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  カースタイリングデザイン掲示板の過去ログの一部です。


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 ミウラについて思うこと ガンディーニらしさについて No.1   _ASH_INSTITUTE_   2006年1月14日(土) 10:00   
 <まずは大まかに>

私が個人的にミウラについて思うこと、ガンディーニらしさ、などについて書いてみます。
こういうところに書くとなると、それなりに考えをまとめなくてはいけないので、
正直ちょっと面倒だなと思ったのですが、^^; くろださんから再三言われちゃってるし、
自分でもいつか書いてみたいと思っていたことでもありますし、これを、いい機会と思って
書いてみようと思います。

>私は、あの話題について、みなさんのお話を伺いたいなぁと思ったのです。
>とくにAshさんとか! <<<<ビシーーーー!(^ー^)
ビシーーーー!っと、やられてから随分日がたってしまってすみませんです。(^-^;;

>ガンディーニのウェッジシェイプ前夜
これ、いい表現ですね。気に入りました。^^

>リアから見たときに両タイヤ上に「前方への強いベクトル感を持った逆R面」が見えたら、
>それはガンディーニのスポーツカー
これも、かなりいい線いってる判断基準になりそうですね。

ミウラとブラーボ/カウンタックのリヤビューの雰囲気はほんとに良く似ていますね。^^
是非、くろださんには、バーのカウンターでステキな女性を口説く時に、このことを語って欲しいものです。
きっとイチコロですよ。(何が?)

>そして、その非ジウジアーロ的デザイン態度は、後のカーデザインに新しい可能性と、
>ひろがりをもたらした点でも称えていいと思うのですが、Ashさんなどそのあたりどうお考えでしょうか。
>ぜひうかがいたいです。
ほとんど、というか全くと言っていいほど同感です。称えていいと思います。^^
ジウジアーロとガンディーニを、ニュートンとアインシュタインに例えられたのも、私もほぼ同じことを
考えていました。でも、アインシュタインって言うのは、ちょっと言い過ぎかなぁとも思っていました。^^;
2人の傾向としては、まさにそうだと思いますが。

ガンディーニを称えていいと思うと言いながら、アインシュタインというのは言い過ぎ、という理由を以下に。
ジウジアーロがその長い全盛期において、平均的に非常に高いレベルのアウトプットを続けたのに対して、
ガンディーニは、しばしばそれを上回るきらめきを見せていたと思うのですが、時々、“学生レベル”というか、
これはないよな…というような、ヘンテコなのがあったように思うからです。少なくとも私にとっては。
そして両者共に、全盛期のキレが無くなってからというもの、ジウジアーロはまだかろうじて相応のレベルを
保っているように思えるのですが、ガンディーニのほうは、正直ひどい、惨憺たるものが多いと思います。
総じて、ジウジアーロのほうがプロフェッショナルとしての安定性、信頼性は高く、
ガンディーニは、飛び抜けて良いこともあるけど、それと同じくらいの困ったちゃんのもやっちゃった、
というように思うのです。 そういう意味(不安定でコントロールしにくい、予測しにくいという意味)でも、
ジウジアーロよりも“芸術家肌”かもしれないとは思えます。ちょっと強引ですが。^^;

ここで、2人の作風を比較するのに、ちょっと地味ですが、マセラティのクアトロポルテの世代違いを、
たまたま両者が手がけていますので、その2台(先代と先々代)について書いてみようと思います。
デザインされた年代に大きな隔たりはありますが、それを差し引いても、2人の狙いの違いは
十分見てとれると思います。

・まずはジウジアーロ作の先々代。バランス良く、まとまりは良いけど、ややつまらない(失礼千万!
 とはいえ十分魅力的ですが…)、大型のオーソドックスで端正なセダン。若干の前傾姿勢は当時の
 このクラスの車には無いもので、スポーティーでモダンな雰囲気に思えた。

