみやすい。

プロジェクトの真っ最中、短期においては一晩おいただけでも十分その効果は出る。
以前の日記で。この効果を以前“朝一の客観性”と表現したことがある。
時間をおく事で感覚がリセットされると言い変えてもいいと思う。

これと似たようなことを、プロジェクトを終えてからしばらくして感じることがある。
プロジェクトを終えた直後は、もっとこうすれば良かったかな、ああすれば良かったかな…、
そう思えて仕方が無いものでも、何年かしてみた時、そこには良くも悪くも(悪くものほうが大きい)
時代も感じるし自分の稚拙さに恥ずかしくもなるのだが、これはこれで十分いいところがあったな、
これはこれで良かったんだな、そう思えたりする。

自分で作っておいてこんなことを思うのは随分おめでたいといえばたしかにそうなのだが、
それでも、真剣にやったものでないとこんなふうにはなかなか思えない。






片手間だろうが真剣にやろうが、求められるのはいい結果だけど…。

2013年09月09日(月) No.689 (CG、スケッチ、デジタルモデリング、仕事)
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