Car Styling Design - BBS log6  [検索]

  カースタイリングデザイン掲示板の過去ログの一部です。


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 「ミウラを輝かせたデザイナーは誰か。」 結論章   くろだ   2007年3月18日(日) 0:55   

>ミウラとこの謎図を重ねる作業し結果、
>かなり近いどころかほぼまったく重なることが判りました。
>これは予想外でした。
>ディティールが似ているどころかフォルムも同一ではないか・・。なのになぜみなさんミウラを感じないのか!?(utidaさん)

そう、そこなんですよ。
深いですねえ。

    くろだ   2007年3月18日(日) 1:12     
プロポーション、アウトラインというものはクルマのデザインにおいて極めて重要な要素ですが、
ただミウラのデザインが「あそこまで人々に特別に語られる」要因(輝きの光源)は実は別のところにあるように思える。
それを裏付ける材料がいつか現れないものかと、ずっと思っていました。

ミウラデザインの輝きの本質は誰によって具現化されたと見るべきか。

カーデザイン好きたちのロマンあふれるこの論争に白黒つける真実の証言者がいつか現るのを、
人々(特にジウジアーロ説の人々)は待っていました。
「実際にミウラのデザイン経緯を知り尽くしたBertone内の当事者(複数)が、伝説の『ジウジアーロの残した図面』を公開しながら真実を告白する。」
その希望はすでに昨年、ヨーロッパで実現していたのでした。

どこかにきっとあるとされてきた「ジウジアーロがBertoneに残したその図面」は、ナンバー10001064。
大内さんが以前ここに出されていた「ミウラの本当のデザイナーよ、立ち上がりなさい!(フーディーニ)」
というタイトルの人騒がせな記事(写真1)にそのナンバーが記されて以来、その図面こそきっと「誰がみても、もろにミウラだ」
というもののはずだ、とジウジアーロ派は信じてきました。
(この記事はおそらくイギリスのCLASSIC&SPORTS CAR誌が初出で、文責はPeter Rechardson)

ベルトーネのデザイン部門でジウジアーロ期とガンディーニ期の両方で2人の天才をサポートしてきたDrawer兼デザイナーPiero Stroppaとテクニカル・デザイナーのVenanzio Di Biaseの2人の告白という形でミウラがデザインされた経緯が2006年4月RUOTECLASSCHE誌上で8ページにわたって公開されました(写真2)。先週、それを調べるうちに、[ミウラ専門研究web ]にたどりつき、ついにジウジアーロのミウラ図面をみつけました。

それが、あの図面なのです。

「あまりに稚拙な図面で、何とでも見える。」「あえて言えばむしろISOに近い」「ミウラに見えない」と皆さんがそろっておっしゃったあの図面です!(試しにそうとう「ミウラっぽくないですか?」と誘導してみましたが、ダメでした^^;)。
http://www.lamborghinimiura.com/PAGE1/DESIGN_MIURA1.HTM

>ジウジアーロですよね。

utidaさん、さすが!お見事正解です。
たしかに、あれは、ジウジアーロの図面筆跡だし、
ミウラとプロポーションやアウトラインの面ではもろに共通している!じゃないですか。
でもけっきょく同時代のいろんなクルマにも見えるし、ミウラのアイデンティティが、ない。

>DADAさん
も、ビンゴですね。テステュードの写真をイジったものが、この図面の実車想像・イメージにいちばん近いと私も思います^^)!

>しかし私にはなんともミウラに見えません。ミウラだ!というご意見が無いところをみるとみなさんもそう感じているのでしょう。(utidaさん)


ミウラを輝かせている「何か」は、図面の段階で現れるものではなかった。
そのことは明確に分かりましたね。

じゃあ、ミウラデザインの真髄はどこからきたものなのか。

どうでしょうか、みなさん。
このへん、面白いとこですよね。

そうそう、とりあえずクイズの答えとしましては:

’64年、ジウジアーロによる、あてずっぽでISOを想定して書いた架空のミッドシップカー図面。後に彼が「ミウラに似た図面」をベルトーネに残してきたと語った伝説の御大ミウラ(?)図面
、が正解でした。

    yumetake   2007年3月18日(日) 10:31     
おお!これこそが伝説?の御大ジウジアーロ版ミウラ(?)図面だった!
のですね。NAVIに掲載されたほぼアウトラインのみのものとはまた違うん
ですね。

個人的な感想をいうなら、むしろジウジアーロがここまでプロポーション
的に近いところまで持っていっているとは予想外でした。
それでもやはりくろださんの言う通り、この図面ではミウラらしいと
感じることはできません。

もはや人によっては厚化粧と感じてしまうあの過剰なディティールも
あってこそのミウラと言えるほど、目に染み付いてしまってます。

他の例でいうと、アルファ156の基本フォルムを考えたのが
確かに御大でも、デシルバのあの繊細な面質の顔だからこそ魅力的に
見える。それと全く同じですよね。

全体が細部を輝かせ、細部がまた全体の魅力を増幅させる、という・・・。

    utida   2007年3月18日(日) 22:18     
・・・
驚きました、なんということでしょうか、ちょっとこれは問題ですよ・・

>『ジウジアーロの残した図面』を公開しながら真実を告白する。」
>その希望はすでに昨年、ヨーロッパで実現していたのでした。
くろださん。そのルオーテクラシケ誌はお持ちなのですか?
どこかで買えますか?
記事には何が書かれているのでしょうか?

>アルファ156の基本フォルムを考えたのが
>確かに御大でも、デシルバのあの繊細な面質の顔だからこそ魅力的に
>見える。それと全く同じですよね。
むう、そういうことなのでしょうか・・確かに・・そうに違いない・・
そういうことだ・・結局どういうことなんだろ??
・・いや、やはりまだ解せません。

>ここまでプロポーション的に近いところまで持っていっているとは
>予想外でした。
>それでもやはりくろださんの言う通り、この図面ではミウラらしいと
>感じることはできません。
プロポーションは近いというよりむしろ同一・・。
私が重ねた側面画像はほぼ重なっています。
側面からはミウラの特徴的なデティールは見えません、消えます。
それでも写真はミウラで輪郭であるところの図面はミウラではない。
我々の思い込みからくる錯覚とでも言うしかない!?

またこうなるとミウラのプロポーションはジウジアーロの図面に基づくことになります。またディテールのアイデアもジウジアーロによります。
じゃあガンディーニは何をしたのか?アレンジ?
なぜあの図面のプロポーションがそのまま採用されたのか?
ガンディーニはすっかりその図面に従っただけです。
謎がまだ多いですよ〜。
そこらへんもクラシケ誌に語られていますか?

しかしジウジアーロが自分がデザインしたと言ったとしてもこれは無理も無いかもしれない。

>ミウラデザインの輝きの本質は誰によって具現化されたと見るべきか。
勘違いだったらすみませんが、つまりガンディーニによるディティールのアレンジメントがミウラをミウラたらしめているとお考えでしょうか。

>じゃあ、ミウラデザインの真髄はどこからきたものなのか。
>どうでしょうか、みなさん。
>このへん、面白いとこですよね。
ミウラのアイデンティティーたるもの・・どこからきてるのかよくわかりません。
みなさんの意見をお聞きしたいです。


    くろだ   2007年3月19日(月) 2:32     
>この図面ではミウラらしいと感じることはできません。
>あの繊細な面質の顔だからこそ魅力的に見える。それと全く同じですね。

同感です。

>全体が細部を輝かせ、細部がまた全体の魅力を増幅させる、という・・・。

なるほど。なるほど。

yumetakeさんのUPしたガンディーニ筆のミウラスケッチにミウラの魅力は・・・ありますねえ、でてますねえ。スケッチの出来はいまひとつなのかもしれないけど(私はとても上手いと思う)「ミウラをミウラたらしめているもの」が放射されておりますね。

>そのルオーテクラシケ誌はお持ちなのですか?どこかで買えますか?

ここに掲載されています。
http://testing.alicubi.it/www.bertone.it/presadiretta_rassegna.htm

グーグルに全文打ち込んで機械翻訳すれば内容がかなりわかるのでしょうが・・・最初のあたりまでしかやってません^^;)。

>つまりガンディーニによるディティールのアレンジメントがミウラをミウラたらしめているとお考えでしょうか。

ミウラのデザインの本質は、それが誕生した時期の特異性と深く関わっていると思います。
つまり「クラシックなコークボトルラインの時代から、ウエッジーなモダニズムへの過渡期」なればこそのアンビバレントな魅力です。
タイミングが生んだ偶然も大きく作用しているかもしれません。ですが
新旧2つの価値感の衝突をひとつのデザインにどう結実させるかは、まさにデザイナー個人のセンスだけがたより、というところです。

御大ミウラ図面が、ミウラに見えない理由を考えますと。
当時のガンディーニのデザインの決定的特長は、「ウエッジボディの面が意外にも実にクラシカルで複雑」ということです。これには、本当に驚きます。
yumetakeさんがカウンタックとミウラが対面した写真をあげられていますが、カウンタックのサイド面は実にクラシカルでコークボトル的に(三次曲面として)ふくよかなのです。作風の共通点が多いですよ、この2台は。

ウエッジボディにあえてクラシカル(豊か、という方が適切でしょうが)なテイストを残すことができるセンスが、カウンタックを世紀を超えた唯一無二の名デザインにしています。ミウラのボディがどのクルマとも違って見える理由(アウトラインはいろんなクルマと似てるのに)も同じだと思います。

決定的なのは、ジウジアーロはウエッジを指向するとき、「面の単純化の美」を自分の定理にしたこと。マングスタも本当に美しいですが、同じミッドシップスポーツでもデザインの趣きがミウラとは正反対です。
具体的に言えば、ジウジアーロのミウラ(?)図面に「キャンバーラインプレス=サイドのプレスライン」が入っているのが、デザインの印象の決定的な差異になっています。
キャンバーラインのプレスは、面を2次化します。ボーラのモダンさに「スス」んじゃってるのですが、その意味で「部分的に立ち止まった」のがミウラのデザインなのだと思います。
いい悪いではなく、「ウエッジシィプモダニズム」へのアプローチがまったく違ったのです。
マングスタ、マンタ、ボーラ、などのクリーンなボディラインを見ているとカウンタックのボディは実にムチムチ有機的なのがわかります^^)。

ガンディーニのミウラスッケチのボディサイドに描かれた緩やかにうねるハイライトライン。あの曲面、曲率にまず
「私たちはミウラを見る」のではないでしょうか。

もちろん、カングーロ、グリフォA3Lなどのジウジアーロの傑作をベースにしていることは言うまでもありませんね^^)。

ガンディニはミウラに何をしたのか。あと2つほど、あるような気がしてますが、その前に皆さんのお考えも、伺ってみたいです^^)。

    utida   2007年3月20日(火) 1:07     
>ここに掲載されています。
ありがとうございます。あやうくイタリアに注文だすとこでした・・しかしすごいページですね、日本の雑誌まで掲載されてる・・。