・それに対して、ガンディーニ作の先代。こちらは、やや落ち着きにかける妙なバランスでありながら、
 (サイドビューで見ると、セダンにしては極端な前傾姿勢で、フロントが薄く、トランクは高過ぎの短か過ぎ)、
 しかし、全体として受ける印象は、セダンとしてはまれなカッコ良さ、美しさを持っている。
 ただし、どう見ても(どう擁護しようとも)リヤホイールアーチの切り欠きは大いに違和感あり。
 (これはこの車の、数少ない、私が嫌いなところ。少なくともこの車には合っていないと思います。)

こんなふうに思えて、そこには両者の特徴が良く出ているのではないかと思います。
ちなみに、先代クアトロポルテを初めて見て、“キャー!カッコイー!!(≧▽≦)” と言った女性がいます。
彼女は、車は好きでしたが、それほど詳しいわけではなくて、車名もデザイナーのことも全然知りませんでした。
おや?と思って、後でそれの出ているカースタイリングなどを見せて、なぜそう思ったのか、感想を聞きましたが、
“よくわからない…。説明できないけど、素直にカッコイイと思った。” とのことでした。 私、十分でした。^^
私は大変嬉しく思い、彼女のことが少し好きになったのでした。(*´ェ`*) ポッ

私が感じるガンディーニらしさを、ディティールに触れずに言うと、(ディティールに関してはまた後で書きます。)
第一印象でまず、見る人の神経を軽くさかなでし、次の瞬間、心をわしづかみにするように、ぐっとひきつける。
一体、何がどうなっているんだ?と興味を持たずにいいられない。そんな感じかと思います。
また、こんなの↓もあります。
“とても車とは思えない!しかし同時に、まさに車!という気もする。”
これは、ある漫画の中で、若くて腕のいいカメラマン(車に詳しくない)が、初めて見るカウンタックの
撮影に際して、思わず発したセリフなのですが、言い得て妙だと思い、いたく共感したものです。
ガンディーニの未来志向デザインの成功作は、みんなこの言葉が当てはまるように思います。
ちなみに、同時期のジウジアーロ作品であるマセラティ・ボーラ、メラック、ブーメランなどでは、
そこまでは思えないような気がします。これらはやはりまだ “まとも” に思えるからです。


    _ASH_INSTITUTE_   2006年1月14日(土) 10:05    Mail ]
<ミウラについて思うこと ガンディーニらしさについて No.2>

<リヤフェンダーの稜線を明確にする面構成>

次に造形上のディティールについて書いてみます。
車の造形って、色々な面で構成されて出来ているわけですが、その面と面をつなぐ場合、端部では
両者の曲率を徐変させるなどして、普通はエッジを合わせて、まとめようとするものだと思います。
それがとてもうまいのがジウジアーロで、それは非常にまともな感覚だと思います。
普通に考えれば、エッジが合ってていい面同士を、わざわざ少しずらして、
その間を絶妙なリバースRでつなぐなんていうのは、ちょっと変です。 
変なのですが、しかし、それは実は結構高度なテクニックであり、単に特徴付けのための特徴
ではなく、全体の造形として、質感を上げるために非常に有効な手法だったりします。
このような面構成の結果出来たエッジは、手が切れそうというのは大げさですが、
当然、単に凸面同士の相関で出来るエッジよりもシャープで明確になります。
普通に優雅な凸曲面だけで構成されていたら、ミウラのあの力強くも美しいリヤフェンダーは
ああまで印象的にはならなかったことでしょう。 絶妙な凹面の使い方によって生まれたエッジ、
そのカーブが、リヤフェンダー(フェンダーというのが適切かどうかは別にして)を、誰の目にも
形として明確に認識させ、ミウラらしい印象を作っているのだと思います。
そしてまた、同時期のフェラーリやその他のコンペティターと比較して、ずっとモダンに見せることにも
なっていると思います。
 