すみません、消化しきれないうちにまた明日より関西に出張です。
その間よく考えてみます。
レスは1週間後くらいになります〜・・

    ホリグチ   2007年3月20日(火) 17:42    HP  
楽しく拝見させております。
X1/9オーナーでガンディーニ派です。

側面図はジウジアーロ。びっくりしました。
そこにガンディーニの造型が組み込まれるのですが、
ベルトーネが過去にデザインした(これもジウジアーロですが)
既存パーツを使用することがきっかけとなったのではないかと。。
最近気がつきました。
クライスラーシムカ1200Sクーペとフィアット850スパイダー。
シムカのボンネット上のそれはヘッドライト部分のまつげとして、
そのままの造型を利用しています。後半で少し出っ張るフィンもそのままに。
そのヘッドライトユニットは850スパイダーと共通部品であると850スパイダーオーナーに聞きました。日曜日にミウラ(実車)を見ましたが。同じものです。既出でしたらごめんなさい。

ガンディーニは突然カロッツェリアに入社して、そこにあるものを素材としてはじめたのはすごく自然なことだと思います。
ただ、ジウジアーロ作品とガンディーニ作品は見れば明らかに違う。と私は思う。

私の持論はジウジアーロは絵画。ガンディーニは彫刻。です。
突然失礼しました。

    DADA   2007年3月20日(火) 20:29   
くろださん>いやはや驚きました。いつもの車名クイズのような軽いノリで楽しませていただいていたのですが、私にとっては大事件です。
1970年代、友人と深夜まで議論していた『ミウラの真のデザイナー』の疑問が30数年後の今になって突然解明されるとは。
若き日の御大が証言していた『幻の図面』がこれなんですね。これでその後の二人の証言のすべて納得がゆきます。
センターだけが欠けていたジグソーパズルの一番重要なピースが今置かれ、残りの僅かな空間は自然に埋まっていくでしょう。

以前私が想像した『無名だが有能な第三者の存在』は皆さんのヒンシュクをかってしまいましたが、ピエロさんというスタッフ(絵のうまい人ですね)が二つの個性を融合させる大きな役割を果たされたのでしょうか。

実はまだ興奮しています。どなたか図面をもとにジウジアーロ作のイソ・スポーツ(?)想像図を描いていただけないでしょうか。
大内さん>いかがでしょう。

ホリグチさん始めまして。X1/9をお持ちとはうれしいですね。以前X1/9のデザインのミステリーで話が盛りあがったことがあります。
ガンディー二派としてのご意見楽しみです。因みに私はジウジアロー派ということになってます。

    ホリグチ   2007年3月20日(火) 22:53     
DADAさんはじめまして

>>以前X1/9のデザインのミステリーで話が盛りあがった

既出でしたか。
よっぽどこの掲示板に書き込もうと思っていましたが、
そのミステリーはまだ残っていますでしょうか?
わたしのなかでX1/9で謎なのはあのバンパーです。
ガンディーニのスケッチが見当たらない。
でも図面がデトマソに漏れていたのはカーマガジンの記事でも見ましたが確かのようです。
1971年にFIATX1/9は出来上がっておりポール・フレールが走行テストの依頼を受けています。デトマソ1600の発表は1971.11月のトリノです。X1/9の発表は1972.11月です。

す、すみません。よこへそれてしまいました。。

    大内 誠   2007年3月20日(火) 23:27    HP Mail  
ほりぐちさん>はじめまして。イタリーのお金持ちは、ミウラの為にFIAT850をそのまま買って行くそうです。ランプカバーとリヤテールランプが使えますから。私もかつてはジウジアーロのギブリを持っておりましたが、あれもテールランプはアルファのものでした。マセラテイブランドで買うのとアルファブランドで買うのとでは、例え同じものでもかなりの差がありました。ですからあのミウラのランプカバーにしましても、あれをランボブランドで注文しますと、とんでもない値段です。しかし既製品をあのようにうまく使うのはさすがにイタリー人ですね。

DADAさん>Iso Sportsねー。おもしろそうですね。考えておきます。ギャラはお幾らくらいにしておきましょうか^^。

X1/9は、ジウジアーロが`71年に作りましたこのカルマンチータがアイデアの元のようです。フロントのくさびは童夢にも影響を与えていますね。

    ホリグチ   2007年3月21日(水) 0:05     
大内さん>はじめまして。「わ」の記事からこの掲示板への書き込みと楽しく拝見させております。
同じパーツの意味がちょっとはぐれたようですが、ミウラのラジエタ上のモノとシムカのものは同じはずで、マツゲの造形をそれに合わせたのではないかと。。。それについてぜひ。

チータ→デトマソGT→X1/9
は同じ形状であって。
セダンとかワンボックスといった形態のカテゴリでくくれますが、
その意味で最初のジウジアーロは偉大ですが、
これもぜんぜん違いますよね?

    ひろっしjp   2007年3月21日(水) 0:37     
非常に興味深いお話、楽しんでおります。カーモデルの原型師の真似事をしている私的には、ミウラの場合はコンセプトデザインとモデリングの両者が共に優れていた為に名車になったと解釈しています。

私の師匠、F氏の受け売りになってしまいますが、例えばNSXはピニンファリーナのコンセプトデザインをモデリングが台無しにし、LS460はモデリングは非常に力があるにも拘らず、コンセプトが中途半端な為に存在感はあっても心に残らない、その論理でいくとミウラはジウジアーロが絵を描き、ガンディーニがカタチを作った事により、名車足りえたのだと思います。

勝手な考え方ですが、どうでしょうか?

    大内 誠   2007年3月21日(水) 0:46    HP Mail
ホリグチさん>「わ」を読んで頂いたのですか、ありがとうございます。SIMCAに関しましては、最初のクーペは間違いなく御大のものですが、Sに関しましては、御大では無いと思います。この車は67年にSになって、このようなビッグチェンジになったのですが、丁度御大がFIAT Dino Coupeを最後に、ベルトーネを去った年です。この改良はオリジナルのセンスから比べますと、退歩していますね。改悪に入るのでは。フロントにラジエターをを持ってきてしまった為に、あのグリルと睫毛の熱気抜けをボンネットにつけなくてはいけなくなったのですが、ホイールキャップのセンスと言い、何か御大のエッセンスがない。因にこのセンターキャップは古いレオーネクーペにまねされました。話がずれてしまいましたが、DADAさんのおっしゃる第三者は本当に介入していたのかなと思います。ミウラの睫毛は本当に繊細なデザインで、ちょっとした人では到底無理な形。かなりの絵達者な人ですね。ピエロさんがやはり鍵を握っているのでしょう。このシムカの物も考え方はミウラのそれと同じです。単にルーバーだけで十分なはずなのに、後端をぴっと上げている。ミウラのランプの睫毛もそうです。それなので睫毛なのでしょうね。単なるルーバーであれば睫毛には見えない。御大が残していったオブジェを第三者のピエロさんが演出、そしてガンさんに引き渡したかな???。これをやりだすとまたあの時に戻ってしまいますが。ピエロさん、答えてちょうだい^^?

    くろだ   2007年3月21日(水) 3:32     
>図面をもとにジウジアーロ作のイソ・スポーツ(?)想像図を描いていただけないでしょうか。

かなりスタイルのいいクルマでしょうね。ただそれはミウラではない。ミウラをまるで感じない別のスポーツカーなのです。

>ジウジアーロ作品とガンディーニ作品は見れば明らかに違う。と私は思う。

ホリグチさん、はじめまして。そうですね。私もミウラに強くガンディーニを感じます。今回、ジウジアーロのiso/miura図面を皆でニュートラルに観察し「あまりに稚拙でなんとでも見える」「ミウラを感じない」という共通見解を得たことで、やはりミウラをミウラにしているあの固有の輝きが、ガンディーニ自身によるものであることが証明されたといえるでしょう。

ミウラはまさに画竜点睛のクルマ。
カタチを与えられる段階になって突如、天に昇る龍が現れたように、どのクルマにも似ていない輝きがやどり、人々を魅了した。そこはガンディーニの力量としか説明がつきません。

>DADAさん、>若き日の御大が証言していた『幻の図面』がこれなんですね。これでその後の二人の証言のすべて納得がゆきます。

そうなんですよね。たしかに図面はあったんですね^^)。後の二人のいろんなコメントに合点がいく。今になってなるほど!という感じです。

>ミウラのランプの睫毛

あの奇想天外なアイデアは、ガンディーニが「ライトが起き上がったときの違和感を異様に嫌って」彫刻的意図でほどこしたもの。まさにガンディーニデザインの真骨頂ともいうべきものです。カーデザインとしては、ライトまわりにルーバーをもってくる かつてない造型感覚にこそ注目せねばなりません。シムカの熱ヌキのアウトレットフィンなら、ガンディーニも直接生産車を見てますから、わざわざピエロストロッパとの関連で見るのは・・非常に無理がありますね^^;)。>大内さん



    くろだ   2007年3月21日(水) 13:24     
「落書きソフト」で、ちょっとやってみました。

よさそうですねーコレ!
「もしも」の歴史の中では、ジウジアーロの伝説的名車だったでしょう。(A3Lプロトのデザインはもともと大好きです。)

    ホリグチ   2007年3月21日(水) 18:41     
大内さん>まつげは繊細とかじゃなくてはじめからシムカのダクトを考慮に入れたのではないかとまで私は勝手にですが、、考えています。

そしてまさに!

くろださん>はじまして。そのガンディーニに関しての探求と書込みにいつも感心してうなずいています。。。

>>あの奇想天外なアイデアは、ガンディーニが「ライトが起き上がったときの違和感を異様に嫌って」彫刻的意図でほどこしたもの。

これは私もゲンロクの記事で読んでなるほどと思いました。

ミウラに採用された850Spider用ヘッドライトは大内さんの言うようなランプカバーではないのです。ヘッドライトユニットごとなんですよ。
拙い図ですが下のような感じです。しょうがなく起っちゃったんですね。ミウラライト。
だからミウラのマツゲには2つの理由があったのです。

くろださんの言うあと2つくらいというのが楽しみでなりません。

ミウラと同時発表のポルシェ911ロードスターにもガンディーにらしさが見て取れますね。
ヘッドライトカバーにパッシングのためのスリット。
リアエンジンへつながるサイドのインテークはまさに彫刻的でジウジアーロ時代にはなかったものですね。

    大内 誠   2007年3月21日(水) 19:39    HP Mail  
くろださんの写真をお借りしましてIso Sportsを作ってみましたが、巨大なATSですね。がっくり!。御大の偉大さを知りました。くろださん、ランプ処理はどう致しましょうか?。


    大内 誠   2007年3月21日(水) 21:52    HP Mail  
ホリグチさん>850のライトユニットごとを白いプラステイックのギヤで駆動し、首をもたげておりました。850とは傾斜角がちがうので、ミウラの場合はランプユニット自体はあのように直立しないでランプのみが90°になった時のアングルです。当初は睫毛も一緒にポップアップしておりました。

ポルシェの場合ですが、ライン的には850と同じです。リヤエンジンなので空気をあそこから取り入れたい為に、あけた穴ですね。ホイールもポルシェからカンパニョーロに変ってより精かんになりましたが、リヤの重〜い感じはデザインの難しさを物語っております。

    ホリグチ   2007年3月21日(水) 22:47     
大内さん>意味が通じていないのでしょうか?