これが例えば、ただのふくらみであったとして、(無意識のうちにも)仮想ピーク等をイメージしながら
立体として認識する場合よりも、そこに現実のラインが存在するほうが、はるかに認識しやすいであろう
ことは、誰でもおわかりでしょう。簡単な話、思い出して絵を描こうとすると、すぐにわかると思います。
ミウラのダイナミックでクラシカルな美しさをたたえたサイドビュー、リヤクォータービューは、
基本的なプロポーション自体が、当時を知る多くの人が自然にカッコイイと思える、わかりやすくて
優秀なものであることに加え、こういった繊細とも言えるデザイナーの仕事によって、より明確に、
印象的になっていたわけです。

そして、私がミウラのスタイルで最も魅力を感じるのは、リヤクォータービューです。
さらに言えば、ガンディーニ作品らしいと思えるのも、このリヤクォータービューです。
そのこと自体は前から思っていましたが、なぜそう感じるのか、どうも今ひとつ自分自身、
判然としなかったのですが、くろださんの鋭い指摘と詳しい解説で、ようやく明確になったように思います。

(ちなみにサイドビューは、私にとっては微妙です。 いや、サイドビューもとてもいいのですが、
きちんと水平状態で見たときに、微妙に後ろ下がりに見えて、それが何とも古さを感じさせて、
ちょっと(本当はかなり)辛いんです。 フロントエンドも、下側がまるで船のように上に向き過ぎていて、
それもいただけません。 他にも、フロント周りは、一体どうしてこうなんだろう?と思うところが
いくつかあります。 ガンディーニ自信が、どうも、このミウラのことをあまりよく言わない理由が
どういうものなのか、自分の感想と考え合わせて、とても興味があります。 が、それは置いときましょう…。)

くろださんがうまく解説してくださるまでは、やはり、あまり意識していなかったのですが、
ミウラのキャビンよりも後ろには、いたるところに前述の “高等テクニック” が使われていたのですね。
これらのことは、写真、特にサイドビューを主として見ていては、中々気づかないことだと思います。
くろださんの鋭い視点には感服しました。元々のセンスの良さと、ご自信でフルスクラッチの
スケールモデルを作ったりする経験があればこそのものでしょうね。すばらしいです。

付け加えて、別のモデルに関しても言えば、例えばマルツァル、モントリオールのリヤクォーターの凹面も、
凹面であること自体、独特で面白みがあるのですが、リヤフェンダーの稜線を明確にする効果も
狙われていることは明らかで、十分その効果が出ていると思います。


    _ASH_INSTITUTE_   2006年1月14日(土) 10:10    Mail  
<ミウラについて思うこと ガンディーニらしさについて No.3>

<ショルダーラインの明確化とサイドパネルの断面形状>

さて、ミウラのステキなリヤクォータービューを構成する要素のひとつ、リヤフェンダー(?)の稜線を
際立たせている特徴的な手法は、ミウラではキャビンよりも後方でだけ強く現れていましたが、
後のガンディーニ作品の多くでは、ミウラほどではないのですが、同じような役割を果たす面が、
フロントからはじまって、ショルダーをほぼ全長に渡って走り、ショルダーラインというか、サイドパネルの
メインキャラクターラインとでもいうか、そのようなラインを作り出しています。 近年のもので言えば、
前述の先代クアトロポルテ、古くはカムシン、ウラッコなどにも控えめではありますが現われています。
(カラボ、ストラトス・ゼロなどの頃まではありませんが、それらはまた別の要素でガンディーニらしく見えますね。)
他の方がどう思うかわかりませんが、私はこの面/線にガンディーニらしさを非常に強く感じます。
モデルによっては、この面はフロントフード/リヤデッキ一般面と連続していたりします(量産版ストラトスなど)が、
それらを含めて、キャビンと分けたボディ本体(?)の、いわゆるショルダーを明確にして、ダイナミックさ、
スポーティーさを出そうと狙っているように思えます。
この特徴は、ジウジアーロ作品では、ごくわずかの例外を除いて、ほとんど見られません。
(この例外というので、パッと浮かんだのはロータス・エスプリですが、これもリヤクォーターの扱い方が
ガンディーニ作品とは明らかに違って見えます。)