ミウラでもし850のそれを使わなかったら睫毛はなかったかもしれないってことですよ。

あと、立体デザインについてそのデザイナーのアイデンティティが保たれるところと言えばディティールの処理なのではないですか?


イラストレーターで言えば筆のタッチとも言える作風ですよ。
たとえばおなじギブリ(1966トリノ)を佐々木悟郎と池田和弘と鈴木英人が描いて作者をふせても、誰が見たって分かっちゃうじゃないですか?

デザイナーは誰だって過去の作品をまねしますよ。
ジウジアーロもベルトーネ入社時は過去の作品に習っていましたよね。
ジウジアーロとガンディーニは同じ歳でもカロッツェリアという大舞台デビューに7年の差があるんですよ。あとから来た天才をいじめないでください。

追記:
>>ミウラの場合はランプユニット自体はあのように直立しないでランプのみが90°になった時のアングルです。

多分違うと思うんですけど。あのパーツを見たことある方いませんか?ランプのみとかあり得ないんですけど

追記2:
やっぱり最初のでいいんです、通じていない。その写真の通りですよ。
ユニットがそういうカタチしてるからミウラのボンネットに合わせるとポップアップせざるを得なかった。それを言っておるんです私は

追記3:
リアのBとかCピラーあたりのインおよびアウトのエアダクトのアイデンティティ

ジウジアーロ
◆タピーロ、イグアナ、ボーラ、M1、などのスリット状のもの。

ガンディーニ
◆911、ストラトス、308GT4、などの穴です。

ジウジアーロのスリット状をガンディーニは別の面で使いますが、
ガンディーニの穴はジウジアーロは使いませんね。

    大内 誠   2007年3月21日(水) 23:57    HP Mail
ホリグチさん>ミウラのライトはシールドビームではなく、あのキャレロのきれいにカットされたランプの上面は単なる透明なライトカバーなはずですよ。対米輸出はライト規制があるので、あのカットガラスは使えずにノンカットで中にランプが見えているはずです。もし850のオーナーがお友達ならば聞いてみてください。御理解頂けたでしょうか?。

    くろだ   2007年3月22日(木) 0:15   
お、大内さん・・・
ジウジアーロの図面を立体にしてみたら、結局

>巨大なATSですね。がっくり!。

だとすると「ジウジアーロのミウラ(?)図面は、どうってことないものだった」という発言になるはずですが・・・

>御大の偉大さを知りました。

という文脈は理解に苦しみます。
「ガンディーニの偉大さを知りました」の書き間違いですか???

SVも十分にミウラらしく素晴らしい以上、睫毛はあくまでディテールとして個性的ということのような気がします^^;)。

>私の持論はジウジアーロは絵画。ガンディーニは彫刻。です。

とホリグチさんのおっしゃるように、
ミウラの睫毛の特筆すべき個性は、「中央部が球もしくは楕円体(ellipsoid)にえぐりとられた形状」であることです。
『もとの立体に虚空間をぶつけてえぐる造形法』はミウラインパネ、ストラトスフェンダーと同じ「でたガンディーニ思考!!」なメソッドです。
さらに、ドアのフィンにも同じ個性的な「曲面えぐり」が見られ、彫刻的小空間の美しさを見せてくれています。このフィンの個性をガンディーニ以外のデザイナーのものとするのにも無理がありますが、それでも「ジウジアーロ的だ」という反論・反証は何かありますか?>大内さんに質問@

この前も質問しましたが、もう一度。
シムカの熱ヌキのアウトレットフィンなら、ガンディーニも直接生産車を見てますから。わざわざピエロストロッパとの関連でお話をつくるのは・・非常に無理がないですか。>大内さんに質問A


    大内 誠   2007年3月22日(木) 0:27    HP Mail  
ホリグチさん>カリフォルニア仕様のミウラです。ライトカバーの中にライトがあるのがお分かりになりますでしょうか?。

    大内 誠   2007年3月22日(木) 0:52    HP Mail
くろださん>Iso Sportsはあの図面を元に描いてみたのですが、自分で納得のいくラインが出なくて、グリフォをイメージしたジウジアーロはやはりすごいな〜と。そういう意味で自分にがっくりしたんです。もう少しカッコよく描けるかなとおもったのですがね。自分の下手さ加減にがっかりした!。それなのであの図面が云々とは関係はありません。


    くろだ   2007年3月22日(木) 1:45   
>Iso Sportsはあの図面を元に描いてみたのですが、自分で納得のいくラインが出なくて、グリフォをイメージしたジウジアーロはやはりすごいな〜と。

ああ、でしたらなおさら、理解に苦しみます。
いいですか。あの図面はグリフォではなく、ミウラと同じアウトラインを持っているのです。だったら、自分で納得のいくラインが出なかった場合も、「ミウラのあの曲面・造形・ディテールのアウトプット、という段階でのマエストロだったガンディーニはやっぱすごいな〜」が先にこなければ、話の筋が通らないのです。いかがでしょうか?

ミウラという完成したクルマは実際に美しいのです(少なくとも大内さんにとって)。
そのミウラとピッタリ重なる図面から立体を起こす試みをしたとき、わざわざミウラではなくグリフォの美しさを引き合いに出すのは、明らかに変ですよ。
ここについて、いかがでしょうか?>大内さんに質問B

    utida   2007年3月22日(木) 2:05     
ちょっとだけ戻りました。

やっぱしたいへんなことになってる・・^^;)

消化しきれませんが、私がいまいくつか断片的に感じていることは、

・睫毛やルーバーはミウラの魅力と関係が薄いのではないか。
・ミウラの魅力はフォルムにあると推測するが、同一フォルムであるところのジウジアーロの謎図面が賞賛しかねるのはなぜか。

もひとつおまけに
・なぜガンディーニ派の人とジウジアーロ派の人は意見が異なるのか。
双方に執着・造詣の無い私にはミウラがどうこうよりこっちの命題の方が謎に思えてきました^^;)。

こんなところです。
また後日〜。


    ホリグチ   2007年3月22日(木) 8:00     
大内さん
描いていただいた図の通りです。ミウラライト
おっしゃっているレンズカバーと筒の角度は変えられないのです。一体です。
おもてのレンズの向きと中に入っているライトバルブの向きは動かせないのです。
それだったらイオタのようにしてしまってもいいのではないですか?
エンジニアリング的見地が足りないような....

utidaさん>はじめまして。
>>・睫毛やルーバーはミウラの魅力と関係が薄いのではないか。
それはないと思いますが....

リアセクションに関して言えばこれはガンディーニでしかあり得ないですよね?リアライト周辺のパネルは別として。

    DADA   2007年3月22日(木) 9:50     
仕事中ですが我慢できないので・・・
皆さんディテールに拘りすぎていませんか?

utidaさん>睫毛やルーバーはミウラの魅力と関係が薄いのではないか。
私もそう思います。

ミウラの完璧とも思える美しさはそのプロポーションがあってこそ成立しているのではないでしょうか。

本当に美しい女性はスッピンでも、頭蓋骨さえ美しい・・

20代のジウジアーロへのインタビュー記事のなかでこんなのがありました。(うら覚えですが)
『あなたが車をデザインする上で最も重要なものはなんだとお考えですか?』
氏は即座にこう答えました。
『それはプロポーションです。』

少なくても80年代までの氏のすべての作品に貫かれた、私が美しいと感じる根源がここにあるんだなと強く感じました。
独創性ではガンディーニの方が上かもしれません。
類まれな三次元のバランス感覚こそが御大の作品の魅力の源であると思うのです。

車(ミウラ)の魅力をどこで感じるかはひとそれぞれで良いわけで、私の場合、もし睫毛もルーバーもなくてもミウラは好きですが、縦置きでキャビンが前進していたらどうかわかりませんから。

    ホリグチ   2007年3月22日(木) 19:11     
utidaさん>・なぜガンディーニ派の人とジウジアーロ派の人は意見が異なるのか。

お互い相手の作品をあまり見ていないからではないですかねぇ。どれがジウジアーロ作でどれがガンディーニ作とされているのか?全部時代順に並べたら一発で分かると思いますよ。
1966.3月ジュネーブでミウラが世に出たとき、ジウジアーロはまだ117クーペのプロトですからね。1966.11月トリノでやっとマングスタ!それとギブリか。。。
これはガンディーニの影響を少なからず受けていると思うのですが、そう思うのもガンディーニびいきだからかなぁ。

アウトラインがジウジアーロの図面からだった。これは大発見ですけどね。アウトラインだけじゃモノは作れないし。。。。

DADAさん>プロポーションといってもその大発見図面に見て取れるままのプロポーションですよね。だれもミウラと気がつかなかった。
日本でジウジアーロファン5に対してガンディーニファン2くらいですから、まだまだ私はガンバリます^^

    DADA   2007年3月22日(木) 20:19   
私が安易に>図面をもとにジウジアーロ作のイソ・スポーツ(?)想像図なんて言ってしまって後悔してます。
大内さんすみません。
所詮CGなんかでは例え本物のミウラを描こうとしても本物に見えないでしょうね。
よくスクープとかいう記事でディテールまでそっくりな想像図が掲載されますが、実物が出てから比べて見るとまるでマンガにしか見えないのと同じです。生きていないのです。

この件でいえば例えばイソではなく同じ1964年のカングーロをもとに合成するとまったく違った車になるでしょうから。

くろださんのおっしゃるように同じフォルムでも作者によりまったく印象の異なる車になることを今回教えていただいたわけですが、線を描いた御大のイメージしていたフォルムと量感(質感)とはいったいどういうものであったのか興味はつきません。

ホリグチさん>私の言うプロポーションとは2次元ではなく3次元のフォルムのことです。車は絵画とちがい立体ですからどの角度からでも破綻のない美しいバランスを取るのはかなり難しいことだと思います。
まずフォルムありきで、エアーのインレットやアウトレットなどの魅力的で効果的なディテールも、ジウジアーロもガンディー二も直感的にあっという間にやってのけてるんじゃないかな。

    大内 誠   2007年3月22日(木) 22:57    HP Mail
DADAさん>いえいえ、そんなにお気を使わないでください。あのような事は大好きですから。しかしいざ描き出すと、思ったように描けないですね。それで御大はやはりすごいな〜と今さらながら思っただけです。昔ならば絵の具から筆まで用意しなければあそこまでは描けないのですが、今はMacがありますので、比較的に短時間でいかにものレンダが描けるようになりました。66年代に御大がこれを駆使していましたら、何台も同時にデザイン出来たでしょうね。後のマーチとウーノのように。