また、当時のピニンファリーナや、ジウジアーロ作品の多くは、サイドパネルの仮想ピークの位置が、
サイドパネルの天地方向の中間付近やや上のあたりにあるように思うのですが、
これは、落ち着きが良く、まとまって見えます。ですが、ややクラシカルな造形とも言えます。
それに対してガンディーニ作品の多くは、この仮想ピークの位置が、より高く、ショルダーに近いように
思えるのです。実際にはそうでないのかもしれませんが、そう見えるように考えられているような。
上で述べたショルダーライン(というかメインキャラクターラインというか)も、このサイドパネルの断面形状
(雰囲気のみかもしれませんが)があればこそ生まれるものです。
カムシンなどは、この傾向をリヤエンドまで持っていっているので、リヤパネルの形状が逆台形に
なっています。普通こんなのありませんよね、あんまり。
この仮想ピークの高さと、得意の前傾姿勢により、全体の造形に躍動感や前進感を与えているように
思えます。 この手法は、悪くすれば、腰高で落ち着きがないものにもなりかねないのですが、
ガンディーニが手がける多くのスポーツカーは、車高の絶対値が十分低いですし、
何よりクライアントが彼に期待するのは、ある種そういうことですから、それでいいのでしょうね。


    _ASH_INSTITUTE_   2006年1月14日(土) 10:15    Mail
<ミウラについて思うこと ガンディーニらしさについて No.4>

<新型ミウラについて (MIURA concept 2006)>

ここで、オリジナルの特徴を再確認するために、最近発表された新型ミウラについて、少し書いてみます。
かなり忠実なイメージで作ったのでしょうが、残念ながら、オリジナルを超えていないのはもちろん、
並んでもいないと思います。まあこれは、多くの方がそう思っていることでしょう。
前後のオーバーハングをつめて固まり感を出そうとしたのかもしれませんが、(それは今風とも言えるのでしょうが)
そのことや、この掲示板でくろださんが詳細に解説してくださった繊細なディティールが、“薄められて”いるようで、
オリジナルが持っていた優雅な雰囲気が随分無くなっているのが一番残念です。
恐らく各部の寸法の中で、ホールベースが割合として最も大きくなったのではないかと思いますが、
それをそっくり前後長の拡大に振り分けることを良しとしなかったのでしょうね。
フロントエンドの形状からくる、高速域でのリフトを押さえるために、前端には(ブラックアウトして存在感を
無くそうとがんばった)スポイラーが付き、さらに両サイドにはカナード状の小さなウイングまで付けていますが、
そんなことをするよりも、いさぎよくフロントエンドを下げて(大雑把に100mm程度か?)、それと同時に
フロントオーバーハングを(新型に対して200mm程度?)延長する。それでも空力的には満足できないでしょうが、
それでも、より小さな空力パーツで済むでしょうし、少なくとも今の寸詰まりな印象は大幅に改善されるでしょう。
うまくいけば、オリジナルよりも、低くスリークな印象にも出来るかと思います。

元々、オリジナルのスタイルで個人的に好きになれないのは、前述のサイドビューでの姿勢、フロントエンド下側の
造形に加え、顔つき(特に、他とマッチしているようにはとても思えない間抜けなヘッドランプ:失礼千万ですね)と、
プランビューでのフロントフェンダーの形状(フロントタイヤの後端あたりからフロントエンドに向かってどんどん狭くなる)、
そして、あれ?と思うほど狭いトレッド(これはこの当時みんなこんなものでしたが…)、などですが、総じて、
キャビンよりも前側が、キャビン以降ほど魅力的ではない…、というか、はっきり言ってあんまり良く思えません。
新型になって、これらの諸問題の中で明らかに改善されていると思われるのはトレッドと、フロントフェンダーの
プランビューでの形状くらいでしょうか?