僕は1949年生まれのロートルですが、自動車デザインの世界では一番良い時にオンタイムで色々なデザイナーに誌面で出会う事が出来て、いずれはピニンファリーナのようなデザイナーにあこがれを持っておりました。しかし1967年の2月号のカーグラフィック、ベルトーネ近作集で見ましたジウジアーロのこのレンダには目を疑いました。それまでの他の人のレンダとは全く違うリアリテイ!。もうその車がそこに存在しているかのような素晴しい物でした。ですから宮川氏も驚き、カーグラの当時の高嶋氏も驚いて、誌面あるごとにジウジアーロを称賛してきました。ヌッチオ自信も驚いたと思いますよ。当時は。しかし67年にあの不幸な事がおきて、彼はギヤへ移ってしまった訳ですが。当時はDADAさんと同じで、友達とミウラ論争を戦わしました。その頃はガンデイーニの名前はあまり出てきていませんでした。とにかくミウラがジウジアーロと無関係と言い放ったヌッチオの言葉が衝撃でしたね。それでは誰なんだ?!と。寝食、勉強も忘れてまたまたミウラ論争です。試験が終われば、答案用紙の裏にミウラの絵を描いて、教師に「そんな時間があるなら、答案用紙を見直せ!」とまで言われたほどです。大胆にして繊細なのがジウジアーロの真骨頂です。DADAさんのおっしゃるようにバランスの神様でもあります。

ジウジアーロの残した70パーセントとはどこらへんなのでしょうか?。あの図面が70パーセントなのでしょうか?。

ミウラライトは近々友人からいただいてきますので、その節はアップしましょう。単品でも十分に美しいものです。

    ホリグチ   2007年3月22日(木) 23:13     
DADAさん>3次元のフォルム
ミウラのフォルムはフロントセクションでいうとジウジアーロのテスチュード、イソグリフォA3L、アルファロメオ・ジュリアスプリント・スペチアーレのフォルムと一緒と捉えられて文句ありません。ただ、リアセクションでいうと、カングーロ?に近いですかねぇ。たしかにジウジアーロは凄いと思いますよ。でも、ミウラの特徴である、ドア後端からリアエンジンへのインテーク!くろださんが知らしめたインテグラルシェイプ!ガンディーニオリジナルではないでしょうか。

大内さん>ミウラのライトはアッセンブリですよ。この写真がすべてです。さらに850Spiderオーナーにさっき電話で聞きましたが、アメリカ向けのシールドビームはヨーロッパ用の反射板とバルブのある筒の底に同じ向きで植わっているそうです。たしかにUSミウラのレンズはカバーのようにレンズカットはありません。いかがですか??

    ホリグチ   2007年3月22日(木) 23:42   
大内さん>私はミウラの一年後くらいに生まれたものですから。。。。
その時代で見聞きしていたら、私だってジウジアーロのものだと思ったでしょう。先輩方の意見やメディアからの噂。私がそれを知ったときどうしても納得できなかったですもの。

ガンディーニの大衆車で傑作もあるんですよ。
アウディ50やイノチェント・ミニ、スーパーサンクもいいですよ。
ジウジアーロのゴルフ、デルタ、パンダ。2人はお互いに影響を受け合っているんですよね。

私はまだジウジアーロとガンディーニとトムチャーダくらいしか良く知らない若輩者ですので、話について行けなくなったら失せますです。

    大内 誠   2007年3月22日(木) 23:59    HP Mail  
やはりお若かったですね。無理も無いですよ。スーパーサンクはいいですね。

チャーダを知っていれば十分ですよ。パオロマルテイン、サピーノ、フルア、ブロバローネ等々、そしてそれと真のジウジアーロの恩師であるレイモンドロウイーを是非御贔屓に。

ライトの事ですが、簡単にカットしてみました。中にちゃんとしたライトが入っており、前面のはカバーです。ですからこれ自体がシールドビームではないと言うことです。近々友人からのプレゼントを分解してみます。

    ホリグチ   2007年3月23日(金) 2:24     
大内さん....何を論じているのか分からなくなっちゃっていますよぉ。

USミウラの写真を出して説明していただいた
>>ライトカバーの中にライトがあるのがお分かりになりますでしょうか?。

もちろん分かりますよ。ライトというのはシールドビームのことですね?

私が上げた写真。わざわざ加工していただいてありがとうございます。

それは,,,,ヨーロッパ仕様です。

「カーバー」と注釈を付けていただいたのは「レンズ」と言います。

その中にはバルブと呼ばれるものが入っています。電球のことですね。

その裏に反射板があります。

上の写真はもちろんシールドビームではありません。

先の>カリフォルニア仕様のミウラです。
のカバーの奥に入っているのがシールドビームです。
レンズと反射板は一体となり密封されて、フィラメントが切れると丸ごと交換となってしまうアレです。

大体同じことを言っているんですが、何の話なんだか....
最初のポップアップの話がどっかへ飛んじゃいましたね。ほんとにこの掲示板は楽しいです^^)


    くろだ   2007年3月23日(金) 2:27   
さきほど帰宅しました。^^)
私は「ある完成した作品が複数のデザイナーたちの協働制作であったり、引き継いで完成したものだった場合に、結局誰が作品に輝きをもたらした真の貢献者かを公正に判断して評価する」というキツいことをやることもあります。
(だいたい私自身は美大卒じゃないしデザイナーでもないのに・・><)。
その点、ミウラ論争は楽しくていいです!ミウラ論争をみんながやるのは、結局お互い何かを見つけたいか、もしくは何らかの結論を見たい、という探究心からでしょうし、刺激的ですよね。

私は多分 今回、その議論の終点として「ミウラを輝かせたデザイナーは、やはりガンディーニというべきである。」ということを客観的に証明できそうです。

証明、というのは
「まっとうな議論において、ジウジアーロ派が反論できなくなる・絶句する」という客観性に至る、ということです。
せっかくこれまで皆が何度も議論してきたことなのだし、ディスカッションに決着がつきそうな時は「ツめておくべきだな」と考え、
かなり強めのスレッドタイトルをつけてみました↑^^)。さて。

utidaさん曰く
>ミウラの魅力はフォルムにあると推測するが、同一フォルムであるところのジウジアーロの謎図面が賞賛しかねるのはなぜか。

そう!それは、ジウジアーロの図面に、ミウラをミウラたらしめている「情報」が無いからですね。そりゃそうです。
じゃあ、実車以外にその「ミウラをミウラにしているもの」を内包した図面なり絵なりの情報はかつて存在したのかい?
ありますよ。実車のミウラとはかなり違ってAピラーレスになっていたり、エアアウトレットの位置が違ったりしている初期のレンダリング(写真1)です。2次元情報であるにも関わらず!ミウラらしさのすべてが描かれ固有の情報が存在していますね、このガンディーニの初期スケッチには。
なんで、こんなにミウラを感じるのか絵のクセに!^^)。そこなんですよ!
この時期のガンディーニレンダリングをコーチワーカーに持ち込めば「かなりミウラなナイスボディ」ができあがる。
少なくとも「稚拙で何とでも見える」「イソにしか見えない」あのジウジアーロ図面よりも、「はるかに」ミウラ固有の情報が含有されているじゃないですか。
それが、どういう情報なのか、の正体がミウラの固有性の分析になり、ハイライトなのですが・・・・>その前に。

>ミウラの完璧とも思える美しさはそのプロポーションがあってこそ成立しているのではないでしょうか。

その通りですDADAさん。だからこそ。
ここで言う「プロポーション」が3次元的バランスまでを含んだフォルムという意味(定義)でしたら、
ミウラに三次元のマスバランスが与えられたのは、ジウジアーロ去ったかなり後なので、「よくあんな造形にプロポーション化したね」とガンディーニたちを
褒めるべき。なぜなら結局、ジウジアーロ派の最後の望みだった「ジウジアーロのミウライソスポーツ図面」の段階では「ミウラならではの立体感も3次元マスバランスの情報」
もまだ含有されていなかった(!)のですから。

(すでに含有されているとしたら・・・されてないはずですが・・・あの程度のプロファイルでも「クルマを美しくする本質的情報たり得る」という考えになりますので・・ムリあると思いますが・・・イソスポーツ!も美しさはミウラと同じになる!と言わなきゃいけない・・・?)

で、アウトライン(あの図面に「在った」情報=2次元の比率)をプロポーションと呼ぶのなら、それは

ミウラが美しくなる『必要条件』だった

ということです。ここには異論がありませんよ。あのプロファイルでなければ、ミウラの美しさはなかったと言ってもいいでしょうから。

しかし、結局、あのISOとマングスタを足したような図面は「ミウラらしい三次元のプロポーション情報」が未だ付加される段階にはまったく到っていないので、
そうなると、褒めるべきは、

その「必要条件(=2次元プロポーション)」の上に、
  「十分条件」を付加したクリエイターということになります。

このロジックでいっても、もちろんジウジアーロ側を評価するのは、正当ではないということになります。

どんなアートでも、技術的成果でも、作品評価では「十分条件をクリエイトしたもの」を称えないとお話にならないですし、そうすることがアーティストに喝采を送る時のまっとうな態度ですから。

その昔^^)「アインシュタインの相対性理論は、ニュートンあってこそだ!」とニュートンばかり褒める人がいたとしたら、物理を語る資格がない、という例えをしました。今でも的確だと思っています。

さあ、ここまでのところに異論はありますでしょうか?

(ところでライトとか睫毛とか、細かいとこに脱線すると話がよく見えなくなっちゃいますよねー)

詳しくはまた書きますが・・(なかなか本論にいけない^^;)最も重要なのは
「ミウラデザインの固有性」に迫ってみることですよね。

とことんわかりやすく言えば、この空白↓を可能な言葉で埋めてみればいいのです。

「ミウラのデザインは、−−−−−−−−−−−として、世界で唯一のカーデザインである。」

-----------------に、どんな言葉が入るでしょうか。
私もポイントは、「曲率情報が規定された3次のプロポーション・フォルム」だと思います。(実はまぁ、ふつうプロポーションは1〜2次元での意味に使うのですけど^^)

>日本でジウジアーロファン5に対してガンディーニファン2くらいですから

あ・・いや、そんなことないですよ。
それに「ミウラに関してジウジアーロ側を主に評価する人は、もはやプロのあいだでもすっかりいなくなってしまった」ので^^;)。

そして大内さん、この意見交換において、大切なところで質問を流されてしまうとあまりに切ないですので、ぜひお答えいただきたく(質問@ABまでたまってしまいました)。

>ジウジアーロの残した70パーセントとはどこらへんなのでしょうか?