とはいえ、これから新車で買える車としては、かなり魅力的なスタイルであることは間違いなく、今のアウディ・
グループの技術力でクォリティコントロールされた動力性能、信頼性など、魅力はいっぱいで、最大のライバル、
フェラーリが、あんまりカッコいいとか美しいとか思えないようなのばっかり出している今(本当にどうしたことでしょう?)、
戦略的にはとても良さそうに思います。


    _ASH_INSTITUTE_   2006年1月14日(土) 10:15    Mail 
<ミウラについて思うこと ガンディーニらしさについて No.5>

<ライバルの言葉 : ジウジアーロのガンディーニ評 (これで最後です)>

くろださんご紹介のNAVIの(翻訳)記事は、私も偶然持っていて、その内容と、掲載されている、
若き日のガンディーニのスケッチから、これをみんなが見ていたら、随分わかりやすいのではないかと
ずっと思っていました。

これまで長々と述べてきましたが、ガンディーニ作品に関しては、
“とてつもなく攻撃的で斬新なスポーツカーを作らせたら、彼の右に出るものはいないよ。ガンディーニが
デザインしたクーペの中には、止まっているときでさえ地面を蹴っているようなものがあるくらいだ。”
というライバル(?)の言葉にいろいろなことが集約されているのではないかと思います。
このライバルとは、もちろんジウジアーロです。
もちろん、私がここで述べたこと以外にもいくつもポイントはあると思いますが、基本的プロポーションにおける
重要なポイントとして、同じ時期の他のデザイナーの作品と、リヤクォータービューで比較したり、断面形状を
想像してみると、そこにガンディーニ作品の特徴が現われるのではないかと思います。

ジウジアーロが古典的な滑らかな曲面(凸面)造形から、平面(実際は曲率のゆるい曲面)で構成されたような、
モダンな造形に移行してから、彼は、成立するならば、なるべくシンプルに、という考え方でいたのではないかと
思います。それこそがモダンさだと。 そして、そういったシンプルな構成ながら、魅力的なスタイルを作るのは
彼のすばらしい能力だと思います。 こういった傾向の作品でわかりやすいのはロータス・エスプリ、エリート、
エクラの兄弟など、スポーティーなものがいくつかありますが、もっと普通の車、例えばランチア・デルタ、
VW・ゴルフ、シロッコなどにも、十分そのことがうかがえる魅力がつまっています。

ガンディーニは、そういった考え方に共感しながらも、差別化をはかる目的なのか、彼の好みなのか、
あるいはその両方なのか、よりアグレッシブな結果を求めて、一見、そうとわからないようなシンプルな構成に
見えるものでも、実はかなり凝った面構成をいつも考えていたのだと思います。

若干、余談めいた話ですが、初期の(冴えていた頃の)ガンディーニ作品でも、ウラッコなどはかなりシンプルな
構成に思えますが、実はあれも、量産型になるまでには、色々と個性を出そうと工夫していたようです。
ほとんど紹介されることが無い、そのウラッコの試作車を見ると、そうであろうことが見て取れます。
写真は、その試作何号車だったかですが、なんだか、ややモダナイズしてお手軽にした、ミウラの2+2バージョン
を作ろうとしていたようにも思えます。 こんなのも現物を見てみたかったですね。

最後に誤解を恐れずに言えば、ジウジアーロ作品の多くは、仮にジウジアーロがいなくても、
別の優秀なデザイナーが(それは複数かもしれませんが)作れた可能性があるが、
ガンディーニ作品の、その中でもずば抜けたものは、彼以外には作れなかったのではないか、ということです。
そういう意味では、ニュートンとアインシュタインのたとえはピッタリですね。



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