まあ・・アウトラインはほぼミウラと重なるので、そこでつい70%って言っちゃったんでしょうけど・・・ありゃ、ミウラじゃなかったですからね。結局はそこなんです。

(ジウジアーロ自身も、「とはいえそのプロファイルのことなどよりも、出来上がったミウラの完成形の中にこそ重要性がある。」といった発言を後に各所で繰り返していましたしね)

    大内 誠   2007年3月23日(金) 11:23    HP Mail
くろださん>無視したつもりは無いのですが、御質問が難しくて何とお答えしようかと思っている内にお答えが遅くなり、結果くろださんに不快な思いをさせてしまったかと思います。それと正直に自分の意見を述べますと、また色々と出てきますので迷っていたのですが、そういう事であれば正直に言うしかないかなと。これからの文章はあくまでも私見です。あのレンダに付きましては、Iso Sportsと言う事で、元写真自体がA3Lでしたので、グリフォーに結果なっていってしまった。睫毛とかドアーのフィンに関しましては、あの繊細なデザインが私的にガンデイーニを感じないと言う事です。ベルトーニが実際に彫刻家としてDSやアミと言ったあのようなフォルムを作ったのは理解出来ますが、ガンデイーニが彫刻としての魅力があると言うのは理解に苦しみます。ガンデイーニの作品、カーラボ以降にあのような繊細さを全く感じないからです。パンサー、スパイカップ、ナバホ等々。実際にあのミウラ以後のガンデイーニのレンダリングってあるのでしょうか?。僕は見た事がありません。シムカのアウトレットに致しましても、実際はミウラのそれを半分にして、再利用したのでしょうか?。また気分をがいされるかもしれませんが、もしミウラが70パーでジウジアーロの手を離れ、その後にあの繊細な加工がされて最終的なミウラになったのには間に誰かがいる、ジウジアーロからダイレクトにガンデイーニに引き継がれたとは私的に思えないのです。何回も言いますが、絵を描いている立場からしまして、後のガンデイーニ作品から見てますと、彼にはあのような繊細な感覚は感じないと言う事です。これはあくまでも推測です。ジウジアーロはあの謎の図面の中で、キャビンの跳ね上がる図面を描いた時にすでにモントリオールのオリジを感じます。リヤガラスはハッチバックとして、少し段差があるのでしょう。ミウラにつながるあのリヤトランクスポイラーもイメージされています。彼の頭には色々なイメージがこの時点で湧き上がっていたのでしょうね。自分の考え方として、ガンデイーニの100パーセントオリジナルはカーラボからと昔から思っております。それは時系とか言うことでなく、ずーとイタリーデザインを見てきたからの流れです。ミウラのあのホイールも以前にどなたかがアップして頂きましたベアシャーシーの時点であれをはいた写真がありましたので、ボデイ以前にすでに単独のカンパホイールとして出来上がっていたと思います。あれには驚きましたが。最初のボラー二のワイヤーならそんな疑問はわかなかったのですが。ですから自分がずーと思っていましたミウラ=ジウジアーロ総合芸術と言うのはちょっと違うかもしれないと思うように変ってきました。70パージウジアーロと思っています。その70と言う数字は微妙でミステリアスですが。あくまでも私見であり、議論の一例だと思ってください。僕はそうは思わないなと言った持論です。お返事になったでしょうか?。

ホリグチさん>ランプのお話はもう止めましょうね^^。どうでしょうか?。

    ホリグチ   2007年3月23日(金) 12:11     
大内さん>はい。ランプは終わりにしましょう^^

で、今私の見ているのはガンディーニインタビューも含んでいる例のゲンロク2006.3月号なんですけど、くろださんやyumetakeさんが画像アップされた初期のレンダリングの下にですね。以下のようなキャプションが入っています。

“マルチェロ・ガンディーニが描いた、最終段階に近いボディデザインのレンダリング。シルエットそのものは生産型とほぼ変わらず、違いといえば、フューエルリッドが収められ、ラジエーターの熱を放出する、縦格子のエアアウトレットの位置が若干フロントボンネット後方に描かれている程度か。フロントライトのまつ毛は存在している。ボンネットのエアアウトレットやエンジンルーム用のエアインテーク、リヤバンパー部に設けた黒の格子やフィンは、シルエットにアクセントを入れるための重要な要素だと言う。”

くろださんもおっしゃっているようにエアアウトレットが後ろ寄りなんです。この意味はガンディーニが1965.11トリノで見たベアシャーシTP400のラジエターの位置から来るものです。生産へ向けてそのラジエタの位置ではガンディーニが描いたイメージにはならないので(ボンネットが高くなりすぎる)、フロントにナナメに取り付けるようランボルギーニへ変更依頼をしたと言う。あの証言につながってくるわけです。

70パーセントじゃなくて15%くらいの間違いじゃないかと私は。。。。

    くろだ   2007年3月23日(金) 12:50     
私はジウジアーロの作品も大好きなのはご存知のとおり。ではなぜこの件でややシビアになるのかといえば、少なくとも公にクレジットは作者ガンディーニとされているものに対し「多くは彼の功績じゃない」と説くという行為は、それなりの覚悟をもってやるべきことだからです。

私はジウジアーロ説もいいとは思いますが、ただ一点「原理主義的」発想は許してはならないものだと考えています。
「クリエイティブなスピリットの尊重」の観点から。作品・作者功績問題は、その作者をリスペクトする人に切ってかかるということですから。

「原理主義」とは、「とにかくまずジウジアーロの功績」という「前提」で、すべての事実を見る姿勢です。
永田議員のメール疑惑じゃないですが、これは一気に問題化します。
「ジウジアーロの功績が大きいと思う」という主張を語るなら、主観ベースの差別にならないための「誠意ある説明」を怠ることは許されませんよね。

>ミウラのあのホイールも以前にどなたかがアップして頂きましたベアシャーシーの時点であれをはいた写真がありましたので、ボデイ以前にすでに単独のカンパホイールとして出来上がっていたと思います。あれには驚きましたが。最初のボラー二のワイヤーならそんな疑問はわかなかったのですが。

え・・・カンパホイールを履いたシャシーなんて、ミウラの数だけいつだって撮影できるものなのに、何を根拠に「ボディ(デザイン)以前」と推察なさるのですか?????
>大内さんに質問Cまずこれだけでもお答えください!
(根拠がないのにこうおっしゃってるとしたらまるで「原理主義的」なものの見方ですが・・・・)

>あくまでも私見であり、議論の一例。僕はそうは思わないなと言った持論です。

例えは極端ですが、「あくまで私感だが、過去の印象からホリエメールはあったと思う」と書いたら、それこそ反論の嵐となるでしょうし説明責任が最大化します。

    ホリグチ   2007年3月23日(金) 13:10     
くろださん最高です!もっといっちゃってください^^

カンパホイールがベアシャーシの時点で??

ジウジアーロ派のかたたちはすごくむちゃなことを書くんですよね。
以下は最近発行されたくるまにあからの記事です。

くるまにあ[2005/11]の記事はこうです。
---
(省略)・・・・・・マルチェロ・ガンディーニの作品とされている。しかしながら、65年時点でのベルトーネ・チーフスタイリストは、ジョルジェット・ジウジアーロなのである。そしてミウラのシャシーが公表されたのが65年のトリノ。なにやらミステリアスなのは、最初にベアシャシーだけが公表されたことと、この年にジウジアーロがベルトーネを辞していることだ。そしてふたりの作風を見ていると、どうしてもミウラのデザインがジウジアーロのものに映ってしまうのである。さらに解せないのは、ジウジアーロは非常にレンダリングのうまいデザイナーで彼の描いたレンダリングには必ずサインが入れられている。ところがガンディーニは、というかベルトーネから発表されるデザイン・レンダリングにはジウジアーロ以後のものに、サインの入っているものがほとんどなく、なぜかミウラのレンダリングにのみガンディーニのサインが入っている。それも、お世辞にもうまいとは言えないレンダリングである。というわけで、勝手に推測すれば、初期レンダリングを描いていたのは、恐らくジウジアーロである。そして発表段階でジウジアーロがベルトーネを辞したため、そのデザインをガンディーニとして発表したというのが事の真相だと思うわけである。ガンディーニ・ファンには大変失礼だが、彼が開花したのはやはりカウンタックにおいてであろう。
TEXT:中村孝仁
----
この文はmixiの[神様 マルチェロ・ガンディーニ] トピックにも載せたものです。こういうのを今の何も知らない若者が読んだらよくないですよね。このあと
“まぁ「くるまにあ」なんていう誰も知らないような本ですから(笑)”とコメントが入っていましたが。。。

くろださん>ちなみにmixiのメンバー数だと[ジウジアーロ] トピック1273人に対して[神様 マルチェロ・ガンディーニ] トピック482人しかいないんですよぉ。


追加、、、すみません。ちょっと記事が古すぎたかな。

    DADA   2007年3月23日(金) 14:33     
いつもクールなくろださんですが、ことM.ガンディーニの話題になるとヒートアップですね。

>公にクレジットは作者ガンディーニとされているものに対し「多くは彼の功績じゃない」と説くという行為は、それなりの覚悟をもってやるべきことだからです。
例えは極端ですが、「あくまで私感だが、過去の印象からホリエメールはあったと思う」と書いたら、それこそ反論の嵐となるでしょうし説明責任が最大化します。

ちょっと言い過ぎでは?
ここは国会ではなくBBSです。大内さんは私どもと違い立場を公にされている方ですし・・・
ホリグチさん>ジウジアーロ派が何人でガンディーニ派が何人とかどうでもいいことだと思いますよ。ジョークでしょうが。

本題の『ミウラを輝かせたデザイナーは誰か』のテーマでいえば『輝かせた』のはガンディーニであると私も感じています。何といっても最後に見事にまとめ上げたのは彼ですから。
ミウラが一人の力で出来上がったものではないことは結論されているわけで、ただ何パーセントかそれぞれ考え方が違うだけですね。

運命のめぐり合わせで出会った二人の天才的なデザイナー、一人はプロジェクト半ばで会社を辞し、一人は突然引継ぎをさせられた訳ですからどちらも不本意であったでしょう。
にもかかわらず歴史的な名作が産まれたわけです。そしてその背景を解き明かす手法として過去の二人の作品を美術的見地から究明してゆく。
こんな興味をそそられることは他にありませんね。
ですから出来るだけ皆さんの正直な意見を聞きたいと思うのですが。


    大内 誠   2007年3月23日(金) 16:21    HP Mail  
ホリグチさん>誰の記事がめちゃくちゃで誰の記事が正義なら、何を信じれば良いのでしょうか?。それこそめちゃくちゃでしょう^^。ホリグチさんの発言はテキストを書かれた方に失礼では。彼は良く知っております。奥様はイタリーの方なので、イタリー語でのインタビューもあり、それなりに真実ですよ。ガンデイーニのレンダはミウラ以降見た事が無い。これに対して同答えますか?。彼のレンダに対する予測は私も一致する所。dadaさんのおっしゃるように、ここではミウラ大好きおじさん達の井戸端会議です。本来であれば喫茶店にでも集まって、侃々諤々笑顔でやればいいんですよ。みんな薮の中ですから。真実なんて無い。ガンさんでも無ければ御大でもない。そういう意味では時効ですね。ミウラコンセプトが出た時点で、そのコンセプトはオリジを越えられなかったのですからやはりミウラデザインは優れたものだったのですね。それに対して色々、それが楽しいんではないですか。

御質問4のお答え>問題はその写真が1965年なのですよ。ラジエターもまだ上面ですし。この時点でワイヤーであれば僕も驚かないと言うのはそういう意味です。たしかに出た後ではそれはいくらでも可能ですが。あのカンパのホイールは誰がデザインしたのでしょうか?。御大でもないし、かと言ってガンさんが間違いなく描いたと言うサインでも入ったレンダでもあるのでしょう?。か?。

    大内 誠   2007年3月23日(金) 16:33    HP Mail  
ベストアングルミウラ!

    ホリグチ   2007年3月23日(金) 17:14     
大内さん>多少行き過ぎだったと反省しております。。。
ベアシャーシにミウラホイール!!謎々ですね。

ジウジアーロは1965年9月にベルトーネを離脱とゲンロクにありますが正しいでしょうか? ジウジアーロの離脱からガンディーニの入社までの時間は約1ヶ月とあります。

ヌッチオ・ベルトーネとジウジアーロがテスチュードで会場まで移動し大注目の嵐だったと、古本屋で買ったジウジアーロ特集にありました。

ヌッチオとジウジアーロで次のテスチュードに代わるイメージを進めていたことは確かなんですね・・・そのホイルベース2280の図面が目指したものは。。

う〜〜ん。ますます面白くなってきました。


    大内 誠   2007年3月23日(金) 17:41    HP Mail  
ホリグチさん>でしょ!。あのベアシャーシーが1965なんですよ。ホイールの方が先に出来ているではあ〜りませんか^^。これは以前にどなたかがアップして頂きました写真で、これにはぶったまげ!ですよ。御理解出来ますでしょ?。ミスプリ?と言われてしまえばそれまでですが。しかしラジエターの位置とか。謎ですね。このホイールは誰がデザインしたのか?。それもミウラ用でない可能性が出てきた訳です。デザイナーが「おー良いホイールがあるじゃーないですか!ヌッチオさん、これいけますよ!」ってね。こういう謎解きですよ。面白いのは。

テスチュードのそのお話は有名なお話しですよね。

ジウジアーロが突然抜けて、ガンデイーニを探すまでに誰かがこっそりとミウラの続きをやっていたとしか思えないのですがね〜。楽しく生きましょうね^^。

ジウジアーロのデザインに対しての開眼はレイモンド.ロウイーが握っていると思っております。これに感じましてはまた。

    utida   2007年3月23日(金) 20:42     
うおー!読みきれないほどですね(@。@)

話題が国会に移ってるようで。
そういう話はついてけませんが・・。

私も考えたりレスしたいですがまたまた出張ですのでもう寝ます。
(せっかくもりあがってるところなのにまったく・・)
帰ってきて書き込むのを楽しみにしております〜

では紳士淑女のみなさま、ごきげんうるわしゅう。

    十字野郎   2007年3月23日(金) 21:03     
新規参入のホリグチさんも交え、ヒートアップしてますねえ。

当方は依然「ミウラはジュージァロ」派(くろださん、すいません!)なのですが、
その理由のひとつが例の睫と対になっているアウトレットのデザインでした。
「御大の作品であるシムカ1200Sクーペ、フロンテクーペ(加えてボーラの後期型?)
に同様のものがある以上ミウラは御大の作品でなければならない。
なぜなら、もしミウラがガンディーニであったなら
御大は彼の真似を繰り返したことになるから」
というものでした。

ところがフロンテの項でもあったように
量産型フロンテは御大の関与の可能性が低いことが判明、
この項すぐ上でも
>・・・誰かがこっそり・・・
とあるように、別人の関与であるならば何回真似があっても何の問題もなく
(シムカのフェイスリフトも御大のよるものと限りませんし)
むしろ真似したくなる優れたデザインともいえるわけで
自論は半ば瓦解状態なのですが・・・
これだけは言えます。

大内さんのおっしゃるように
のちのガンディーニ作品にない「マスのバランス」感覚がミウラにはある
ということです。このバランス感覚が
御大のペンによるオリジナルサイドビューにすでに備わっていたもの
とするなら
変な表現ですが「ミウラはガンディーニ」でも納得できます。

以前キャンバーラインの話題でも触れましたが
ガンディーニは「行ったっきり」が多いのに比べ御大は「行った分帰ってくる」。
これはラインの話ではなく
車体各部のマスのバランスが取れている=安定している
ということを言いたかったわけで、
行ったっきり=不安定=動的な作品の多く見受けられるガンディーニ氏の作品とは
一線を画する、ように思われるのです。
それゆえ「ミウラは・・・」となっていくのですが

締めが「思われる」じゃちと弱いですねえ・・・。

また「くるまにあ」よりの中村氏の意見、当方は賛成です。

以上でした!



    DADA   2007年3月23日(金) 21:24     
1967 London Mortor ShowのMiuraのプレスリリース7ページ目に例のChassisの写真が掲載されています。
大内さんのアップした記事はこれを引用した可能性がありますね。もっと調べてみます。

    ホリグチ   2007年3月23日(金) 23:27     
大内さんがおっしゃった
>SIMCAに関しましては、最初のクーペは間違いなく御大のものですが、Sに関しましては、御大では無いと思います。この車は67年にSになって、このようなビッグチェンジになったのですが、丁度御大がFIAT Dino Coupeを最後に、ベルトーネを去った年です。

をよく理解できなかったのですが、私のジウジアーロ唯一の参考書「カースタイリング別冊35 1/2 1981年」のそのページを見返すと、確かにそうなっていました。1962年のものと早合点しました。スキャン画像のテキストをご覧ください。。

十字野郎さん>はじめまして。突然まとまりずらい方向へキーボードを連打してしまいすみません^^; 

シムカ1200Sクーペのエアダクトはミウラのものを流用した可能性が高いです。1967年発表です。。。


    大内 誠   2007年3月23日(金) 23:52    HP Mail  
1965年のこのミステリアスなベアシャーシーは色々な意味で、ミウラの謎を解く鍵を握っているでしょう。私が考えますれば、ホイールだけを最初にデザインするデザイナーはいませんから、このときにかなりボデイも出来上がっていたのではと。あまりの新しさに、保守的なヌッチオはまずベアシャーシイで世評をうかがったのでは。それで機会をうかがってデビューさせた。推測ですが、この頃のベルトーネの工房には、ミウラ、ギブリ、マングスタが同時進行していたとおもいます。ミウラのデビューを怠ったヌッチオに対しての怒りが飛び出した原因なのでは。その時御大はギブリとマングスタを持ってギヤ社へ。ヌッチオが世評を気にしなければ、66年の春のトリノにはこの3台がベルトーネブースに並んだ事でしょう。ギブリとマングスタのデビューはその年の秋なのですから。いくら天才とは言え、春から秋の間にあの二台を作る事はできません。この頃のベルトーネの勢いはものすごく、しかしギヤはジウジアーロを迎えるまでは閑古鳥でしたから。

    ホリグチ   2007年3月24日(土) 0:08   
みなさんこの件はご存知でしょうか。

下の2つのスキャニング画像、左がカースタイリング/ベルトーネ特集1977。右がカースタイリング/ジウジアーロ&イタルデザイン特集1981。
書いてある内容がやはり微妙に違います^^)
大内さんはフィアット・クーペを最後にベルトーネを去った年が1967年とおしゃる。

正しくはやはり1965年9月 その年のトリノショーの前に完全に去っていると思います。

フィアットクーペはジウジアーロがカタチにした未発表作品ですがフロントグリルは六角形のハニカムグリルですねぇ^^。この部分はガンディーニじゃないかな?・・・あとインテリア。
小さな反撃でした・・・

いやいや、そうすると各文献でつじつまが合うんです^^)

    くろだ   2007年3月24日(土) 0:40   
>いつもクールなくろださんですが、ことM.ガンディーニの話題になるとヒートアップですね。

ありゃりゃ、そう言われますと、ちとお恥ずかしいです^^;)。
DADAさんも十字野郎さんも、ご意見は非常に冷静で、明快でいらっしゃいますね。

そのように内容・論拠があれば主張は自由で楽しいものです。
しかし大内さんは論拠なしに「人の作品を他人の功績だと言い続ける」のは・・BBSがきっと荒れますよ、この先、と。
それを懸念して「誠実な説明責任が求められますよ、人の情として」と申し上げたのです。

さて、シャシー写真に関して。
やはり論拠がむちゃくちゃです^^)>大内さん

>問題はその写真が1965年なのですよ。

・・って、いやここでモンダイなのは大内さんです・・^^;)・・よく見てください。「1965年のサロン ディ トリノ・・・」と書いてあるので
1965は、「トリノショーの年号」についてのキャプションじゃないですか。
それを「写真の撮られた年だ」と曲解するのは「事実が見えなくなっている」人です。
お気楽に根拠レス^^)なことをおっしゃるなら質問Cは淡々とつづきまーすね。

何を根拠に「写真が1965年、問題・・」だなんておっやっているのですか????>質問Cつづく
それを根拠として、いろいろおっしゃっているのは、とりあえず「むちゃくちゃ」です^^)。

「ホイールが完成した時点で、ラジエター位置が変わってなかった。」という情報がここにあるだけです。
他になにかわかりますか^^)?>質問D

    大内 誠   2007年3月24日(土) 0:43    HP Mail  
ホリグチさん>手持ちのカースタイリング1974年8月号のジウジアーロ特集では、1966年にこのクーペを着手して退社となっております。このクーペのオリジは御大でしょう。ハニカムグリルとミウラによく似たインテリア、シートはマルツアルに似ていると言いますか、マルツアルがこのクーペのシートに似ていると言うべきでしょうか。ガンさんはこの後の2,4のモデファイだと思います。

    大内 誠   2007年3月24日(土) 0:54    HP Mail  
くろださん>ちょっと意味が分からないのですが。1965年の写真ではない?のでしょうか?。しかし上面ラジエターですよ。この古いシャーシーにこのホイール?。ここら辺はどうなのでしょうか・。

    くろだ   2007年3月24日(土) 1:07     
ああ、やはり大内さんは・・・・落ち着いて、そこにある現実を見てください。

1965年のトリノショーで・・・という説明がされているだけで、写真が撮られたのが1965年だなんて、どっっっこにもとりあえず書いていないでしょ^^;)。

だから「ホイールが完成した時点で、ラジエター位置が変わってなかった。」ということがわかるだけです。他になにかわかりますか^^)?
現実が見えてらっしゃいますか?>質問Dつづきま〜す

    yumetake   2007年3月24日(土) 1:09     
いやあ、皆様ヒートアップしてますね。

アチチ!美浦火炎地獄に焼かれながら
おそるおそる書き込んでみますが・・。


ホリグチさんはじめまして。X1/9はベルトーネの社内では
ミニ・ストラトスと呼ばれているそうですね。

フィアットクーペですがカースタイリング「ベルトーネ特集」では
ガンディー二が大幅に手直ししたと記されています。
他にもモントリオールなどはジウジアーロ風味を感じる部分があります。

ガンディー二作品に対しては年配のエンスーな方などがやはり違和感を
もってたりするケースがあるようです。
それはきっと既存の「車らしさ」から飛躍してしまっている度合いが
大きい、ということでしょうね。

ただ、ガンディー二が単に我が強いだけのデザイナーではないことは
ミウラの例でも明らかですし、ベルトーネのスタッフとガンディー二本人に
ジウジアーロを尊敬する気持ちがあればこそ、あのアウトラインを
うまく生かせた、ということなのだと思います。

画像は年配デザイナーによる傑作大衆車デザイン(賞をとったのに
それを知る前にデザイナーは亡くなってしまったとか?)、
初代ルノーサンクと、ガンディーニによる2代目。

    大内 誠   2007年3月24日(土) 1:18    HP Mail  
くろださん>1965年にこのシャーシーがこのホイール付きであったというのは事実なのではないのですか?。どうも意味が分からない?。ガンさんがこのホイールをデザインしたという証拠は?。レンダでもあるのでしょうか?。
yumetake さん。割って入って申し訳ない。取りあえず今日はいないので、今日はここまで。

    くろだ   2007年3月24日(土) 1:55     
>どうも意味が分からない?。

お助けします・・やはり、ここで「説明の意味がわからない」というのは、「現実世界の認識の仕方」を誤ってしまっているという格好の例ですよ^^)。

落ち着いて。ゆっくりと。
「自分はいったい何を根拠に1965年の写真だと考えているのか」を自問してみてください。
1965って、数字の写真のキャプションがありますね。でもそれは
「トリノショーは1965年だった」という内容の説明である可能性も高く、写真の撮影年のことだ、など「どこにも」書いていないのです。
65年の写真ではない、とは言ってませんが、「65年の写真だというのが事実」とか断定するのは、判断としては「むちゃくちゃ」です。

そこにあるものが、正しく見えていませんよ^^)>大内さん

    大内 誠   2007年3月24日(土) 2:03    HP Mail  
くろださん>まだ分からない???。頭悪いですからね。では何年の写真なのでしょうか?。他の皆さまにもお聞きしたいです。意味が分からないのは僕だけでしょうか?。

    くろだ   2007年3月24日(土) 2:14     
>頭悪いですからね。

あ、いや^^;)・・・難しい話では全くないですので。

「ものが見えていない」というだけでしょう^^)

普通に考えれば65年12月末〜66年2月中旬までのどこかで撮影。(それ以前の「可能性」もありますが、まぁ、今はそのへんの話じゃないですからね)

いいですか。66年撮影の可能性もあるこの写真を、「65年の写真だというのが事実」とか「こりゃ問題・・」と決め付けている。さらにその上に話をどんどん展開する。もう「むちゃくちゃ」ですね〜と言っているのです。
さすがにそろそろ・・お気づきでしょうか・・・^^)?
(大内さんのお話はそういう傾向が幾度となく見受けられるので・・^^;)

「そこに在るもの」を「ちゃんと見」ないと・・・^^)。

>このミステリアスなベアシャーシーは色々な意味で、ミウラの謎を解く鍵を握っているでしょう。

握ってない、握ってない^^;)。

    ホリグチ   2007年3月24日(土) 8:55   
私がいくつも古本屋で買ってきた参考書および、比較的最近のミウラ開発者らのインタユー記事にはそんなこと書いていないです。。。1965.11トリノではボラーニのワイヤーホイールです。ガンディーニは1965.12月から、おそらくそのジウジアーロの図面をもとにデザインをスタートさせた。ダラーラのAutoItariaのインタビュには以下のようにあります。

“冬のある日、ランボルギーニを訪れたベルトーネはフェルッチオに面会し彼がデザインした車の側面図と正面図を見せた、そしてそれは非常にファンタスティックな車になるだろうことは明らかだった。ベルトーネはミウラに取りかかる前に、MINIのエンジンを後方横向きに搭載した小さなスポーツカーをデザインした。そのデザインはまだSant'Agata(サンタアガタ)にあるだろう。”[原文は英文で私が訳しました]

カーマガジンのダラーラインタビュにはこうあります。
“シャーシができて、それからボディが載るまでの経緯はよく覚えていますよ。トリノ・ショーでシャシーを展示したのが、65年11月。その翌月の12月末から年明けの1月頭にかけてのバカンス中にボディが出来上がったのです。”

みなさんがガンディーニのレンダリングがトリノ前だとか?ジウジアーロが初期のレンダリングを描いた(中村氏)?? ・・何時描いたんだ? そのレンダリングは1965年12月にガンディーニが描いたはずでしょう!

そのへんがすごくおかしいと。私は以前から思っていました。。。

くろださん>このスレッドのまとめがいっそう難しくなってしまって、私が原因?すみません。

次はどちらの方向へ行きましょうか?


yumetakeさん>どうも。はじめまして。ミニカーのホームページ興味深いです。yumetakeさんのおっしゃることにも共感できます。両者の作品を良く見ている。Goodです!


P.S.ちなみにX1/9の初期型もハニカムグリルなんですよ^^;

p.s.2 ジウジアーロ派の皆さんはガンディーニを知らなすぎる(ボソ...)

    DADA   2007年3月24日(土) 23:55   
すみません。訂正します。先日のベアシャーシの写真はプレスリリースではなく当時のカタログの7ページ目の写真でした。カバーページが有名な牛のやつです。1967年だと思います。
発表前のベアシャーシの写真は次にアップします。

    DADA   2007年3月24日(土) 23:59     
The Miura, without a body or even a name, as it was introduced to the world at the Turin Auto Show. The photos below clearly show an exhaust system whose details had yet to be worked out. Above left, the radiator is mounted in a last minute, let's put it here fashion. Also: this is the only time the factory put wire wheels on a Miura. Despite these humble beginnings, the exotic car world would never be the same.

Lamborghini press photos courtesy of Mark Jordan

『ワイヤーホイールである唯一の時』みたいなことが書かれています。あまり意味はないですか?

    くろだ   2007年3月25日(日) 1:42     
(以下はこれまでの多くの世界中の自動車雑誌たち、CarGraphic/CarStyling/CarMagazine/Navi/Genroq/STYLEautoなどによる大量の取材・研究・情報を矛盾なく総合してお送りしています^^;)

●11月末(たぶん28日ごろ)お互いを値踏みし合っていたベルトーネとランボ首脳がついに対面。「ウチはやりまっせ!」とiso-sportsの図面なんかも見せたりしつつ。ここからバカンスをつぶしての、24時間2交代制の地獄の作業の始まり。翌年3月10日まで続くのだ!
●12月初旬(9日前後)に、ミウラだけの輝きを宿したデザイン案決まる。あのガンディーニのバッチリミウラなレンダリング(ただし!ラジエターまだ一応上面になってる!)で、各部に制作物発注開始。(カンパニョロに発注もこのへんか)
●12月10日ごろから、すぐ1/1モデル発注のため線図化に入る。フルスケールレジンは66年1月20日ごろに完成。ショーまであと2ヶ月足らず。
自分が出したいラインのこだわりで、ベアシャシーのラジエター位置では干渉しそうなことを気にしていたガンディーニは、「位置かえてくれ」指示は出していた。
●内装、ガラス、グリル、小物、ライトは・・・あ、ホイホイ850のもので!、ボディもトンテンカン。さまざまなものが3月10に向け、必死にそろえられていった。ボディの装着は、締め切りぎりぎりに及んだ。

これが、史実です。一般的に正しいとされている。

そのプロセスで、実際にラジエターが前方に移動される前にホイールが仕上がってきてシャシーに着けてみる可能性は、

      まー普通にあるんじゃないですか?

大内さんはご存知ないのかもしれませんが、カーデザインする時は1/1フルスケールレジンモデルという過程があって、デザインの詳細までそこで詰められていくんですが、

    レジンモデルにはシャシーを仮換装できないんものなのです。

{まぁ100歩ゆずって。個人的にはベルトーネMIDーMINI(ミニエンジンのスタディモデル)の時点であのホイールの「素案」があったり、先に完成してても全然おかしくはないなー、とも思いますよ。ただ}
ミウラマニアックな雑誌「ゲンロク」も渾身の関係者複数証言とった上で「ホイールもガンディーニによるデザインであった」と取材・確認してきて発表もしているので、事実調査上もガンディーニだろうなあ、と。

みんなががんばって、いろいろ調べてきているのですから・・・ネ^^;)。

>これにはぶったまげ!ですよ。
>問題はその写真が1965年なのですよ。


「問題」とか「ぶったまげ」は、何に対してなのでしょうか〜^^;)。>大内さん


    くろだ   2007年3月25日(日) 3:29     
ミウラよりも前に、実はBERTONEには、
一台のあの「素晴らしいポテンシャルを持ったMIDエンジンスポーツ」のデザイン話が舞い込んでいました!
結局はキャンセルになって、フィッソーレがデザインしてしまうことになるのですが。

このことが、ミウラの話と混同・誤解されてしまってあらぬ憶測をよんでいる面もあると思います。  

    ホリグチ   2007年3月25日(日) 8:37     
ううぅ。くろださんおよその日付まで分かるのですか...すごい

それよりもその「素晴らしいポテンシャルを持ったMIDエンジンスポーツ」って
なんでしょう?もっと詳しく知りたいです。
ベルトーネMIDーMINIは図面段階までだと聞いていましたが、
実際にボディは作られたのですか?

フィッソーレってまったく知りませんでしたがこの写真そうなんですね?
イケてますね。 1968年 モンテベルディ Hiスピード 375S

    大内 誠   2007年3月25日(日) 13:48    HP Mail  
ホリグチさん>この車のデザイナーはP.フルアと言う人です。ジウジアーロ世代より上で古くはルノーのフロリード、ヴォルヴォP1800,グラース、マセラテイミストラル、初代のクワトロポルテ等々。素晴しくセンスのよいデザイナーさんでしたが、ジウジアーロが現れた後はジウジアーロショックと言いますか、彼に傾倒したデザインになってしまい、独自の個性は失われました。このモンテベルデイもギブリにそっくりなデザインです。しかし好きなデザイナーさんの一人です。
フィッソーレの代表作は何と言いましてもデトマソヴァレルンガではないでしょうか。ケントengineをミドに乗せてファイバーボデイの小柄なスポーツカーです。但しベルトーネでは無くてGhia製です。

いや〜ミウラ論争は生き甲斐ですね^^。くろださんのおかげでいつまでも元気でいられますよ。ありがとうございます。
そのミッド、ミニのためのあのホイールが先に出来ていたのですか?。MID- MINIと称されるにはオーバーサイズですね^^。あの頃のミニのホイールサイズは10インチです。10インチのカンパホイールですか。いいですね。ミニにつけたらミニライトよりかっこいいでしょう。

初期のミウラengineはウエットサンプでした。そのためにオイルの偏りが生じて、SVからでしたかドライサンプになりました。

あの写真は1965年の写真と思いましたので、もしそうであるなら驚いただけです^^。あの頃はガンさんはまだ入社していないですよね。65年に撮られたと言う証拠があれば良いのですか?。ホリグチさんも謎ですねと書いておられましたから。しかし64年のカングーロのホイールを見ますと、デザインのラインは似ていますよ。ミウラ程ではないですがブルトンになっています。カングーロのホイールはいいですね。

あのミウラ以降ガンデイーニのレンダって見た事がないですね。僕だけが見ていないのでしょうか?。カウンタック、ストラトス等の彼のレンダって見た事が無いのですが、お持ちなら見たいです^^。レンダガ無くても車は出来ますものね。だけどあのくるまにあの記事のように何故ミウラだけレンダをガンデイーニが描いたのでしょうか?。それみよがしのサインまで入れて。謎です^^。あの突貫工事のさなかに^^。

    ホリグチ   2007年3月26日(月) 0:09     
ピエトロ・フルアかぁ、、なるほどぉ。

って大内さん>

まだ終わってない・・・・です。
そのミウラホイールがついたベアシャーシは1965.11月以降です。間違いない。
>ホリグチさんも謎ですねと書いておられましたから
見た瞬間謎でしたが、ゲンロクの記事を一通り読んだら納得しました。ゲンロクのミウラ特集はもちろん2月〜5月号まで全部買いました。
ジウジアーロは1965年の9月か10月トリノショーの前に辞めて居なくなっています。(ヌッチオと喧嘩別れしたんですか?そのへんも知りたいです)

そして、ガンディーニのレンダリング・・・・・・・うぅぅ。ん

立体を作るのにいきなり粘土とかなんじゃないかな。。

たしかに絵は下手クソです。ガンディーニは。

ヌッチオが、「君は絵を描くの辛そうだから、助手に頼みなさい」と言ったんじゃぁ。。。かっこわる。

でもレンダリングが全てじゃないですからね。逆にプロダクトデザイナーでレンダリングがぴか一なのはどうなのかと、、(←これは書かなくても

最初だからガンディーニが描いたんですよ。それでも立派にかたちになったじゃないですか

どうxひよう。。くろださん、yumetakeさん。助けて

    ホリグチ   2007年3月26日(月) 1:18     
>だけどあのくるまにあの記事のように何故ミウラだけレンダをガンデイーニが描いたのでしょうか?。それみよがしのサインまで入れて。謎です^^。あの突貫工事のさなかに^^。

そんなに謎なのかなぁ。
逆にジウジアーロに肩を持つ人たちが謎だ。

    大内 誠   2007年3月26日(月) 2:17    HP Mail
ホリグチさん>66年当時、カーグラは独自の判断で、ミウラをジウジアーロの作品集の中に入れた事があるのです。当時のT氏も過去からの流れをリアルタイムで見ている身からGさんにあのデザインは出来ないと。そうしますとイタリーのヌッチオから猛講義があり、裁判にかけると言うところまでいって、やむなく取り下げたのです。ですから僕が「わ」にあの記事を書いた時は注意されましたが、あの本は自らお金を払って書きたい事を書く雑誌だったので、私見として問題ないでしょうとの事だったのです。当時、「わ」編集長のM氏はイタリー語に翻訳しようかと言う所までいったのですが、それはかないませんでした。
リアルタイムで見ていますから、あのくるまにあの記事とともに我々の世代は疑わしく思うのです。ヌッチオ裁判云々と言うお話は御存知でしょうか?。

添付されました3点のイラストは御存知だとおもいますが、ガンデイーニの描いたものではありません。あの白黒のX1/9ダラーラのイラストは知りませんが。

あくまでも推測ですよ。あのレンダはジウジアーロ色を消したいがためにヌッチオが描かせたと思います。また反発食いますね^^。あのインパネのイラストもステアリングが曲がっており、パースがあっていないですね。よほど慌てていたのか?。

ホリグチさん、このカングーロホイールを見て何も感じませんか?。基本的にミウラホイールの何ものでも無いですよ。違うのは穴の数だとか、センタースピンナーでない事ぐらい。これが全然違うとは言えないでしょう。それにベルトーネに突然やってきたG氏がとっさにミウラホイールをデザイン出来たのなら、もう天才ですね。ジウジアーロはイソの頃から、放射状に四角い熱気抜けを試みており、いきなりのひらめきでデザインしたのではないのです。ミウラの特集号ばかり見ていたって何も分からないですよ。色々見ないと。では?

    ホリグチ   2007年3月26日(月) 2:43     
大内さん>やはり、深いですねぇ。ミウラ論争。
ヌッチオ裁判、以前この掲示板で知りました。たしかに、当時のカーグラにガンディーニの名前は出てこない。それくらい知られていなかったのですね。ヌッチオ悔しかったんだと思いますが、、、

白黒のダラーラのイラストはネットから拾ってきたのでなんともいえませんが、ガンディーニらしい下手さ加減です^^。 ただ、ガンディーニの脇で仕事していた方からある掲示板に書き込みありましたが、ガンディーニはダラーラモデルに思い入れがあるっぽい。と書いていました。
私が好きなもので、すみません。ドーデもいいんですけど。

カングーロのホイールは確かにミウラホイールの起源のように見えますね。
実はミウラの特集号ばかり見ている訳は、X1/9が発端なのですが、やはりよく書かれるギアのデザインをベルトーネが買ったとか、その件が悔しいのです。これも発端はカーグラです。まぁ、海外でも同じことを書かれたのでしょうけど。
実際にはデトマソにX1/9の図面が漏れていたそうです。そうでなければあそこまで似るのはおかしいと。

X1/9を調べていくと、ダラーラを調べ出すのです。そして、ベルトーネやミウラに行き着く。ヌッチオのスモールミドッシプへの野望。
楽しいんです。すごく。

だから、、、大内さんとこの掲示板で話ができて良かったです。ありがとうございます。他もいろいろ見てみます。


このへんで、私は一歩引きます。では^^。



    utida   2007年3月26日(月) 3:19   
戻りました。

・・しかしすごいですね(コメントこればっか・・)
今回は第1次論争時とは反対で大内さんが落ち着いてらしてくろださんはヒートされてる!?(理論や内容は冷めてらしてますが言い方がね・・読んでてつらいっす^^;))

>ホリグチさん
はじめまして。ホリグチさんの”楽しいんです。すごく。”というくだりがホントに楽しそうで、そんな楽しみや謎で我々を惹きつけてやまないイタリアンカーのデザインの世界ってすばらしいなと一人勝手に感動してしまいました・・。

つーことでじゃまた(←テメ論争参加しねーのかよ!)

    大内 誠   2007年3月26日(月) 3:38    HP Mail  
ホリグチさん>ダラーラがお好きですか。それではホイールの写真だけプレゼント^^。ガンさんがダラーラを好きなのは理解出来ますね。それでイオタを作った。そして結局SVであの睫毛まで取ってしまった。

    くろだ   2007年3月26日(月) 7:15   
>くろださん、yumetakeさん。助けて

ソコは自分でがんばろ〜^^)。 脱線乱闘が場外すぎて二人の姿見えないデス^^;)。

>いや〜ミウラ論争は生き甲斐ですね^^。くろださんのおかげでいつまでも元気でいられますよ。ありがとうございます。

いえいえ、どういたしまして。
でもあいかわらず「むちゃくちゃ」ですよ、この話^^;)↓

>MID- MINIと称されるにはオーバーサイズですね^^。あの頃のミニのホイールサイズは10インチです。10インチのカンパホイールですか。

MIDーMINIがあった時期だし「素案」があったかも、と譲って言ってるだけなのに、MINIと同じ10インチだなんてどっから出てきた話ですか^^;)
だいたいエンジンがMINIのを使ったスタディっちゅう話でホイールのインチ数がミニと同じだなんて話だすのは、発想も内容も・・・「むっちゃくちゃ」ですよ〜^^;)

あと、バレルンガのキャンセル後でその後のミッドの研究が続いた「ミッドスタディな時期」なのだということも考慮しないといけませんよ〜。
もう少し当時のBERTONE史とかカロッツェリアの歴史を2次的にでも勉強なさってから話して欲しいでーす。

>あの写真は1965年の写真と思いましたので、もしそうであるなら驚いただけです^^。

いやだから、65年だなんてどこにも規定されていなかったので、「ぶったまげ」とか「問題」なんていう理由は現実には特になかった。
ということは、ご理解いただけたのでしょうか??>ここだけは聞いときたい大内さんに質問E

(65年だってわかった時点だったら、おどろいても「まとも」ですけど、その情報がないのに勝手に「ぶったまげ」とか言ってらしたのは65年の写真だと「決め付けて」話されてたからですよね>大内さん^^;)

>カングーロのホイールを見ますと、デザインのラインは似ていますよ。

似てますよ。だから、カングーロのホイールをベースに、「差異を感じる部分について」話してたじゃないですか。おもいっきりベルトーネの流れで完全にカングーロからの流れですよ。読んでないのですか、今までの、「ベルトーネの文化は継承されて当然ですよね」と皆でしてきた話を。

>あのミウラ以降ガンデイーニのレンダって見た事がないですね。

まるでどうでもいい話で〜ス。レンダリングはミウラだけが「公開」されている。ただそれだけのことから。いろいろ勘ぐるのは自由ですが、やっぱり永田議員のような論法です。中村なんとかという、何も知らないライターも。ぷんぷん。

850ライトや、睫毛や、ベアシャシーの話が次々出て、結局また泥〜なミウラ闇の史実論争に・・・

せっかくミウラ・イソ図面が発見されて盛り上がったのに、
ミウラのプロポーションとか、デザインの話がしたかったです〜。。。
あー・・・疲れました。

    大内 誠   2007年3月26日(月) 11:23    HP Mail  
お疲れさまでした。今回はかなりヒステリックなくろださんでしたね。友人の悪口まで入ってくるとは心外でした。今度彼と会って話しておきます。一度膝を突き合わしてどうでしょうか?。ミウラよもやま話。ミウラデザインの真実!と言うキャプションで。

    くろだ   2007年3月26日(月) 11:51     
>一度膝を突き合わしてどうでしょうか?。

フフフ。いいですよー。でも、根拠なしに主観を押し付ける議論・推論はさほど楽しいものではないので、しっかり「内容」を持ってやりたいものですね。

>悪口

じゃないですよー。批評したまでです。中村氏のあの文章はまあ・・「くるまにあ」向きです^^)。

あ、でも、たくさんの質問の答えだけは、ずっと待っていますよ!
ひとつひとつ「オカシイ」ということが、わかってきて、
絶句せざるをえないというなら、仕方ありませんが。

    元レース少年   2007年10月28日(日) 2:30     
はじめまして。私もミウラの時代を超越したデザインに今でも強く惹かれている者です。
Googleの検索でこのサイトにたどり着きミウラのデザイナーについて燃えるような凄い論争が巻き起こっているのを読んでびっくりしています。
当方はレース関係の仕事に関わっておりまして、イタリアのダラーラのシャシーなどを日本総代理店であるルマンさんとのお取引が多いのですがダラーラの御大パオロ・ダラーラ氏は確かミウラのシャシー開発エンジニアとしてその名を上げたと聞いたことがあります。シャシーを仕上げたエンジニアならスタイリストやデザイナーを知らないはずはないだろうと・・・。
ルマンさんも忙しい会社ですがそういった話も決して嫌いではないはず。
事情をきちんと説明されれば御大からFAXやEメールで情報を貰えることも不可能ではないかもです。
余計なお世話でなければ宜しいのですが、どなた様もお気を悪くされませんようお祈り申し上げます。
下記にルマン株式会社のURLをお知らせしておきます。
http://www.lemans.co.jp/j_company/index.html


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